2009年11月21日土曜日

意外

・・・な事に、手話講座の「お仲間」から電話がかかってきた。

来週が最後なので、茶話会を開きたいという事だ。

先生方にお礼も、という事らしい。

こういうのは断らない主義にしている。

長いものには巻かれる必要がある時だってある。

どうしても断らなければならない時は断るし、それがオトナのルール。

今さら私の事をどう思っていようが関係ないし。

私はろうあ連盟が嫌いなだけであって、人が嫌いなワケではない。

手話は続けていこうと思っているし、認定試験も受けようと思っている。

(いつになるかわからないけどね)

手話は、古い言語の特徴満載(笑)。

インクルージョンとか全く関係なく成立している。

世界共通言語になり得るというのは、私の幻想だった。

音声言語でなし得ないのに、無理。

私の理想を押し付けて悪かったとまで言っていい。

手話は聾唖者だけの言語であり続けるのだろう。

それがアイデンティティとつながってしまっているから。

ともかく。

もう1回だけ「お仲間」と付き合う事にしよう。

根っから悪い人はいないのだから。

2009年11月8日日曜日

そうなっていた

「空海」の物語を読んでいる最中にTV番組で唐招提寺のスペシャルを観た。

観た・・・と言っても、水曜日に録画していたのを昨日やっと観たのだ。

偶然にしては、あまりにもタイミングがよすぎる。

私にはこういうことがよくおきる。

何かに没頭したり傾倒したりしている時にその情報が入ってくる。

小さいときからそうだったのかは覚えていない。

中学くらいから

「そうなのかな?」

というカンジはしていた。

離婚してからハッキリ自覚したように思う。

私は私の意志で何かを決定するけれども、

自分の人生は自分で選んで生きているけれども、

困っている時は助けてくれる人が現れたり、

知りたいことがあるのに自分で調べられない時はそれがむこうからやってくる。

チャンスを活かしている、という見方もできるけれども、

何かが「そうなっているのだ」という気もする。

厳密に言えば私は私ひとりで生きている訳ではないからだ。

孤島に1人でいる訳ではないからだ。

だから

「そうなっていた」ことに出遭うと自分が崩壊しそうになる。

地球を飛び出して宇宙に抱かれている気がする。

全然知らないマクロの宇宙に。

細胞の中に抱かれている気もする。

ミクロの世界に。

こんな気持ちは誰かに言うわけにはいかない。

表現のしようがない。

だから変人のままでいい。

2009年11月7日土曜日

あと3年

は、生きようと思う。

体はどんどん使えなくなっているけど。

自分で学んだリハビリは続けてあと3年は生きようと思う。

あせらないで旅立つ準備をゆっくり3年かけてしようと思う。

体の調子がいい時に。

心の調子がいい時に。

子どもにはさよならを。

待っている人には待たせたねと。

サッパリ言いたい。

2009年11月3日火曜日

反撃

女王様の反撃にあってしまった。

と言うか、手話教室全体の反撃。

私は周りの人間なんてどうでもいい。

自分さえよければそれでいい。

ただ、間違ったことを何も知らない人に教えるのがガマンできなかっただけ。

小さなことに捕われて生きる人達だなぁ、と思う。

先生も生徒も主催者も。

私を見世物にするのはそんなにおもしろいですか。

何も言い返せないと考えてそんなことをしたんでしょう?

私が言い返せない訳がないと思わないんですか。

あなた達よりはるかに長い時間勉強して身につけた知識があるんですよ?

あまりにも全員が幼稚すぎて呆れました。

ええ大人がすることじゃありません。

手話を習う目的まで押し付けるのはそちらの常識ですか?

ろうあ者と会話がしたくて習っている人ばかりじゃないとわからないんですか。

少数派を認めないあなた達は

「少数派だから差別されてきた」と言う資格はありません。

私はもう呆れかえって何も言いたくありません。

言っても聞く耳持たないでしょ?

わ・ざ・と・言い返さなかったんです。

もう習うことはないし行きたくない。

面倒くさい。

わざわざ視野の狭い人間とつきあう時間がもったいない。

手話は

私が言いたいことに使います。