2011年3月25日金曜日

清明

1度崩れた心の形を整えるのは難しい。
先生。
あなたしか思い浮かばなかった。
ごめんなさい。
泣いて啼いて泣いてばかりでごめんなさい。
「電話してくださいね」
その言葉が私を現世に戻した。

今は読めなかった清明の物語を読んでいる。
すべてが天と地の物語。
平安の人に助けられている。
何事も。
全部がつながっている。
私が自然の1つ。

2011年3月19日土曜日

PTSD

今回の地震で自分のPTSDの根深さがわかった。
17年前に吐露できなかった感情が今になって噴き出した。
他人の世話を焼いている場合やない。
自分の心をどうにかする方が先。

あの時、誰も助けてくれなかった訳じゃない。
あの時、誰も私の心を助けてくれなかっただけ。
やっと決心して電話した相手には
「あなたはしっかりしているから大丈夫」
と言われた。
1番言って欲しくない言葉だった。

子どもを守ることしか考えなかった。
子どもを守るために自分が生きるだけで必死だった。
私が福祉職を仕事としたのは子どもの病気が契掛だった。
でも。
仕事をしているうちに贖罪のためにやっていると感じるようになった。
あの時、自分の子どものことしか考えられなかった自分への贖罪。

現場を離れても贖罪の感情は離れない。
今回の地震でPTSDが発症したのはその感情が大元だろう。

ごめんなさい。
普段は偉そうでくだらない愚痴ばかり言う人が初めて弱音を吐いたのに、私は同じことをしてしまった。
その人にとって1番言って欲しくない言葉を言ってしまった。
孤独な人間は弱音を吐くことができない。
プライドが高い訳でも何でもない。
知っているのに、わかっているのに、さっきはできなかった。
その人の1番言って欲しい言葉をかけられなかった。

それは私がPTSDを発症しているから。

PTSDを発症している人間がPTSDを発症するかもしれない言葉を言ってしまう。
罪深い。
これほどの罪はない。
また贖罪が増えた。

2011年3月9日水曜日

狂う

何度そう願ったか

現実は夢だと

私は狂っているのだと

そう思いたい

狂ってしまいたい

死ねないのなら

狂うしかない

2011年3月7日月曜日

大人の事情

「大人」にはいろんな事情がある。
それを理解できずにいると、所謂"空気の読めない人"になる。

裏の裏まで予想して、相手の心の揺らぎを慮って、それでも世間的に逸脱した行為は許されない。

今回の場合は、相手も苦渋の決断だったと思いたい。
誰だって骨肉の争いはしたくない。
私と同じで、ただ逃げたかったと思いたい。
相手の主張は決して間違いではないし、故人の遺志は半分尊重されている。

ただ…
ズルいと言えなくもない。
相手の単純承認期間はとっくに過ぎているからだ。
弁護士を間に立てて、もし係争事態になっても良いように準備してからの『提案』だからだ。
選択権は法定相続人側にある。

何も知らない1番下の妹だけには教えておこうかな…。
争うのが嫌な性格だとは知っているけれど。
私の知識を伝える方法が1人の妹だけになってしまったのは、それも辛いことかもしれない。

でも、仕方のないこと。

私の相続放棄の意思は変わらない。