2010年9月20日月曜日

いつも最後には

私という人間は透明人間のように扱ってもらえたら嬉しいと思う。
「いてもいなくても一緒」と言われ続けた私の自我はそう願っているのだと思う。
いつも最後にはBad Endingしかむかえられない私の人生。
それでも幸せなのか?と訊かれる私の人生。
若い時は自分なりに努力すればなんとかなると思っていたけれど、
なんともならないということが良くわかった。
努力は報われることもあるけれど、私は報われない確率の方が高いみたい。

赤の他人にどうしてここまで嫌われなくてはならないのか、わからない。
私は一生懸命考えたし、理解しようと努力したし、自分の時間や体力を削ってまでつきあってきた他人にばかり後足で砂をかけられるような目に遭う。
「つまりは利用されているのだ」
そんなことわかっている。
全部相手に合せるようなことはしていないけれど、私の悪口を言っても、それは私を思ってのことだから何も感じなかった。
私がその人の悪い部分を指摘するといっぺんに逆の結果になる。
嫌われる。
恨まれる。

一体私を何だと思っているのか、こちらが訊きたい。
便利な歩く辞書?
いつでもニコニコ問題解決を手伝ってくれる便利屋さん?
誰にも言えない差別言葉の羅列の愚痴を聴いてくれる痰ツボ?

もう嫌。
私があなた達のようになってしまいそうで嫌。
こちらからお断り。
ただの他人と縁を切ることくらい何でもない。
血縁と縁を切るほどつらい経験をした私だから。

2010年9月18日土曜日

子どものけんか

身体障害者がどうしたというのだ。
治らない病気の人はどうするのだ。
手帳が取れない私のような中途半端な障害は何もないのに。

間違っているものを間違っていると指摘されたら「ありがとう」でしょ。
私の経験から「慰め合い会にはならないで」と注意しているのに、執筆者への批判ととるのはそれこそあなた方の偏見でしょう?
私は更年期障害で確かに感情の起伏は激しい時もあるけれど、落ち着いた状態で冷静に判断してコメントしただけなのに、感情的になったのはあなた方でしょう?
電話していいと言ったのはそちらでしょう?
社会を知らなさ過ぎるのはそちらでしょう?

ビジネスメールもビジネスコメントもできない会社なんてあり得ない。
八百屋やんか。
魚屋やんか。
でも、市場の人達の方が話しは通る。

私は感情的にもなっていないし、注意して欲しかっただけ。
それじゃあ世間の皆様には通りませんよ、って。
私のコメントのどこが暴言?
私はちゃんと「私のコメントを削除していいですよ」とコメントしました。
こちらからは削除できないのですから。
私の会社の正式なブログに暴言コメントしたのはあなた方でしょう?
それが大人のすること?
きちんとした反論もできないで、きちんとした文章も書けないで、何が「傷つけられた」?
組織のブログは個人のブログ・・・例えばこのブログみたいに好きに書いていい訳ないでしょ。

働いて税金払って福祉にお金を出している方々に申し訳ないと思う気持ちが微塵もない。
「人権」は他人の人権を侵してまで主張するものではないと、なんで気づかないんですか。
障害者が普通に生活できるのは当たり前のことです。
でも、それは普通の人達だって一緒です。
普通の人達の苦しみや辛さを知っていますか。
身体障害者であることばかり主張して、自分達のことばかり訴えて、他の人達に感謝する気持ちはないんですか。

だから障害者って嫌い

って言われても仕方がないことばかりしているじゃないですか。

まるで子ども。
大人の体を持った子どもの集団。
そんな組織は大人の社会で通用する訳がないと、今回のことでハッキリわかりました。
金輪際、障害者団体とは関わらないことにします。
親の会もひどいけれど・・・そうね、そんな親の子ども達がやってるんだものね。
親を非難するのは私はしたくはないけれど、そう言われても仕方がない。
世間とはそういうもの。
私も親として子どもの間違いは何歳になっても謝る親でありたいから。

昔の差別が激しい時代の障害者の努力を無駄にする子ども達。
悲しいわ。
それで、誰が1番傷ついたのか考えてもくれない。

私は傷つきました。
しょうがい児・者の親として。
機能障害を持つ者として。
とても、とても、とても、とても、とても傷つきました。
世間の常識なんてアテにならないのは良く知っているけれど、ビジネスとして通用しないのは話しにならない。
普通の会社の受付嬢の方がよほどできているわ。
世間を知らなくても、自分の会社の誰に何を言えばいいかをよく知ってるわ。

先生、助けて・・・
私は生きていたくない。
こんなしょーもない世界のどこが素晴らしいのか教えてください。
生きていることに価値があるなんて、それは私にはない。
母親からの虐待、夫の虐待、DV、離婚、身体・精神・知的・発達障害、母子家庭への偏見と差別、言われのないいじめ、不登校、教師からの暴力、社会からの閉め出し・・・
これほどの人生を送っている私は、戦争体験者に匹敵すると思いますが、どうでしょう?
もういいんじゃないですか?
私はそれでも幸せなのだから、幸せなまま終止符を打ちたい。
先生、私はこれ以上生きていたくないんです。
誰にも関わりたくないんです。
傷つくだけだから。
他人の痛みが自分の痛みになるほど共感してしまう特異体質はイヤなんです。
見えないものが見える体質はイヤなんです。
もう、いいですよね・・・

子どものけんかしかできない世の中は生きていたくない。

2010年9月2日木曜日

やっと終ったその日

行政(国)を相手に何かしようとする時は、何かと書類が大変で、何度も調べ直し、こちらの弱みを見せないことが肝心要になる。
行動を起こして約1ヶ月以上。
昨日、やっと書類のコピーを取って押印して郵送するだけのところまでこぎつけた。
それなのに。
その作業の真っ最中に親戚からの電話。
無碍にこちらの事情を明かす訳にはいかないし、だからと言って嘘はつけない。
知らないことは知らないと、遠回しに話しをする。
でも、向こうは私より年上の人間関係に長けた方。
昔の思い出話しを混ぜながらこちらが油断して情報を漏らすのを待っている。
「知りません。連絡取ってません。」
で終る話しだったのに、延々30分以上の電話。
私がどうやっても話しにのってこないと、ただ相槌を打つだけだとわかるまで30分以上。
「仕事中なので失礼します」の一言がどうして言えなかったのかと、今思う。
叔母と母のこと。
今の私には1番忘れたいこと。
全ての血族に「縁切り」を宣言した訳ではないから、穏便に済ませたいというのが本音だ。
そこまで直の血族に恥をかかせるつもりはない。
もちろん、電話をかけてきた親戚が悪い訳でもない。
板ばさみ状態の私の心理は誰にも理解されなくていい。
だけど。
どうして昨日なのか。
これも私の報いなのか。
集中して作業しなければならない日にこういうことが起こるのは、私の報いなのか。
1度で済ませたい、裁判はもう嫌だという思いから1ヶ月以上の時間を費やしたのに。
ギリギリまで宿題ができない子ども時代からの宿命か。