2009年6月30日火曜日

複雑なようで

昨日、

そー言えば彼女のことを思い出すことが減った

とゆーことに気がついた。




あの、突然思い出して号泣するような発作的な感情の乱れもなくなった。




静かに静かに沈殿していくように、

心の深い部分に彼女は移動していくのかもしれない。







人の心は複雑なようで実はそうではない、

けれども、理解不能なもの。

と、自分自身の心の変化や他人様の心の変化を見てて思う。




パターンは確かにある。

あるけれども、未来は未来。

その通りに心や体が動くとは限らない。

限らないからこそ成長がある。





だから、

いつも同じパターンで言動の変化がある人はわかりやすい。

次の言動も予測しやすい。

年齢に関係なく。






彼女は予測が成り立たない人だった。

同じ言動を繰り返しているにも関わらず、

私には予測できないことが多かった。

だから彼女といるとおもしろかったのかもしれない。

彼女の死も全く予測してなかったわけではないけれど、

こんなに早く訪れるとは思っていなかった。

だから後悔している。

だから少し怒っている。

「どうして私を呼んでくれなかったの」と。






この複雑なようで、たぶん永遠に簡単なことは

私から消えることはないと思う。

2009年6月26日金曜日

いやいや・・・

毎回思うのですが、

手話って 要は伝わればいい 世界なんですよね~ (。-_-。 )

職業柄、普段から顔に感情を表さない私にとってはこれが一番難しい・・・。

意識して感情を隠すのではなく、もう自然に普段は「無表情」か「笑顔」の私。

感情をむき出しにするのは、よっぽど情緒不安定か家族の前だけなんですよねぇ・・・。

それに加え、顔は変化のわからない作りになっておりますよ、はい。

子どもの時から親に「何を考えているのかわからない」と言われ続けてきたくらい、

顔に表情が出ないんですよ。

困ったねぇ・・・(ToT)

手話がきちんとできなくても、顔の表情だけで伝わる人が羨ましいです。

でも、その人はいつも感情丸出しなんでしょうねぇ・・・と思います。

人の性格や生きてきた環境や関わったことでそれぞれ違うから、

手話という言語は難しいのかな・・・と思いました。

2009年6月22日月曜日

やっと・・・

6月に入ってから体調が悪くなる一方で遊びまくった私が悪いのはわかってる。

だけど、しんどい・・・。

心臓に負担がかかっているのはよーくわかるだけに、やりたい事を優先させてしまう。

いつかは今かもしれないと思うと何かしていないと落ち着かない。

いつかを恐れている訳ではないけれど、

いつかは必ずやってくるけれど、

もう少し時間をください。

やりかけの事が終わったらOKだから。

もう少しで全てが終わるから。

待っててください。

2009年6月20日土曜日

何がなんだか

えーと、わかりません。

ちょっとビックリなことが続いてて、体も心も追いつきません。




手話講座で今月同じグループになったおばちゃんがいてはるんですが、

毎回毎回、ブツブツ愚痴を横で言うんですよ。

いったい私にどうしろと?

・・・という場面も毎回あるワケです。

で、この間の講座終わりに(たぶん、わざと)私に聞こえるように言いはった。

「保育所のお母さんで耳が聞こえない人おるけど、手話使わへんで」

・・・って、何回も言わんでも聞こえとるっ!

しょうーがないから言いましたよ・・・。

「保育所にお勤めですか?」

(とたんに機嫌がよくなるおばちゃん)

「そう、朝だけね」




・・・パートかい・・・。

そのお母さんとコミニュケーションしたくて手話を習ってるワケではなさそう・・・。










体にしょうがいがあっても他人からはわかってもらえないツラサは、

私はよーーーーーーーーっく知ってる。

今さらながらに、

「無知の罪」を考えてしまう。

「知らない幸せ」に浸かってる人に何を言うても無駄。

「知る幸せ」を無視する人に何を言うても無駄。

「知らない幸せ」にずっと浸かっていたかったよ、私も。









そんなこと言うても、また来週にはあのおばちゃんに会うことになる。

ただ手話を習いたいだけやのに、

どうして私は「愛すべき人」に寄りかかられるんだろう・・・。

ま、

今に始まったことじゃないからええけどね。

2009年6月16日火曜日

子どもの気持ち

人は年を重ねるほど「子どもの気持ち」がわからなくなるみたい。

私は両親のおかげで、3才の時に自分に誓った。

「子どもの気持ちがわからない大人にはならない」と。





大人になって気がついたことは、

「子どもの気持ちがわかる大人」は

「わかっていると思い込んでいる大人」と「わかったふりをしている大人」と「わからないけれどわかるように努力している大人」と「子どもの気持ちのままの大人」がいるということ。





私はいったいどれなのか。

自分ではわからない。

たぶん

「わからないけれどわかるように努力はしてきた大人」だと思う。





「してきた」ということは、「もうしたくない」という思いが隠れている。

しんどいのだ。

親に愛されなかった子どもがもう十分努力したから

こういう思いが出てきたのかもしれない。





だけど、3才の誓いは守りたい。

子どもの気持ちがわからない大人には

絶対なりたくない。

2009年6月14日日曜日

日光

昨日、紫外線アレルギーなのに「日光」に当たってきました。

ちょっとしたハプニングがあって、例のアメリカのおじ様と一緒にアメフトの試合を観ることになってしまいまして・・・。

「紫外線アレルギー」っていう英語を知らなかったばかりの、ある意味悲劇ですが。

何でも観るのは好きなので、観戦は楽しかったですよ、ホンマに!

ルールわからなくてもスポーツは楽しい!!!




ただ、ひとつだけイヤだったのは・・・

帰りに寄った小料理屋さんでイヤミな人と隣り合わせになってしまったこと。

いちいち気にさわるから、もう思い出したくないっっっ!!!!!

・・・ってくらい、イヤミなおじさんでした。はい。

あんな人が高校教師だなんて、生徒の皆様に同情いたします・・・。




久しぶり(って4年くらい?)に3時間ほど日光に当たって、しっかりアレルギー出ました(ToT)

暑いのに長袖着て日焼け止め塗って日傘さして頑張ったのに・・・。

体温調節もできないから、スタジアム出る時はフラフラでしたよ・・・。

しんどすぎて眠れませんでしたよ・・・。




でも楽しかったからOK(。・_・。)ノ

2009年6月11日木曜日

面倒

いつものことながら、

普通の医師からは

あきれられる。

神経質だと言われる。

必要ないと言われる。





私が私のために記録している「健康記録」を。





誰のせいで記録をつけるようになったのかを言えば、

絶対に「かばいあい」が始まるから言わない。





究極的に言えば

イシカイのせいなんだけどね。









たいがいの医師は、

病気の人は客観的に冷静に自分の体の状態を把握できないと

思い込んでいる。

でも、

私は無知な母のおかげで

小さい時から自分の命は自分で守らないといけなかったから

客観的に冷静に自分の体の状態を把握する習慣が身についている。

それは

私にとって当たり前のことで必要なこと。







「全員同じ人間なんていない」

という

当たり前のことを普通の医師に学んで欲しい。

神経質という言葉は

もっと信頼関係を結んでから言う言葉。

(信頼関係なんて結べないけどね)





「命を救う仕事」と言うからには、

本当に命を救ってください。

救うことができなかった命の重さを

忘れないでください。

「仕事」なんだから、

感謝されて当たり前じゃないよ。

2009年6月10日水曜日

ぶりかえし

自分でリハビリ計画立てて

1年かけて

がんばったのに

去年と

・・・正確に言うなら

7年前と

同じ状態に戻ってしまった









私は「血」に弱い

「血のつながり」に弱い

だから

しんどい

体も心も

はさみうち

2009年6月6日土曜日

してあげる人間

は嫌い。

何でも「してあげる」「してあげる」って言うの、恥ずかしくないのかな?

「してあげる人間」は「してあげた人間」に変身するから嫌い。

あたかも自分はスゴイことをしましたって言ってるの、わからないのかな?







人は、見返りを期待した時にいやらしくなる。

ドスケベな人間になって、他人に迷惑をかける。

それがわからないから「してあげる人間」はタチが悪い。







「してあげる人間」は「なんでしてくれないの人間」の悪口を言う。

「なんでしてくれないの人間」は2種類いることを知らないから悪口を言う。

本当に必要なのに自分でできないから他人(行政)に頼るしかない人と、

必要だけど「してあげる人間」がしゃしゃり出て自分でする必要がなくなった人。







どっちもどっち。

だけど「してあげる人間」の方がタチが悪い。

その、タチの悪い「してあげる人間」から変身した「してあげた人間」に

今は『血縁』というだけで縛られている。







「してあげたのに、なんでしてくれないの!」

これが変身の最終段階。

こんな人間には絶対なりたくない。

だから子どもの時から他人を手伝って、最終的に上手くいかなかったら

「自分が悪い」と思ってきた。

「してあげたのに」と思えばどんなにラクに生きることができただろう。

こんなに自分を責める生き方をしなくてすんだかもしれない。







「してあげる人間」→「してあげた人間」→「してあげたのに人間」

うん。

この順番は間違いないと思う。

2009年6月4日木曜日

アカンて

って、もちろん手話です。

初級は初めての人ばかり(のはず)なので、皆できなくて当たり前。講師の人が「聾唖障害」を広報するのも当たり前のことだったのかもしれません。

が、

中級はそうはいかない。

日常会話くらいはできる人とそうでない人にハッキリわかれます。(私はもちろんできない方)

文法は得意なんだけど、単語を自分で調べるには辞書を買うしかない・・・。

でも、DVDの方がわかりやすいかもしれない・・・。







「オレンジデイズ」というドラマがありました。

あれは私でも理解(読解)できるくらい簡単な手話を使っていました。

でも、「手話ニュース」は理解できない。

本当に聞こえない人用の情報提供だからでしょう。

私の目標は「手話ニュース」を理解できるようになること。

私が言いたいことを伝えられても、相手の言いたいことがわからないと、結局は自分の意思に反する結果につながると思うからです。

ね、自己中。

最後は自分のため。

自分のためにやってることだからササイナ人間関係なんて無視!無視!!





人は人種も国籍も健康も関係なく「人」です。

しょうがいがあろうとなかろうと、人としてしなきゃいけないことはやらないといけない。

どんな条件の中であっても「人」であるからには死ぬまで努力しなきゃいけないことがあるはずです。

そうしない大人が増えて

最近は口うるさいオバハンになってる自分がイヤな今日この頃・・・。

2009年6月2日火曜日

ちょっと

他人に彼女のことを少しずつ言えるようになってきました。

まぁ、直接的な関係ではない人に、ですけれど。




よく考えたら、私は彼女に何もしなかった。

おすそわけとか、お土産とか、誕生日のケーキとか、

よくある物々交換(「おつきあい」とも言うけどね)だったり、

ボケとツッコミ漫才(井戸端会議とも言うけどね)だったり、

一緒にランチだったり・・・。




いらん事ばっかりして迷惑かけ通しで、

彼女は先に逝ってしまった。

どうしても

どうしても

どうしても

自分を責めてしまう。




ほんまにごめんね。

いつもいつも

余計な気ぃ使わしてたよね。

泣いて

泣いて

泣いて

泣いて謝っても

あなたは帰ってこない。











会いたい。

会いたくてたまらない。

どうしよう。