2010年11月25日木曜日

最悪な病院

に、入院していた。
体調が悪くなった時に自分で選んだ病院だったが、結局医師に見離された病院だ。
いいように言われて、「いつでも来ていい」と言われて、一旦通院をやめた病院だ。
治らない病気の患者にかける時間と手間が惜しかったのだと、今では悟っている。
研究する対象者でもない患者だったからだ。
そう、大学病院だ。

ただ、この間倒れた時は自分の意識がハッキリしていなかった。
子どもが救急隊にその大学病院の名前を言ったことは責められない。

そうそう、最悪なのは救急隊もいつも通り最悪だった。
意識レベルはそうたいしたことではないのに、人間の体の中で1番痛い痛点を何度も押した。
女性の体を男性の、しかも訓練された力で押すのだ。
激痛どころではない。
その時は意識はあったが、「痛い」と言うのが悔しくて黙って睨んだ。
何度も押すなっ!
アホッ!!!!!

大学病院に着いてからICUに運ばれたが、また医師に痛点を押された。
今度は医師相手なので「痛い」と言ったあげた。

救急で運ばれる度にいつも思うのは、真冬の寒い時期でさえ救急患者は裸にされることだ。
医療関係者は服を着ている。当たり前のことだ。
救急患者は、意識があろうとなかろうと裸にされる。
ほとんどの病院は経費削減のために夜間は冷暖房は切っているものだ。
これで風邪をひくな、という方が無理な話しだと思う。

前に救急で運ばれて病院でインフルエンザになってしまったこともある。
救急で運ばれた症状はたいしたことはなかったのにだ。
家に帰ってから寝込んで、近くの病院にさえ行けなかったと思う。

今回も裸同然にされ、一応病院のパジャマの上だけは着せられたが、バルーンを入れている下半身はおむつのまま丸出しだ。
おまけにICUは広いスペースをカーテンで区切っているだけの場所で衆人環視状態だ。
ファーラー位に保たれた私が見たのは、前の廊下(?)をたくさんの医師と看護師が通る様子と、カーテンの横でパソコンを打つ医師と看護師だ。
「寒い寒い寒い」と言い続けて子どもに着ていたパジャマ替わりのヨガパンツをはかせてもらった。
前のように風邪(インフルエンザ)になる訳にはいかない事情があったのだ。

本当に医療関係者の意識を疑う。
意識があろうとなかろうと、救急で運ばれた病気が何であろうと、人間の体は寒い場所で裸でいれば風邪をひくものだ。
1回体験すればいい。
どれほど寒いかを。
実習科目の中に入れればいい。
毎年の研修対象にも入れればいい。

とにかく、バルーンと酸素、点滴の3本のチューブでつながれた私はベッドの外には行けない状態にされた。
夜中の搬送だったので眠いのは当たり前のことだし、眠って何が悪い。
そんな状態で普通に朝食を出す医師の判断もあきれたし、アレルギーがあると言っただけで、アレルギーに対してだけ異常なほど神経質になった医師・看護師・管理栄養士が不思議でならない。
どうせ食べられないのに。
眠くて食べるどころじゃないのに。

それから退院するまで、私は教授の回診以外に医師と話したことはない。
いつも看護師と話しをして、その看護師から医師の無理解と怠慢の愚痴を聴き続けた。
主治医が誰なのか、何の薬が出ているのか、どうしてICUから重傷患者個室に移されたのか、点滴の中味は何なのか、いったい病名は何なのか、

一切全く説明がなかった。

インフォームドコンセントどころの話しではない。
看護師が患者の私に医師に直接訴えろと言うのだ。
医局を引き連れた教授様の回診時にそんなことが言える訳がない。
病室に来ない主治医にベッドから出られない患者が会いに行ける訳がない。
とんでもない病院だとしか言いようがない。

自分でトイレに行けると言い続けてバルーンをはずしてもらった。
食事はもともと少食だと言い続けて点滴をはずしてもらった。
酸素10リットルでも血中酸素濃度は98までしか上がらない体質だと言い続けて酸素をはずした。
細菌に感染しやすい体質なのに、ド下手な看護師ばかりで4日間で10回以上点滴の場所を変えた。
血管をまさぐるのはまだいい。
点滴の針を刺している場所が細菌感染して発赤しているのにほっとかれた。
おかげで両腕肘下は真っ黒になった。

1番最悪だったのは、バルーンを抜いた後に何も処置をされなかったので膀胱炎になったことだ。
退院間近ということで、排尿痛や尿の白濁、頻尿と残尿感を訴えて、抗生物質が欲しいと言っても、また医師に無視された。
看護師が言うには、主治医は救急の医師だからわからない、ということだ。
だったら無意味な耳鼻科受診などやめて泌尿器科に受診させてもらいたかった。

退院日も横の連絡がないことが露呈しただけで、看護師長だけが私の退院を知っていた。
全部自分で片づけて、医師を待っても来ない。
待っても来ない。
子どもが迎えに来ているのに、来ない。
もう、最悪な入院生活でわかっていたので実力行使に出た。
頻尿と排尿痛が続いているので、さっさと家に帰って予備の抗生物質を飲みたかったのだ。
実力行使とは、荷物を鞄に入れてベッドシーツを片付け、服に着替えて化粧をすることだ。
その化粧の最中に医師は来た。
主治医ではなく、いつもの教授様の回診だ。
鏡から振り向いた私を見て、教授様は「退院ですね」と一言。
それで全部。

医師軍団が去って、さっさと鞄を持って帰ろうとすると看護師長から声をかけられた。
「これ」と差し出されたのは1通の手紙。
『診療情報提供書』とある。
宛名は私の耳鼻科の主治医。
Why?
病名も使われた薬も主治医が誰かさえ知らない患者の個人情報が漏れている。
(お薬手帳だ・・・)
と、すぐに理解したが、ニコッと笑って受け取り、本当にさっさと病院をあとにした。

医事課で手続きをして外に出ると眩暈がした。
当たり前だ。
退院前日にやっと車椅子で病棟の外に出る許可を得て、退院したその日にトイレ以外で自分の足で歩いたのだから。
バスに乗ってもう1度大きな眩暈がした。
吐き気もした。
寒いICUと同様に、医療関係者の意識を疑う。
ベッドと自室のトイレの距離は2mくらい。
それ以外に歩かない日々を過ごして、急に歩いて家に帰れと言う。
1回やってみたらいい。
どれだけ体力が落ちているか、筋肉がなくなっているかを体験した方がいい。

家に帰ってから膀胱炎が悪化し、まともに家事もできない状態だった。
大学病院側の規則で、常用している薬は服用できなかった。
整形外科の薬を頼んだのに出してもらえなかったのもあり、首から下が痛みで麻痺したようになっていた。
週に1回神経ブロックをしなければ私は自分の体重を支えられない脊柱の持ち主なのに。


本当に最悪だった。
以前に事務方と口論したこともあるが、今だに医局をひきつれての教授の回診なんて古過ぎる。
全く何の説明もない、料金の支払い方法だけはしっかり伝える、その大学病院は絶対信用しない。

神戸大学医学部附属病院

命さえ助ければいいんでしょ態度の病院。
絶対行かない。