2010年2月25日木曜日

胃けいれん

法的に親子の縁を切るのは簡単だ。
けれども、感情がついていけないのだと思う。
胃けいれんがきた。
激しい痛みだった。
よくガマンする方だと思う私でさえ声が出た。
救急で、全く知らないけど、ヤブで有名な病院に行かざるを得なかった。
今さら医者に「親に捨てられたストレスが原因」なんて言えない。
ホンマにヤブ医者やったし。
ボケナースやったし。
誰が全く信用できない医者の処方した薬なんか飲めるもんか。
おかげでまた周りの人に迷惑をかけてしまった。
ごめんなさい。

大切な大切な節目の日があるから、漢方で治します。

2010年2月20日土曜日

重症

を、心に負った。
この3日間は泣きっぱなしだ。
最初の1日目は号泣した。
それほどの重症だ。
今も泣きそうで怖い。
一昨年から泣くことばかりで、つらい。
人生の晩年になろうとしているのに、これほど泣くことがあるとは思わなかった。
心が痛い。
心が痛い。
心が痛い。



一昨日から左の股関節も痛い。
右の股関節痛が治ったと思ったら左だ。
明日は杖をついて仕事に行こう。

2010年2月11日木曜日

突然なのか

また食べられなくなった。
少しずつ自分のリハビリ計画に添って改善していたのに。
食べ物を見ると吐きそうになる。
頑張って食べてもバナナ半分もいかない。
大好きなケーキも半分いかない。
1日の総カロリーが500を切っている。
この状態でもう5日目。
昨日の晩はスーパーのお寿司が食べられたけれど、気持ち悪くてしかたがない。
バランス飲料と利尿剤代わりのコーヒーだけは何とかなる。
最初の1日で1kgの体重減。
でも、その後は少しずつしか減っていないから前よりはマシかな。
ちゃんと動く理由が今はあるから、筋肉が落ちてないんだと思う。

これは、昨年末からの母や姉妹のことが原因かもしれないけれど、そう思いたくない。
私の無意識の領域からの警告のような気がする。
心身症と言ってしまえばそれまでの話し。
持病の悪化なのかわからないからもう少し様子を見る。
ここらへんが医師が私を理解できない部分なのだけれど(笑)。
このまま死に至っても全然後悔はないし。
散らかり放題の家もどうでもいい。
仕事も後のことはしてくれる人はいる。
父の遺産相続の件も全部終わった。
もう私には何も未練はない。
迷惑をかけるのはお互い様。
それが子どもだけで済むのがたった1つの願い。
悲しませることはわかっているけれど、これだけは仕方がない。
他の誰よりも悲しませたくない人に悲しい思いをさせてしまうのは仕方がない。
生きているいる限り死ぬことが決まっているから。

2010年2月4日木曜日

不思議な空間

この間、父の遺産整理の最後の分が残っていたのを見つけて整理しに行った。
(恐ろしいことに我が一族は代々相続というものをほったらかしにするのが習慣だったのだ。おかげで江戸時代まで遡って遺産整理をするハメになり、足掛け3年の年月を費やした)
家の前からタクシーに乗ると、不思議な事にタクシーの運転手は私のかつての通学路を進んで行く。
目が釘付けになった。
何もかも変わってしまったと思っていたけれど、学生の頃にあったお店を見つけるとホッとした。
でも、やっぱり変わってしまった場所の方がだんとつに多い。
悲しい気持ちで涙が出そうになった・・・。
父の最後の遺産整理が終わって、今度はタクシーではなく電車に乗るつもりで駅に向ったら、そこも随分変わっていた。
ビックリしたし、たまに買っていた靴屋さんがなくなっていることにちょっとチクンとした。

子どもの頃、私はよく異空間に入ることが多かった。
それは、子どもなら誰でも経験のある事で、何もおかしいことではない。
ただ、他の子どもよりは私は異空間に行くことが多かったかもしれない。
今頃、父の最後の遺産整理の分が出てきたこと。
タクシーが通学路を走ったこと。
もう、異空間に入れ、と言われているようなものだ。
私の中で、たぶん、数え切れない感情と無意識からの奔流があったのだと思う。
常にない疲れ方だったからだ。
母や姉妹の言動などどうでもよくなったくらい、私は私の無意識からの奔流の方が大事に思う。
こういう体験ができる私はしあわせだ。
よかった。