お誕生日おめでとう
あなたは何をして生きていますか
今年は少しだけ
15年ぶりにあなたの噂を聞いたので
少し安心しています
生きているだけで
もうそれだけで
そう思いながらの15年でしたから
家族って何でしょうね
親子って何でしょうね
今年から
そういう話しをする機会を得ました
旅立つ準備の一つとして
終活の一つとして
これはとても大切な作業だと思います
いつかあなたに話せたら
と夢をみて
もう一人とのお別れの準備もしています
自分で死ねるのなら自分で死にたい
それは今でも変わりません
8月8日(火)19時過ぎ 実家で末っ子と面会・仏壇にお参り
ひどい誤解と中傷を受ける
8月13日(日)15時より墓参
今まで来られなかったことを涙ながらに謝罪
8月14日(月)
ヘルパー休みで洗濯・片づけ
8月16日(水)
外出してカウンセリングを受ける
ヘルパーより移動支援の待機時間について上司からの言伝を聞く
8月17日(木)17:23 通院介助契約事業所サービス提供者より電話あり
移動支援待機時間の事業所規定について話しをする
話しの途中で突然後頭部より激しい頭痛発症
その後、救急搬送
これは8月8日からのストレスも関係あると考えた方がいいパターン
私にとって血縁は病気を誘発するほどのストレスなのだ
全く理解されない
勝手な憶測で誹謗中傷
まるでネットの世界ではないか
それを3歳からされている私が
死んでない方が不思議
もう誤解を解く気力もとっくに失せて
言い訳としか受け取られないことも解っていて
それでも腹が立つこの感情をぶつけたい欲がある
どうしたものか
この感情
55年以上恨み続けている
誰も私の気持ちを想像しようとしないから
加害者から被害者の私への罵詈雑言
耐えられずに携帯を着信拒否したことさえ
加害者側が被害者面して私を罵る
私が実の両親に会いたいと思ったらいけないのか
墓参りに行きたいと思ったらいけないのか
私だけが何故被害者なのか
加害者側は何も考えない想像しない無知だ
どんな親であれ私の親だ
加害者達のようには思っていない
言いたいことは死ぬまでに本人に言うのが私の信条
それを実行したいだけ
あんた達には何も関係ない
私が私の子どもの心配をしたら我儘なのか
普通に心配する権利さえ私にはないと言うのか
何も知らないくせに
何も知ろうとしないくせに
私を女中か下僕のように扱っておきながら
悪いことは全部私の責任なのか
あなた達の人生なんて知らない
あなた達が私の人生に全く興味がなかったように
私も加害者のあなた達の人生に何があろうと知ったことではない
それを踏まえて
中立的に法的処理をしたいだけのことを
無知なあなた達はまるで私が間違っているように責める
法律を無視して何も良いことはないことは
私が遺産相続整理をした時にわかっていたことではないのか
勝手にすればいい
あとで法的根拠のないことを後悔すればいい
お互いに対等な立場で話し合えないなら
数十年後に自分の子ども達に迷惑をかければいい
私は自分の子どもにそんな迷惑はかけない覚悟があるから
話し合おうとした
それが事実であって加害者達の想像より強い証拠
法廷で会いましょう
子ども相手にみっともないことをした
自分の年齢、経験、積み重ねた知識、知恵、
全部を台無しにするところだった
仕事をすることはもうないけれど
資格に関する守秘義務や倫理要綱は守っていこうと
それが賢い生き方だと
でも
今の世界は生きづらい
こんな惨んだ世界で生きているのかと
日本の子ども達への同情から
またお節介をして自分を傷つける私
相手の気持ちを理解できる大人になるために子ども時代はある
お互い様という気持ちを大切にできるようになるために勉強する
社会に出てからでは遅いことを学ぶ時間が子ども時代
今の日本にはそれがない
嘘と噂と個人の見解しか通用しない世界は地獄だ
本当のこと、事実を見ないで判断するのは危険だ
という意味では
大人も馬鹿ばっかり
子どもの機嫌取りをして少子化が止まるはずがない
少ない人口を当てにするより
確かな見解をもった大人を優遇した方が国は滅ばない
障害者をないがしろにする国は
本当にみっともない
少しでも何か恩返しをと思って
でも
若い人達は馬鹿ばっかりで
話しをする気にならない
どの世代にも馬鹿はいるけど
許せる人がいないのは初めてだ
私が死にたいのは
未来がないからでも
病気だからでも
絶望したからでもない
生きたくない
それだけ
頭の上にミサイルが落ちてくる恐怖はないけど
一瞬で死ねるのは羨ましい
誰だかわからなくてもいい
その方がラク
人間なんて皮をむけば美人もハンサムも一緒
外見で判断するなら目だけで十分
それも開いていればの話し
どんな生き方をしたか
どれだけ満足な人生を生きたか
それが一番大事
こういうことがわからない人が多くてウンザリだ
生まれ変わったら
もうこの体はいやだ
馬鹿の仲間入りをしてもいいから
体は元気な方がいい
矛盾している
見下してはいない
事実を言っているだけ
そして馬鹿者に疲れているだけ
心が狭い
余裕がない
死にたい
体調を崩す日が多くなっている
今年も当日に書くことができなかった
もう17年です
あなたはもうすぐ40歳ですね
幸せな生き方をしていれば良いですが
そうでなくても私はあなたの人生を否定しません
だって
地球上の人全員があなたの敵になっても私は味方でいると
そう誓ったから
あの日から
毎年泣いてしまう日でしたが
体調が悪いおかげで泣くことができません
死にたいという気持ちも
とりあえずは横に置いておくことができます
自分で死ねない病気も
あって良いものですね
他人に迷惑をかけても
皆に嫌われても
誰もあなたを愛さなくても
どうか生きてください
勝手に私が愛していますので
人にはその人の正義があって
それが職業正義であったとしても
根本的には個人の正義
行きつく先はその人の正義
私には私の正義があるけれど
他人に押しつけないように気を遣っている
明らさまに態度に出さないことが私の正義
時に人は
職業正義を依頼人の希望だと誤解する
そういう誤解は
放っといていいものと解かないと面倒くさいものがある
今回はたぶん
解かないと面倒くさい分になる
でも
無関係な相手が勝手に誤解したことを
何故私が心を砕いて誤解ですと言わなければならないのか
わからない
そして
そういう相手に嫌がらせをしようとしている黒い私がいる
話せば話すほど誤解されるなら
メモを渡すという方法がある
しかし
用件だけのメモ関係にするには
関係してきた年月が長すぎて惜しい
どうして人は自分の正義から出ることができないのか
正義は人それぞれあって
悪でないなら全て正義なのに
他人の正義を認めないのは硬直している
方法論としての正義と人道的な正義が混ざることはないと
どうして理解できないのか
間に挟まって差別的な態度を取られる私は
もうしんどい
人生の最後なのに
好き好んで事故に遭った訳ではないのに
専門職同士の意見の相違を
被害者の私が何故調整しなければならないのか
理不尽だ
楽しい時間を過ごしたいから専門職に委託しただけなのに
とっても理不尽だ
私の病気はもう「治った」と医師が言う
症状があっても手術したのだから「他の病気を疑え」と言う
最後の砦と思っていた専門医に言われると
その言葉にはこれ以上ないくらいの絶望感がある
人格を否定するな、と世の人々は言う
では
生命を否定されるような言葉はどう処理したらいいのか
寄り添って生きてもらいたい訳ではない
治らないなら治らないでいい
症状に病名がないならそれでいい
ただ
治っていないのに「治った」と言わないで欲しい
理屈で説明できないことは
私が一番よく理解している
少々無理してでも働けるなら病院に行かない
障害者手帳も取らない
私は人生の整理整頓の為に生きたいだけなのだ
いつ死ぬかなんて私も知らない
でも
子どもの為にできる準備は全て終えてから死にたい
それだけ
だから
否定も我慢してみせよう
どう思われようが
私は事実しんどいから
姥捨て山の結末を
今の若者はどれだけ知っているのだろうか
年寄りの知恵を侮ってはいけないという教訓の話しなのに
結末を知らないで”姥捨て”という言葉だけが独り歩きして
老害という言葉を生み出してしまったように思う
確かに
権力の座に胡坐をかいて自身の非を認めない老人はいる
いるが
それは少数派であって大多数ではない
老害と簡単に決めつけて時代や人生の背景を知ろうとしない
そういう若者が将来の老害老人になるのではないのか
年を経った
それだけで尊敬する必要はないが
その人の人生経験を馬鹿にする道理はどこにもない
年齢=人生経験ではないことは百も承知
けれども
死んだ後まで罪を償えというのは
遺族感情至上主義にとって代わった日本の裁判制度では認められないのではないか
昔はおおらかだったが差別を堂々としていい時代でもあった
今は差別は地下活動化して表面的なおおらかさもなくなった日本
どちらがいいという話しではない
昔のおおらかさを取り戻し
適切な差別排除がなされなければ正常な社会ではないと言いたいだけ
どの時代のどの業界にも光と影があって当然
影を排除すれば光は失われる
光だけの社会は正常ではないことを誰も教えないから
歪んだ狭い見識しか持てなくなる
そういうことを遠回しに教える役目が昔話だったのに
誰も昔話をしなくなって何年になるのか
絵本や昔話を規制した結果
後世では今の時代を最悪の時代と歴史の教科書に載るかもしれない
道徳のない時代
人の心が1番狭くなった時代
冷静な分析ができる人が排除される時代
悪口や罵詈雑言が当たり前のように溢れる時代
こんな世界にしたのは誰だ
死者を冒涜するのはやめろ
例え罪を犯していても
もう償う術はないのだから
感情を他人にぶつけないように生きる
それが私の信じてきた処世術
嘘をつかないで
言いたくないことは言わない
これのどこが矛盾しているのか
若い頃の私には理解できなかった
言っても無駄なことはたくさんある
血縁だろうと他人だろうと
相手に伝わらなければ意味がない
私が期待する行動変化が相手になければ言っても無駄なのだ
私が優しいのではなく
理性的でも合理的でもなく
無駄なことはしたくないだけ
プロパガンダを叫ぶ人になりたくない
だからと言って
私にとって都合の悪いことはしっかり話す
相手が理解できる言葉で話すようにはしているけれど
それでも無駄な時がある
仕方がないから諦めて自分で処理するのが私の人生
結局は私以外の人に私の気持ちは理解できない
健康状態も理解できない
何も理解できない
私でなくても
誰であろうとそういう状態なのが現在の世界
理性に支配されるのではなく
理性的であろうとしていた
中道をいきたいと思っていた
最期の最後までできるかな
誰にも欠点はあり
私にもあり
他人様のことをとやかく言うことでもなし
だけど
他人様の言動が不愉快でストレスになるなら
それはもう私の健康問題であり
解決しなければいけないことになる
そういうことに時間を取られるのが勿体ないし
精神的にも圧迫度合いが高いので
避けられるなら避けることにして十数年
しかしもう私の健康は元に戻る方法をなくし
医師から見放された状態ということで
未練・・・想い?が蘇って潔さがなくなっている
会いたい
生きているうちに文句を言いたい
これだけは伝えておきたい
そういう欲が出て
通っていた学校の跡地や幼い頃の思い出の場所を巡りたいと思っている
生きているうちにすることは
手続きだけではないことに
今さら気づく
認知症になる前に片づけておく優先順位を変更します
この間
実家に行った
鍵が変わっていて入れなかった
やはり
私はどうでもいい存在なのだ
あの人達にとって
私の生死はどうでもよく無関係なことなのだ
勝手に心配して
勝手に行動して
黙って帰る
私の人生はこの繰り返し
何も期待しない
何もいらない
それでも
何かを欲しがっている
小さな女の子が私の中にいる
もう死んでもいいですか
そういう気持ちがむくむくと
もう苦しいのも淋しいのも終わりにしたいという
そういう気持ちがむくむくと
湧き上がるのを抑えられない
どういう死に方をするにしても
誰にも知られたくないというのは
我儘ですか
ただ
息子達よ
私を探さないで
死にたいのはもう
ずっとずっと前から
いじめをする人を見るのがしんどい
本人はいじめている自覚が全くなくて
遊んでいる感覚で意地悪をする
年齢的には大人なのに
同じ仕事をする仲間だからと言って
仲良しだとは限らないのは子どもと一緒
同じクラスだから
同じ班だから
それは仲良しではない
意地悪をした相手が笑っていると
相手も楽しいのだと勘違いしている
この人達は学生時代も同じようなことをしていたのかと想像してしまう
何も学ばないで社会人になったのか
何も学習しないで仕事をしているのか
意地悪は自分の親にも平気でする
その気持ちがわからない
親は躾を失敗したと後悔しているのだろうか
それとも
稼いでくる子どもを立派だと思っているのだろうか
どちらにしても
私には理解できない
そういう人達を私に見せないで
いじめている現場を見せないで
大人だからという言い訳を聞かせないで
世界中が幼稚で哀しいのに
これ以上しんどい思いをさせないで
死にたくなるから