簡単に死ぬ方法を持っている人は
うらやま
なかなか死ねない庶民は
汚い死骸になるしかないのに
うらやまは
裏山と羨ましいのどっちなのか
わからないところがいい
裏山で死ぬことができたらよかったのに
私の病気はもう「治った」と医師が言う
症状があっても手術したのだから「他の病気を疑え」と言う
最後の砦と思っていた専門医に言われると
その言葉にはこれ以上ないくらいの絶望感がある
人格を否定するな、と世の人々は言う
では
生命を否定されるような言葉はどう処理したらいいのか
寄り添って生きてもらいたい訳ではない
治らないなら治らないでいい
症状に病名がないならそれでいい
ただ
治っていないのに「治った」と言わないで欲しい
理屈で説明できないことは
私が一番よく理解している
少々無理してでも働けるなら病院に行かない
障害者手帳も取らない
私は人生の整理整頓の為に生きたいだけなのだ
いつ死ぬかなんて私も知らない
でも
子どもの為にできる準備は全て終えてから死にたい
それだけ
だから
否定も我慢してみせよう
どう思われようが
私は事実しんどいから
姥捨て山の結末を
今の若者はどれだけ知っているのだろうか
年寄りの知恵を侮ってはいけないという教訓の話しなのに
結末を知らないで”姥捨て”という言葉だけが独り歩きして
老害という言葉を生み出してしまったように思う
確かに
権力の座に胡坐をかいて自身の非を認めない老人はいる
いるが
それは少数派であって大多数ではない
老害と簡単に決めつけて時代や人生の背景を知ろうとしない
そういう若者が将来の老害老人になるのではないのか
年を経った
それだけで尊敬する必要はないが
その人の人生経験を馬鹿にする道理はどこにもない
年齢=人生経験ではないことは百も承知
けれども
死んだ後まで罪を償えというのは
遺族感情至上主義にとって代わった日本の裁判制度では認められないのではないか
昔はおおらかだったが差別を堂々としていい時代でもあった
今は差別は地下活動化して表面的なおおらかさもなくなった日本
どちらがいいという話しではない
昔のおおらかさを取り戻し
適切な差別排除がなされなければ正常な社会ではないと言いたいだけ
どの時代のどの業界にも光と影があって当然
影を排除すれば光は失われる
光だけの社会は正常ではないことを誰も教えないから
歪んだ狭い見識しか持てなくなる
そういうことを遠回しに教える役目が昔話だったのに
誰も昔話をしなくなって何年になるのか
絵本や昔話を規制した結果
後世では今の時代を最悪の時代と歴史の教科書に載るかもしれない
道徳のない時代
人の心が1番狭くなった時代
冷静な分析ができる人が排除される時代
悪口や罵詈雑言が当たり前のように溢れる時代
こんな世界にしたのは誰だ
死者を冒涜するのはやめろ
例え罪を犯していても
もう償う術はないのだから
感情を他人にぶつけないように生きる
それが私の信じてきた処世術
嘘をつかないで
言いたくないことは言わない
これのどこが矛盾しているのか
若い頃の私には理解できなかった
言っても無駄なことはたくさんある
血縁だろうと他人だろうと
相手に伝わらなければ意味がない
私が期待する行動変化が相手になければ言っても無駄なのだ
私が優しいのではなく
理性的でも合理的でもなく
無駄なことはしたくないだけ
プロパガンダを叫ぶ人になりたくない
だからと言って
私にとって都合の悪いことはしっかり話す
相手が理解できる言葉で話すようにはしているけれど
それでも無駄な時がある
仕方がないから諦めて自分で処理するのが私の人生
結局は私以外の人に私の気持ちは理解できない
健康状態も理解できない
何も理解できない
私でなくても
誰であろうとそういう状態なのが現在の世界
理性に支配されるのではなく
理性的であろうとしていた
中道をいきたいと思っていた
最期の最後までできるかな
誰にも欠点はあり
私にもあり
他人様のことをとやかく言うことでもなし
だけど
他人様の言動が不愉快でストレスになるなら
それはもう私の健康問題であり
解決しなければいけないことになる
そういうことに時間を取られるのが勿体ないし
精神的にも圧迫度合いが高いので
避けられるなら避けることにして十数年
しかしもう私の健康は元に戻る方法をなくし
医師から見放された状態ということで
未練・・・想い?が蘇って潔さがなくなっている
会いたい
生きているうちに文句を言いたい
これだけは伝えておきたい
そういう欲が出て
通っていた学校の跡地や幼い頃の思い出の場所を巡りたいと思っている
生きているうちにすることは
手続きだけではないことに
今さら気づく
認知症になる前に片づけておく優先順位を変更します
この間
実家に行った
鍵が変わっていて入れなかった
やはり
私はどうでもいい存在なのだ
あの人達にとって
私の生死はどうでもよく無関係なことなのだ
勝手に心配して
勝手に行動して
黙って帰る
私の人生はこの繰り返し
何も期待しない
何もいらない
それでも
何かを欲しがっている
小さな女の子が私の中にいる
もう死んでもいいですか
そういう気持ちがむくむくと
もう苦しいのも淋しいのも終わりにしたいという
そういう気持ちがむくむくと
湧き上がるのを抑えられない
どういう死に方をするにしても
誰にも知られたくないというのは
我儘ですか
ただ
息子達よ
私を探さないで
死にたいのはもう
ずっとずっと前から
いじめをする人を見るのがしんどい
本人はいじめている自覚が全くなくて
遊んでいる感覚で意地悪をする
年齢的には大人なのに
同じ仕事をする仲間だからと言って
仲良しだとは限らないのは子どもと一緒
同じクラスだから
同じ班だから
それは仲良しではない
意地悪をした相手が笑っていると
相手も楽しいのだと勘違いしている
この人達は学生時代も同じようなことをしていたのかと想像してしまう
何も学ばないで社会人になったのか
何も学習しないで仕事をしているのか
意地悪は自分の親にも平気でする
その気持ちがわからない
親は躾を失敗したと後悔しているのだろうか
それとも
稼いでくる子どもを立派だと思っているのだろうか
どちらにしても
私には理解できない
そういう人達を私に見せないで
いじめている現場を見せないで
大人だからという言い訳を聞かせないで
世界中が幼稚で哀しいのに
これ以上しんどい思いをさせないで
死にたくなるから