少~し向き合えるようになったのかもしれない。
いろいろな事に。
怒りをぶつける相手のいない事から15年かぁ・・・。
去年、広島で原爆資料館で見た写真と同じような光景を実際この目で見た日から。
「冷静沈着に行動できる」私は、その時でさえ変な人と呼ばれた。
自分の子どもを守ることしか頭になかったから、周りの声はどうでもよかった。
ただ、マスコミで報道されているような事も事実だけれど、障害者が困った事も事実だけれど、母子家庭が困った事はあまり報道されない。
家がない、小さい子どもがいる、障害児だ、お金がない、食料配給に並ばなければいけない、銭湯に子どもを連れて行く、会社に行って働かないと来月の給料が出ない・・・
地域の住宅修理の話し合い、学校との連絡・・・
転々と住む所を変えながらのいろいろな事は1年間の記憶がなくなるくらいだった。
でも、ハッキリ覚えているのは父親の死だ。
3月に病院に行った時にはたぶんもう手遅れの状態だったのだろうと思う。
水道がまだ復旧していないからと、病院側の他市への転院を断った父。
「自分の家を守りたい」
この言葉が真実だったのかどうかはもうわからない。
8月に入院するまで自宅をその手で建て直した。
私もいろいろなことに忙し過ぎて、父の様子を見に行けたのは10月からだった。
それが良かったのかどうかもわからない。
父には私が死神に見えたのだろうか。
あちこち歪んだままの家に戻って学校との連絡にも困らなくなった時から、子どもを守ることから父に会いに行く事にエネルギーの半分はシフトした。
助からないという事は、私にはわかっていたように思う。
医師の説明も十分理解できたし、それが「余命○○ケ月」と呼ばれるものである事もスンナリ納得できた。
変な人間だと、自分でも思う。
我が父の余命をスンナリ受け止めるなんて。
でも、現実は変えられない。
できる事は全部する事しかないと、生きている間が全てだと、その時はそう思った。
でも、母とは違う悔いは残った。
地震がなければもう少し生きられたかもしれない。
父が家に執着しなければもう少し生きられたかもしれない。
転院していればもう少し生きられたかもしれない。
どれもこれも、今となってはしかたがなかったとしか言いようがない。
地震は起こっていたし、明治からの家を支えたのは父だし、転院していても手遅れだった・・・。
私にできる事は全部できたかな。
お互い強情で頑固だから喧嘩したそのまま別れてしまったけれど、それで良かったのかな。
「ごめんね。」
の一言を言えれば良かったのかな・・・。
父も震災死に認定される事を母に伝えたけれど、母はキッパリ断った。
それは父も望んでいない事かもしれないけれど、私はお墓以外に父に会いに行く場所が欲しかった。
いつでも父に会える場所が欲しかった。
それは私の我儘なのだろう。
父を思い出すのは年に数回になってしまったけれど、それでもこんなに哀しい思いが胸から湧き上ってくる。
傷ついたのは私だけじゃない。
哀しいのは私だけじゃない。
そう願っている。
2010年1月15日金曜日
相反する心
を、スーパーバイズしてもらったらラクになった。
「なるようになる」
「全てはわからないところで進む」
わかっていたことなのに、人の心はそれを裏切る。
先生、全然失礼やないですよ。
私のご一党は・・・家系は、ほとんど皆『普通の人』で『自分が1番かわいい人』達です。
障害者を差別し、自分だけには老いも死も関係ないと思い込んでいる人達です。
私だけがハズレ者な訳ではありません。
私は現実に病気を抱え、機能障害もあるだけのことです。
最期の時を待っている人だから、他のご一党様方とは少し違うだけです。
私の中にあるDNAは、まぎれもないご一党のモノです。
ただ、私が先生にスーパーバイズを求めるのは、信頼関係の他に何かあると思うんです。
「糸」というか、「線」というか、そのようなモノ。
私と先生は「点」同士なんだけれども、「糸」で繫がっているようなカンジです。
また電話します。
年末の大掃除の話しを忘れたので。
「なるようになる」
「全てはわからないところで進む」
わかっていたことなのに、人の心はそれを裏切る。
先生、全然失礼やないですよ。
私のご一党は・・・家系は、ほとんど皆『普通の人』で『自分が1番かわいい人』達です。
障害者を差別し、自分だけには老いも死も関係ないと思い込んでいる人達です。
私だけがハズレ者な訳ではありません。
私は現実に病気を抱え、機能障害もあるだけのことです。
最期の時を待っている人だから、他のご一党様方とは少し違うだけです。
私の中にあるDNAは、まぎれもないご一党のモノです。
ただ、私が先生にスーパーバイズを求めるのは、信頼関係の他に何かあると思うんです。
「糸」というか、「線」というか、そのようなモノ。
私と先生は「点」同士なんだけれども、「糸」で繫がっているようなカンジです。
また電話します。
年末の大掃除の話しを忘れたので。
2010年1月7日木曜日
悪企み
今年の正月の親族の集まりは結構おもしろかった。
親族と言っても親子3代の集まり。
毎年律儀に計画を立てる姉や妹が私は笑えてしょうがない。
1年中ほったらかしで、母の健康状態とか生活状態を把握する気はないのに、正月と母の日と還暦や古希のお祝い事だけは非常に気にする。
まるで遠い所に住んでる嫁状態やね(笑)。
さしづめ私は長男の嫁状態か・・・?
これを打破する為に今年の集まりはわざと迷惑をかけに行った。
「自分の家に集まらないか」と言い出した妹が悪い。
私の悪企みが始まってしまったからだ。
1回計画を立ててしまうと止まらなくなってしまった。
誰も母に関心がないのと同じで、誰も私の健康状態を知らない。
私は小さい頃から私の家族に徹底的に無視されてきた自分を不幸だとは思わないけれど、母の介護ができなくなった今は他の介護義務者に理解してもらう必要が出てきた。
母の介護をするのはだぁ~れだ?
心のロシアンルーレットに引っ張り込む強力なインパクトが必要だったのだ。
私以外は世間で言う『普通の人』で『障害者や老人は私には関係ありません』と思い込んでいる。
自分もいつ障害者になるかわからない、将来は老人になることに気がついていない、自分が1番かわいそうな人生だと思っている、私から言わせてもらえば「ドアホな人生しか送っていない人達」にスーパーパンチをおみまいしなければならなかったのだ。
思った通り、私が行くと誰1人として「障害」や「老い」を考えたことがないドアホな言動(笑)。
知らなくて幸せなこともあるけれど、自分の将来さえ考えないのは「無知の罪」だ。
ましてや自分の実の母親を介護施設にポンと入れることしか考えないのはホンマもんのドアホとしか言いようがない。
今の介護保険がどんな状態かも知らない「無知の集まり」が介護保険を利用して上手く母を施設に入れることができる可能性は1%以下だと思う。
寝たきりは突然やってきて、その時に介護保険の認定を受ければすぐに施設に入れると思っているからだ。
私をガン無視して私の知識から情報を得ることもしない。
私の体が弱くて小さい頃から病気ばかりの人生なのを知っているのに、母の最期を看取るのは私だと勝手に決めていたようだ。
母が最初に倒れた時に私は姉妹にキチンと宣言している。
「私ができるうちは私が母の面倒を見るけれど、それが何年かはわからない」と。
すでにその時には私は大きな病気を抱えていたからの言葉だったのに、想像力がないと言うか、自分の基準でしか物事を判断できないと言うか、呆れ返る。
悪企みが成功したのかしなかったのかは、これからの反応を見なければ判断できない。
すでに1人、これまたドアホなことに要介護者である叔母に私のことを電話で報告したから、叔母から私に電話があったけれど(笑)。
叔母は自分が障害者なので、私の病気を知って泣いてくれた。
私が叔母に言った言葉は「私のために泣いてくれてありがとう」だ。
「私のために泣いてくれる人がまだいたんやね」とも言った。
叔母は時代の犠牲者でもあるけれど、私は時代に振り回されることはなかったかもしれない。
医学の発達がもう少し早ければ、症状の緩和ができたかもしれないが・・・。
私は幸せだ。
私のために泣いてくれる人が最低でも2人はいることを知ったから。
息子と叔母。
この2人だけでいい。
今回の悪企みに協力してくれた息子にも感謝。
さぁ、母を介護するのはだぁ~れだ?
親族と言っても親子3代の集まり。
毎年律儀に計画を立てる姉や妹が私は笑えてしょうがない。
1年中ほったらかしで、母の健康状態とか生活状態を把握する気はないのに、正月と母の日と還暦や古希のお祝い事だけは非常に気にする。
まるで遠い所に住んでる嫁状態やね(笑)。
さしづめ私は長男の嫁状態か・・・?
これを打破する為に今年の集まりはわざと迷惑をかけに行った。
「自分の家に集まらないか」と言い出した妹が悪い。
私の悪企みが始まってしまったからだ。
1回計画を立ててしまうと止まらなくなってしまった。
誰も母に関心がないのと同じで、誰も私の健康状態を知らない。
私は小さい頃から私の家族に徹底的に無視されてきた自分を不幸だとは思わないけれど、母の介護ができなくなった今は他の介護義務者に理解してもらう必要が出てきた。
母の介護をするのはだぁ~れだ?
心のロシアンルーレットに引っ張り込む強力なインパクトが必要だったのだ。
私以外は世間で言う『普通の人』で『障害者や老人は私には関係ありません』と思い込んでいる。
自分もいつ障害者になるかわからない、将来は老人になることに気がついていない、自分が1番かわいそうな人生だと思っている、私から言わせてもらえば「ドアホな人生しか送っていない人達」にスーパーパンチをおみまいしなければならなかったのだ。
思った通り、私が行くと誰1人として「障害」や「老い」を考えたことがないドアホな言動(笑)。
知らなくて幸せなこともあるけれど、自分の将来さえ考えないのは「無知の罪」だ。
ましてや自分の実の母親を介護施設にポンと入れることしか考えないのはホンマもんのドアホとしか言いようがない。
今の介護保険がどんな状態かも知らない「無知の集まり」が介護保険を利用して上手く母を施設に入れることができる可能性は1%以下だと思う。
寝たきりは突然やってきて、その時に介護保険の認定を受ければすぐに施設に入れると思っているからだ。
私をガン無視して私の知識から情報を得ることもしない。
私の体が弱くて小さい頃から病気ばかりの人生なのを知っているのに、母の最期を看取るのは私だと勝手に決めていたようだ。
母が最初に倒れた時に私は姉妹にキチンと宣言している。
「私ができるうちは私が母の面倒を見るけれど、それが何年かはわからない」と。
すでにその時には私は大きな病気を抱えていたからの言葉だったのに、想像力がないと言うか、自分の基準でしか物事を判断できないと言うか、呆れ返る。
悪企みが成功したのかしなかったのかは、これからの反応を見なければ判断できない。
すでに1人、これまたドアホなことに要介護者である叔母に私のことを電話で報告したから、叔母から私に電話があったけれど(笑)。
叔母は自分が障害者なので、私の病気を知って泣いてくれた。
私が叔母に言った言葉は「私のために泣いてくれてありがとう」だ。
「私のために泣いてくれる人がまだいたんやね」とも言った。
叔母は時代の犠牲者でもあるけれど、私は時代に振り回されることはなかったかもしれない。
医学の発達がもう少し早ければ、症状の緩和ができたかもしれないが・・・。
私は幸せだ。
私のために泣いてくれる人が最低でも2人はいることを知ったから。
息子と叔母。
この2人だけでいい。
今回の悪企みに協力してくれた息子にも感謝。
さぁ、母を介護するのはだぁ~れだ?
2010年1月2日土曜日
2009年12月31日木曜日
2009年12月27日日曜日
しつこいようですが
やっとIWGP全編を読み終わった。
仕事の移動の最中と寝る前だけでは時間がかかるモンですな。
で、やっぱり私は「水のなかの目」が好きだ。
「Gボーイズ冬戦争」にも関わってくる話しだとわかった時には『やっぱり』と思った。
あれで終わりにはしたくなかった作者の気持ちの推移が想像できる。
それくらい「水のなかの目」は秀作だと、私は勝手に思っている。
その方がIWGPらしい流れだから。
その方がよほど人間らしい。
それから1作だけ涙を流してしまった作品が「バーン・ダウン・ザ・ハウス」。
この作品の少年は私の周りにいくらでもいるから。
同じように家族を傷つけ、自分自身を傷つけなければその時生きられなかった子ども達。
犯してしまった罪の償いの方法を知らない子ども達。
そんなことになる前に私はずっと親達に警告したいと考えて行動してきたつもり。
自分の子どもさえ救えなかった私だからできることだと信じて行動してきたつもり。
でも、現実は池袋のマコトをいつも裏切るのを知っているくらい私は年寄りだから、うまくいったのはほんの数えるくらいで、ほとんど失敗に終わっている。
やっぱりIWGPは現実ではないのだ。
それが読書中毒者になってから久しぶりに本の中と現実がボーダーレスになった感想。
「水のなかの目」ほどではないが「バーン・ダウン・ザ・ハウス」はそれほど現実感のある作品だ。
年季の入った読書中毒者に涙を流させるくらい現実と間違わせるのだから。
今日からはまた気楽に読める江戸モノでも読もう。
登場人物がやたら多くて心理学的に考察の必要な本は来年からでいいや。
とにかく今はこの目が見えなくなるまで本が読みたい。
読めなくなってもそれほどショックじゃない気はしている。
私が死んでから出る本は読めないしね。
当たり前だけど。
仕事の移動の最中と寝る前だけでは時間がかかるモンですな。
で、やっぱり私は「水のなかの目」が好きだ。
「Gボーイズ冬戦争」にも関わってくる話しだとわかった時には『やっぱり』と思った。
あれで終わりにはしたくなかった作者の気持ちの推移が想像できる。
それくらい「水のなかの目」は秀作だと、私は勝手に思っている。
その方がIWGPらしい流れだから。
その方がよほど人間らしい。
それから1作だけ涙を流してしまった作品が「バーン・ダウン・ザ・ハウス」。
この作品の少年は私の周りにいくらでもいるから。
同じように家族を傷つけ、自分自身を傷つけなければその時生きられなかった子ども達。
犯してしまった罪の償いの方法を知らない子ども達。
そんなことになる前に私はずっと親達に警告したいと考えて行動してきたつもり。
自分の子どもさえ救えなかった私だからできることだと信じて行動してきたつもり。
でも、現実は池袋のマコトをいつも裏切るのを知っているくらい私は年寄りだから、うまくいったのはほんの数えるくらいで、ほとんど失敗に終わっている。
やっぱりIWGPは現実ではないのだ。
それが読書中毒者になってから久しぶりに本の中と現実がボーダーレスになった感想。
「水のなかの目」ほどではないが「バーン・ダウン・ザ・ハウス」はそれほど現実感のある作品だ。
年季の入った読書中毒者に涙を流させるくらい現実と間違わせるのだから。
今日からはまた気楽に読める江戸モノでも読もう。
登場人物がやたら多くて心理学的に考察の必要な本は来年からでいいや。
とにかく今はこの目が見えなくなるまで本が読みたい。
読めなくなってもそれほどショックじゃない気はしている。
私が死んでから出る本は読めないしね。
当たり前だけど。
2009年12月12日土曜日
さっきの続き
1つ大事なことを書くのを忘れた。
「少年計数機」の中で描かれているような発達障害の子どもに精神安定剤は使わない。
理由その1、軽度。
理由その2、パニック症状でてんかん発作を起こしていない。
理由その3、そもそも日本には小児用の精神安定剤が存在しない。
小説だから許されることなのかどうかよくわからないが、情報収集不足も甚だしい。
私の情報も古いのかもしれないが、今のところ「子どもの鬱」が確認されているだけで薬の開発は聞いていない。
発達障害の子どものパニック症状は周囲の人間(オトナ)の対応で十分軽くすることができるし、成長にともなって回数が減るのが普通だ。
私は個人的に発達障害と認知症は類似していると思っている。
どちらも脳の変化やダメージ・回路連結の問題が原因で、それによって起こる様々な症状は2次的症状だからだ。
パニックは何も病気を持っていない人でも起こす。
予期・予測できない事態に遭遇すると誰でもパニックになる。
それが、何か(普通の人間にとっては)些細な原因でパニック症状を起こすのが発達障害だ。
認知症も同じことが言える。
パニックは2次的症状の1つだから、原因を取り除いて本人が他に気をそらせることができれば症状は治まる。
何も薬を使う必要は全くない。
(ただし、重度の発達障害は知的障害をともなう場合が多いので薬剤を使用する場合もある)
石田衣良がどんな方法で発達障害の情報を収集したのか知らないが、そこらへんに売っているたくさんの本の中から抽出したのであれば、それはハズレだったとしか言いようがない。
専門の医師に取材したのだとしても、それはハズレ医師だったとしか言いようがない。
医師が正しいことを話したのであれば、石田衣良が理解能力に欠けていたとしか言いようがない。
それほど私は怒っている。
発達障害ほど誤解されている障害はないと思うからだ。
難病でもなく、身体のどこかが欠けているわけでもなく、知的に遅れているわけでもなく、精神的には何も異常がないのに、「普通ではない」のだ。
昔なら「ただのアホ」で「おかしなヤツ」なのだ。
そんな表現でいいなら、そんな人間は今はいっぱいいる。
脳を調べたことがあるかないかの違いだけだ。
石田衣良を攻撃しているのではない。
エライ文学賞を取る作家でも間違うくらい発達障害の理解は難しいと言っているだけだ。
ただ、影響力の大きさを考えて作品を出して欲しかった。
それに評論家の目のふし穴加減に呆れただけだ。
私は石田衣良の作品では「美丘」が好きだ。
この作品は良い。
心と心がどこか分離している微妙なラインが好きだ。
それでいて共時性がある不思議な作品だ。
しばらくIWGPを読み返す日々が続くのだろうが、今のところ「水のなかの目」が1番良い。
医学的・精神的分析をするのならば、この作品の少年の方がよっぽど「おかしい障害」を持っている。
「少年計数機」の中で描かれているような発達障害の子どもに精神安定剤は使わない。
理由その1、軽度。
理由その2、パニック症状でてんかん発作を起こしていない。
理由その3、そもそも日本には小児用の精神安定剤が存在しない。
小説だから許されることなのかどうかよくわからないが、情報収集不足も甚だしい。
私の情報も古いのかもしれないが、今のところ「子どもの鬱」が確認されているだけで薬の開発は聞いていない。
発達障害の子どものパニック症状は周囲の人間(オトナ)の対応で十分軽くすることができるし、成長にともなって回数が減るのが普通だ。
私は個人的に発達障害と認知症は類似していると思っている。
どちらも脳の変化やダメージ・回路連結の問題が原因で、それによって起こる様々な症状は2次的症状だからだ。
パニックは何も病気を持っていない人でも起こす。
予期・予測できない事態に遭遇すると誰でもパニックになる。
それが、何か(普通の人間にとっては)些細な原因でパニック症状を起こすのが発達障害だ。
認知症も同じことが言える。
パニックは2次的症状の1つだから、原因を取り除いて本人が他に気をそらせることができれば症状は治まる。
何も薬を使う必要は全くない。
(ただし、重度の発達障害は知的障害をともなう場合が多いので薬剤を使用する場合もある)
石田衣良がどんな方法で発達障害の情報を収集したのか知らないが、そこらへんに売っているたくさんの本の中から抽出したのであれば、それはハズレだったとしか言いようがない。
専門の医師に取材したのだとしても、それはハズレ医師だったとしか言いようがない。
医師が正しいことを話したのであれば、石田衣良が理解能力に欠けていたとしか言いようがない。
それほど私は怒っている。
発達障害ほど誤解されている障害はないと思うからだ。
難病でもなく、身体のどこかが欠けているわけでもなく、知的に遅れているわけでもなく、精神的には何も異常がないのに、「普通ではない」のだ。
昔なら「ただのアホ」で「おかしなヤツ」なのだ。
そんな表現でいいなら、そんな人間は今はいっぱいいる。
脳を調べたことがあるかないかの違いだけだ。
石田衣良を攻撃しているのではない。
エライ文学賞を取る作家でも間違うくらい発達障害の理解は難しいと言っているだけだ。
ただ、影響力の大きさを考えて作品を出して欲しかった。
それに評論家の目のふし穴加減に呆れただけだ。
私は石田衣良の作品では「美丘」が好きだ。
この作品は良い。
心と心がどこか分離している微妙なラインが好きだ。
それでいて共時性がある不思議な作品だ。
しばらくIWGPを読み返す日々が続くのだろうが、今のところ「水のなかの目」が1番良い。
医学的・精神的分析をするのならば、この作品の少年の方がよっぽど「おかしい障害」を持っている。
発達障害の理解間違いのもと
ネットで十分だと思っていた小説家の短編を文庫で買うようになり、
ネットで読んでいた小説もオトナ買いして今読み直している。
石田衣良。
この間、NHKの障害者何とか賞をもらった人。
池袋ウエストゲートパーク。
長瀬智也が主人公を演じたドラマは好きだ。
でも、気に入らないことが1つ。
文庫の巻末に書いている文藝評論家だかナンだかわからないオッサン達。
彼らはIWGPの中でも傑作は「少年計数機」だと言う。
私は1番の駄作だとずっと思っていたし、その考えはこれからも変わらない。
「少年計数機」の中に出てくる発達障害の子どもの描写が間違っている。
作者の発達障害の説明も間違っている。
LDは大学の教授でさえ「学校の勉強ができないこと」だと間違えている。
学校の勉強ができない子どもはたくさんいる。
LDは「学習」そのものに障害がある。
「学習」とは人間が人間である所以の大元だ。
小脳で生きることはできる。
人間が人間であるのは学習するからだ。
言葉を覚える、歯をみがく、服を着替える、遊びのルールを覚える・・・
人間の成長は全部が学習で成り立っている。
それが阻害される障害が学習障害=LDだ。
生活そのものの学習が遅れるのだから学校の勉強についていけるはずがない。
「少年計数機」の中の少年(正しくは学童)は、どう読んでもLDではない。
超軽度の自閉とアスペルガー+確実にADHDだと思う。
コミュニケーションがまともに(普通の人にはわからないと思うが)とれているのが、作者の誤解を表している。
発達障害はどの障害もコミュニケーションに1番の問題がある。
それに危機的状況の把握も難しいし、「暗号」など高度な解決策は無理だ。
普通の人(一応ここでは対比的に使うが、普通の人などこの世にいない)には思いつかないアイディアや思考回路を発達障害の子ども達は持っているが、作品の中に描かれた以上の解決策のはずだ。
「少年計数機」の中の少年を発達障害というならば、作者が描く池袋西口公園に集まるどこにもいけない少年達の方が発達障害の可能性が高い。
作者が揶揄的に「小脳で生きている」レベルの人間達だ。
私はLDの子どもを育てている。
現在進行形なのは、この障害には終わりがないからだ。
人間は人生が終わる瞬間まで発達し続ける生き物だからだ。
純文学がどうのではなく、石田衣良は悪文家だ。
それでも物語に引っ張り込まれる文章構成の良さ、ディティールの細かさなどがこの人の持ち味だ。
主人公の心の動きが今の若い人独特さを表しているし、どこにもいけない、どこにいったらいいのかわからない(オトナだってそんなこと知らない)から群れている若い人達がよく描写されている。
それでも、最初の情報収集が間違っているからどんなに作品全体が良くても「少年計数機」は駄作だ。
こんなに有名な、若い人が読む小説で間違った情報を書かないで欲しい。
フィクションでノンフィクションが困った状態になるのは間違っている。
今は見える障害よりも見えない障害の割合の方が多い。
石田衣良も書いているが、昔は無視されていた障害に名前がついたからというのもある。
しかし、昔は助からなかった赤ちゃんが助かるようになったというのが1番の理由ではないだろうか。
全く自分には関係ないと知らん顔して生きていても、周りには確実に数人の障害者がいる世の中になっている。
障害抜きで世の中は語れない時代になってきているのに、まだ知らん顔ばかり。
「少年計数機」はそういう意味でも駄作だ。
ネットで読んでいた小説もオトナ買いして今読み直している。
石田衣良。
この間、NHKの障害者何とか賞をもらった人。
池袋ウエストゲートパーク。
長瀬智也が主人公を演じたドラマは好きだ。
でも、気に入らないことが1つ。
文庫の巻末に書いている文藝評論家だかナンだかわからないオッサン達。
彼らはIWGPの中でも傑作は「少年計数機」だと言う。
私は1番の駄作だとずっと思っていたし、その考えはこれからも変わらない。
「少年計数機」の中に出てくる発達障害の子どもの描写が間違っている。
作者の発達障害の説明も間違っている。
LDは大学の教授でさえ「学校の勉強ができないこと」だと間違えている。
学校の勉強ができない子どもはたくさんいる。
LDは「学習」そのものに障害がある。
「学習」とは人間が人間である所以の大元だ。
小脳で生きることはできる。
人間が人間であるのは学習するからだ。
言葉を覚える、歯をみがく、服を着替える、遊びのルールを覚える・・・
人間の成長は全部が学習で成り立っている。
それが阻害される障害が学習障害=LDだ。
生活そのものの学習が遅れるのだから学校の勉強についていけるはずがない。
「少年計数機」の中の少年(正しくは学童)は、どう読んでもLDではない。
超軽度の自閉とアスペルガー+確実にADHDだと思う。
コミュニケーションがまともに(普通の人にはわからないと思うが)とれているのが、作者の誤解を表している。
発達障害はどの障害もコミュニケーションに1番の問題がある。
それに危機的状況の把握も難しいし、「暗号」など高度な解決策は無理だ。
普通の人(一応ここでは対比的に使うが、普通の人などこの世にいない)には思いつかないアイディアや思考回路を発達障害の子ども達は持っているが、作品の中に描かれた以上の解決策のはずだ。
「少年計数機」の中の少年を発達障害というならば、作者が描く池袋西口公園に集まるどこにもいけない少年達の方が発達障害の可能性が高い。
作者が揶揄的に「小脳で生きている」レベルの人間達だ。
私はLDの子どもを育てている。
現在進行形なのは、この障害には終わりがないからだ。
人間は人生が終わる瞬間まで発達し続ける生き物だからだ。
純文学がどうのではなく、石田衣良は悪文家だ。
それでも物語に引っ張り込まれる文章構成の良さ、ディティールの細かさなどがこの人の持ち味だ。
主人公の心の動きが今の若い人独特さを表しているし、どこにもいけない、どこにいったらいいのかわからない(オトナだってそんなこと知らない)から群れている若い人達がよく描写されている。
それでも、最初の情報収集が間違っているからどんなに作品全体が良くても「少年計数機」は駄作だ。
こんなに有名な、若い人が読む小説で間違った情報を書かないで欲しい。
フィクションでノンフィクションが困った状態になるのは間違っている。
今は見える障害よりも見えない障害の割合の方が多い。
石田衣良も書いているが、昔は無視されていた障害に名前がついたからというのもある。
しかし、昔は助からなかった赤ちゃんが助かるようになったというのが1番の理由ではないだろうか。
全く自分には関係ないと知らん顔して生きていても、周りには確実に数人の障害者がいる世の中になっている。
障害抜きで世の中は語れない時代になってきているのに、まだ知らん顔ばかり。
「少年計数機」はそういう意味でも駄作だ。
2009年12月3日木曜日
誕生日
昨日は子どもの誕生日だった
去年からは私が泣く日
あの子を産む時は21時間かかった
若かったことも
何も知らなかったことも
毎年思い出す
あの時の悔しさも
あの時の腹立たしさも
あの時の何もできないショックも
毎年思い出す
たとえ親子でも
たった今産んだとしても
もう人は違う人生を歩む
それをイヤというほど思い知らされた瞬間だった
そんなこと
普通の人は思い知らされないんだろう
だから平気で生きていけるんだろう
明日が必ず自分にも来ると信じて疑わないんだろう
明日どころか
次の瞬間が来る保障は誰にもないのに
生きることは
いつ死んでもいいこと
それが怖すぎて
皆、見ないフリ
去年からは私が泣く日
あの子を産む時は21時間かかった
若かったことも
何も知らなかったことも
毎年思い出す
あの時の悔しさも
あの時の腹立たしさも
あの時の何もできないショックも
毎年思い出す
たとえ親子でも
たった今産んだとしても
もう人は違う人生を歩む
それをイヤというほど思い知らされた瞬間だった
そんなこと
普通の人は思い知らされないんだろう
だから平気で生きていけるんだろう
明日が必ず自分にも来ると信じて疑わないんだろう
明日どころか
次の瞬間が来る保障は誰にもないのに
生きることは
いつ死んでもいいこと
それが怖すぎて
皆、見ないフリ
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