美味しい物を食べたい
温泉に行きたい
奈良の興福寺に行きたい
生口島に行きたい
旅行に行きたい
お芝居を観に行きたい
ディズニーランドに行きたい
USJに行きたい
誰にも邪魔されずに
誰にも遠慮せずに
私の好きなようにしたい
今になって
こんなに欲が出てきた
3週間も寝たきり
空を見たい
ある1人の人間が生きた証のブログ。誰も読まなくていいです。
とうとうその日がやってきた
18年
の歳月を経て声を聴いた
完全に生きていると知ったのは3年前
生きているかどうか知らない間も
苦しんで
生きていると知った後も
苦しんで
何度も何度も何度も何度も何度も
死にたいと思った
他人行儀な言い回しを用意して
あとは成り行きに任せようと
なんとなく
そう思えた時に電話
あの子も他人行儀な言葉だった
大人になった声だった
知らない声
「軽々に」が口癖になったのか
ビジネス用語を話せるようになったのか
それでも少し早口なのは
やっぱり私と同じで緊張しているからなのか
私の両手は震えていた
私は
母のことやきょうだいのこと
ともだちのことを情報提供したけれども
あの子からもいろいろ教えてくれた
遠回しに
「同じ業界にいる」だとか
職場の上司の名前だとか
緊急連絡先を誰にしているだとか
私は少し嘘もついたけれど
それで丸く収まるならそれでいい
さっき思いついたことを
準備して
このまま眠ろう
令和8年4月23日を終わろう
6月6日を忘れないように
もう眠りたい
昨日
私は仲が良かったと思っている
気さくで優しい責任感の強い思いやりのある人とお別れした
そういう人ほど
私に関係なく
法律や人間関係の問題で去っていく
淋しいけれど悲しくはない
だって
生きている
自分の責任逃れをする人は
とっとと去って欲しいから
縁切り状を渡す
それぐらい私は疲れている
人の気持ちが解らない人が福祉の世界にはびこる現状
それが哀しい
家具を買い替えた
もう買うこともないはずだった家具を
自分の責任逃れをする人のおかげで
買い替えた
ついでに
その人が適当に返事した物も買い替えた
家具の物の入れ替えは大変だったけれど
どれもこれも棺には入らない
と思えば
簡単にお別れできそうな気がする
毎年毎年この時期は
赤の他人のおかげで生活に変化がある
平穏な生活は
私の人生にはない
3月3日のひな祭り
大好きだったアーティストの
グッズとCDをほとんど買い取りに出した
大きな段ボール4箱
それが
たったの470円
段ボールに入れている時でさえ
何の感情もなかった
棺桶には入れられないから
息子が片づけられないから
他人に見せたくなかったから
それだけの理由で買い取りに出した
後悔はない
でも
何十年もかかって少しずつ集めた物が
私の大事だった物が
思い出が
470円
他人には価値のない物かもしれない
それは解っている
でも
値段の響きは恐ろしい
私の心にあればいい
思い出は私の中にしかない
認知症になれば忘れてしまうこと
それでも
耳鳴りがやまない
仕事をするからには
それが例えスーパーのレジ打ちでも
操作の順番と受け応えのマニュアルは覚えるもの
専門職は特化された仕事
知識がないと仕事にならない
一般人ではできなこと
学習して身につけないとできないこと
何年経っても終わりがない仕事
誰にでもできる仕事ではない
政治家や官僚が考えるような簡単な仕事ではない
私はできたのか
できてないと思う
全くもってできてない
何の役にも立ってない
むしろ
役に立とうという意識がなかった
全ては子どもの為
それしかなかった
なのに何故
私は今
あの人と同じ場所に行こうという思いがあるのか
何か役に立つことがあればと思うのか
行きたくないし会いたくない
のに
何故
それが身についた専門性なのか
感情のコントロールがきかない
同質か真逆か
それがわからない
他人の物を壊して謝らない
修理を手伝わない
たったこれだけのこと
怒りがおさまらない
言動が悪い
自己中心的
他人の物はどうでもいい
そんな人達に囲まれて育ったからか
許せない
人として
これはダメだ
相手ではなく自分がダメだ
同じ土俵には上がらない主義を通してきたのに
大事に大事にしている物を壊されて
私の怒りはおさまらない
家具も私の家族
家の中の物は全て私の家族
そんな付喪神のような事を信じてる
キャンセルすればいい
そんな簡単な事じゃない
専門的な知識がなくても
他人の物を壊したら謝るのが道理
私は筋を通したいのだ
また今年も大変な年になる
わたしは家族のたんつぼだった
全員の痰を浴びた小さいわたし
毎日傷ついて泣いて
泣くことも禁じられ
泣けなくなって
大きくなったら
家族だけでなく
他人のたんつぼも引き受けてた
そういう事を清算する為に
大きな決心をして
体を引きずって
生きている親に会いに行った
言いたい事の1/1000も言えなかった
だけど
ごめんって言って
という私の言葉に反応して
生まれて初めて親の「ごめん」を聞いた
聞いた途端に
「許す」と言う私がいた
人は嘘つきが基本
嘘をつかないで生きることは不可能
でも
嘘だらけの人生は虚しかっただろう
子どもに見栄を張る必要はないのに
見栄っ張りで嘘だらけの人生が
あの人にとってはそんなに大切だったのか
自分が産んだ子どもを否定し続けて
自分のプライドだけを守る人生が
そんなに大事だったのか
「ごめん」と言わせた
虚しい
「許す」と言った
哀しい
こんな親子関係には
もう二度と出会いたくない
そう
あの人は私の子どもには謝らなかった
人生の後始末を子どもに任せて
周りに迷惑をかけて去ることしか
できない人だった
自分では何もしなかった
苦労?
誰が?
自分の子どもを女中呼ばわりする人に
苦労なんてあったのか
たぶん
あの人なりの苦労はあったのだと思う
周りにおんぶに抱っこ人生で
それでも人には
生きる権利がある