今回の地震で自分のPTSDの根深さがわかった。
17年前に吐露できなかった感情が今になって噴き出した。
他人の世話を焼いている場合やない。
自分の心をどうにかする方が先。
あの時、誰も助けてくれなかった訳じゃない。
あの時、誰も私の心を助けてくれなかっただけ。
やっと決心して電話した相手には
「あなたはしっかりしているから大丈夫」
と言われた。
1番言って欲しくない言葉だった。
子どもを守ることしか考えなかった。
子どもを守るために自分が生きるだけで必死だった。
私が福祉職を仕事としたのは子どもの病気が契掛だった。
でも。
仕事をしているうちに贖罪のためにやっていると感じるようになった。
あの時、自分の子どものことしか考えられなかった自分への贖罪。
現場を離れても贖罪の感情は離れない。
今回の地震でPTSDが発症したのはその感情が大元だろう。
ごめんなさい。
普段は偉そうでくだらない愚痴ばかり言う人が初めて弱音を吐いたのに、私は同じことをしてしまった。
その人にとって1番言って欲しくない言葉を言ってしまった。
孤独な人間は弱音を吐くことができない。
プライドが高い訳でも何でもない。
知っているのに、わかっているのに、さっきはできなかった。
その人の1番言って欲しい言葉をかけられなかった。
それは私がPTSDを発症しているから。
PTSDを発症している人間がPTSDを発症するかもしれない言葉を言ってしまう。
罪深い。
これほどの罪はない。
また贖罪が増えた。
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