2019年2月5日火曜日
生ききる
顔を見るだけで気分が悪くなる人がいるなんて
信じられない
他人で良かったと言う前に
自分の体調が如何に悪いのか
よく解った
人にはそれぞれの生活がある
全く同じ生活をしている人はいない
世界中どこでも同じ事だと思う
生活とは生命活動のこと
その国その地域によって変わることがあるはずだ
日本人はそういう意味で世界が狭い
とてもとても小さな自分と向き合う勇気がない人が多過ぎる
私に何が残せるのか
色々考えた末に彼女と同じ道を歩もうとしている
どんなに苦しかっただろう
どんなに大変だっただろう
彼女はそれでも生ききった
私は生ききる事ができるのかわからないけれど
彼女にできたのだから
たぶん私にもできるはず
これまでの人達がしてきたように
自分の人生を生ききる事が
今の私にできる精一杯の事
2019年2月3日日曜日
青空
私に友人はいない
親友が亡くなった時にダメージが大きかったから
もう親しい付き合いはやめようと思った
元々社交的ではない性格
社交家という言葉に違和感を覚える人間だからだ
それは嘘ばかりの世界
思いやりという言葉も少し間違えば押し付けになる
日本語は少しのニュアンスを大切に大切にしてきた文化
それを息子は感じることができない
永遠の思春期
今の子が使う比喩ではない言葉が息子に合う
それしか表現の仕方がわからない
青空が好き
いつまでも眺めていたい
この真っ暗な世界から青空を観るのは私の中の青空
そういうニュアンスを言葉を使わずに伝えられたら
私は少しは救われるのに
2019年1月29日火曜日
文章を書きたい
気持ちを落ち着けようと思うけれど
どうにもこうにもどうしようもない
私から文章を盗らないで
原稿用紙に直接書く握力はないから
どうしてもWordが必要
こうして書くだけで冷静になれるから
白内障で本が読めない
脊椎が悪くて歩けない
難病で絶対安静と言われて何もできない
パソコンで文章を書くことしか楽しみがない
息子に罵声を浴びせられても
私はどこにも行けない
テレビでドラマを観るだけの生活は3年で飽きた
何か別の新しい楽しいことを見つけたい
そんな矢先の息子からの・・・
息子からの、私への罵声
泣くのも体力がいる
眠れない
このまま心臓が止まっても悔いはない
もう生前手続きは半分以上済んでいるから
でも
あの子は一人暮らしができない
長生きしようとか
子どもの為に生きようとか
私の人生には私がいない
いつも誰かの為に
いつもいつもいつも誰かの為に生きていいる
自分の為に生きたいと思わなかった
もういい
私は私一人で死ぬことなんて怖くない
生まれた時から一人だから
死ぬ時も一人でいい
法律さえ守ってくれたら墓も供養も要らない
もう何も望まない
諦めることは上手だから
諦めたらいけないことはもう何もないから
私を自由にしてください
じゃばじゃばと雨が降る
何も映らない窓の向こう
じゃばっじゃばっと雨が降っている
青い空の下に壊れた雨が降る
灰色のどうどうという音を立てて雨が降る
申し訳なさそうに突っ立っているポプラの樹
寄り添うように震える染井吉野
どうどうと鳴って雨が降る
ブランコもすべり台もない小さな小さな公園は
じゃばじゃばどうどう忙しい
両手を広げてじゃばじゃばを受け止める
足元にはどうどうと流れる雨の大軍
行くあてのない旅路
じゃばじゃばどうどう
じゃばじゃばどうどう
ほら
私の景色
2019年1月24日木曜日
2019年1月9日水曜日
2018年12月28日金曜日
良いお年をください
「良いお年をお迎えください」
と他人に言うのは簡単
「良いお年を私にください」と言うのはとても難しい
誰にもわからない事を望むから言えない
のではなく
すごく簡単な事を望んでいるだけ
私に関わらないでください
私に文句を言わないでください
私に無関係な事で悩ませないでください
この3つだけ
穏やかで痛みの少ない日々を過ごしたい
できる事が少なくなっても私でいたい
息子達が同じように穏やかに過ごしてくれればいい
少しの試練くらいはあってもいいけど
乗り越えられない試練は要らない
私のような病気にならなければそれでいい
良いお年を私にください
2018年12月9日日曜日
2018年12月1日土曜日
おめでとう
明日は34歳の誕生日ですね。
どんな大人になっていますか?
人様に迷惑をかけて生きていますか。
間違えてもやり直す事ができる間は幸せです。
間違えても謝る事ができる間は幸せです。
間違える事を恐れるようになれば良い大人とは言えません。
そう、私のように。
あの時、意地を張らなければ今もあなたは私の側にいたでしょうか。
体も心も見えない今の状態に慣れる事はありません。
でも、あなたの誕生日は笑いましょう。
あなたが私の子どもで良かったと思うから。
いつまでもこっそり泣くのはやめましょう。
あなたが生きているならそれでいいから。
2018年11月12日月曜日
幼稚な成人
最近のドラマで描かれる成人した子どもの幼さに呆れている。
どうしてあんなに稚拙な方法で親に反抗するのか解らない。
脚本家の想像力が乏しいのかドラマを面白くする為に敢えて幼い幼児のような心理設定にしているのか解らない。
成人しているのだからもっと描き様があると思うのに。
今の私の楽しみはパソコンとドラマや映画を観る事しかない。
家の中の行動範囲ももの凄く狭い。
唯一の楽しみを稚拙な表現で台無しにしないで欲しい。
自分を振り返ってみればドラマの脚本や演出に文句を言えない部分もあるが
こっちは本物の人生をやっている。
少しは夢のある物語の世界に浸らせてくれてもバチは当たらないと思う。
脚本を書くなら心理学くらいは学んで欲しい。
子どもの心理的発達はそれぞれが経験するタイミングで大人が良い方向に導けば上手くいく。
逆のことをしても上手くいく事が多い。
子どもの育つ力は子どもの中にあるからだ。
してはいけないことは無視。
無視は子どもが育つ力を失くしてしまう。
ネグレクトが虐待の中に入っているのはそういう意味だ。
過保護よりも性質が悪いかもしれない。
成人しても人としては未熟なままの人間が多いのは事実。
まさに私がそうだから。
我慢ばかりの人生で自分を騙す事だけ上手くなった。
自分の気持ちを言えない大人は語彙が少ない幼児と一緒だ。
そんな親に育てられた息子達も語彙が少なく自己表現が下手だ。
まさに親子。
いっぱい喋るけれど自分の気持ちは他の表現方法に頼る人になってしまった。
ドラマの幼稚な成人子どもは全部が幼稚だけれど
私の子ども達は一部が幼稚なまま。
そう信じたい。
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