2023年5月30日火曜日

それぞれの正義

人にはその人の正義があって

それが職業正義であったとしても

根本的には個人の正義

行きつく先はその人の正義


私には私の正義があるけれど

他人に押しつけないように気を遣っている

明らさまに態度に出さないことが私の正義


時に人は

職業正義を依頼人の希望だと誤解する

そういう誤解は

放っといていいものと解かないと面倒くさいものがある

今回はたぶん

解かないと面倒くさい分になる


でも

無関係な相手が勝手に誤解したことを

何故私が心を砕いて誤解ですと言わなければならないのか

わからない

そして

そういう相手に嫌がらせをしようとしている黒い私がいる

話せば話すほど誤解されるなら

メモを渡すという方法がある

しかし

用件だけのメモ関係にするには

関係してきた年月が長すぎて惜しい


どうして人は自分の正義から出ることができないのか

正義は人それぞれあって

悪でないなら全て正義なのに

他人の正義を認めないのは硬直している

方法論としての正義と人道的な正義が混ざることはないと

どうして理解できないのか


間に挟まって差別的な態度を取られる私は

もうしんどい

人生の最後なのに

好き好んで事故に遭った訳ではないのに

専門職同士の意見の相違を

被害者の私が何故調整しなければならないのか

理不尽だ

楽しい時間を過ごしたいから専門職に委託しただけなのに

とっても理不尽だ


2023年5月20日土曜日

うらやま

簡単に死ぬ方法を持っている人は

うらやま

なかなか死ねない庶民は

汚い死骸になるしかないのに


うらやまは

裏山と羨ましいのどっちなのか

わからないところがいい

裏山で死ぬことができたらよかったのに


2023年5月18日木曜日

否定

私の病気はもう「治った」と医師が言う

症状があっても手術したのだから「他の病気を疑え」と言う

最後の砦と思っていた専門医に言われると

その言葉にはこれ以上ないくらいの絶望感がある


人格を否定するな、と世の人々は言う

では

生命を否定されるような言葉はどう処理したらいいのか


寄り添って生きてもらいたい訳ではない

治らないなら治らないでいい

症状に病名がないならそれでいい

ただ

治っていないのに「治った」と言わないで欲しい


理屈で説明できないことは

私が一番よく理解している

少々無理してでも働けるなら病院に行かない

障害者手帳も取らない

私は人生の整理整頓の為に生きたいだけなのだ


いつ死ぬかなんて私も知らない

でも

子どもの為にできる準備は全て終えてから死にたい

それだけ

だから

否定も我慢してみせよう

どう思われようが

私は事実しんどいから


2023年5月17日水曜日

昔話

姥捨て山の結末を

今の若者はどれだけ知っているのだろうか

年寄りの知恵を侮ってはいけないという教訓の話しなのに

結末を知らないで”姥捨て”という言葉だけが独り歩きして

老害という言葉を生み出してしまったように思う

確かに

権力の座に胡坐をかいて自身の非を認めない老人はいる

いるが

それは少数派であって大多数ではない 

老害と簡単に決めつけて時代や人生の背景を知ろうとしない

そういう若者が将来の老害老人になるのではないのか


年を経った

それだけで尊敬する必要はないが

その人の人生経験を馬鹿にする道理はどこにもない

年齢=人生経験ではないことは百も承知

けれども

死んだ後まで罪を償えというのは

遺族感情至上主義にとって代わった日本の裁判制度では認められないのではないか


昔はおおらかだったが差別を堂々としていい時代でもあった

今は差別は地下活動化して表面的なおおらかさもなくなった日本

どちらがいいという話しではない

昔のおおらかさを取り戻し

適切な差別排除がなされなければ正常な社会ではないと言いたいだけ


どの時代のどの業界にも光と影があって当然

影を排除すれば光は失われる

光だけの社会は正常ではないことを誰も教えないから

歪んだ狭い見識しか持てなくなる


そういうことを遠回しに教える役目が昔話だったのに

誰も昔話をしなくなって何年になるのか

絵本や昔話を規制した結果

後世では今の時代を最悪の時代と歴史の教科書に載るかもしれない

道徳のない時代

人の心が1番狭くなった時代

冷静な分析ができる人が排除される時代

悪口や罵詈雑言が当たり前のように溢れる時代

こんな世界にしたのは誰だ


死者を冒涜するのはやめろ

例え罪を犯していても

もう償う術はないのだから


2023年5月16日火曜日

理性に支配されるのではなく

感情を他人にぶつけないように生きる

それが私の信じてきた処世術


嘘をつかないで

言いたくないことは言わない

これのどこが矛盾しているのか

若い頃の私には理解できなかった


言っても無駄なことはたくさんある

血縁だろうと他人だろうと

相手に伝わらなければ意味がない

私が期待する行動変化が相手になければ言っても無駄なのだ


私が優しいのではなく

理性的でも合理的でもなく

無駄なことはしたくないだけ

プロパガンダを叫ぶ人になりたくない


だからと言って

私にとって都合の悪いことはしっかり話す

相手が理解できる言葉で話すようにはしているけれど

それでも無駄な時がある

仕方がないから諦めて自分で処理するのが私の人生


結局は私以外の人に私の気持ちは理解できない

健康状態も理解できない

何も理解できない

私でなくても

誰であろうとそういう状態なのが現在の世界


理性に支配されるのではなく

理性的であろうとしていた

中道をいきたいと思っていた

最期の最後までできるかな


2023年5月10日水曜日

潔い

誰にも欠点はあり

私にもあり

他人様のことをとやかく言うことでもなし

だけど

他人様の言動が不愉快でストレスになるなら

それはもう私の健康問題であり

解決しなければいけないことになる

そういうことに時間を取られるのが勿体ないし

精神的にも圧迫度合いが高いので

避けられるなら避けることにして十数年


しかしもう私の健康は元に戻る方法をなくし

医師から見放された状態ということで

未練・・・想い?が蘇って潔さがなくなっている

会いたい

生きているうちに文句を言いたい

これだけは伝えておきたい

そういう欲が出て

通っていた学校の跡地や幼い頃の思い出の場所を巡りたいと思っている

生きているうちにすることは

手続きだけではないことに

今さら気づく

認知症になる前に片づけておく優先順位を変更します


2023年5月6日土曜日

やはり

この間

実家に行った

鍵が変わっていて入れなかった

やはり

私はどうでもいい存在なのだ

あの人達にとって

私の生死はどうでもよく無関係なことなのだ

勝手に心配して

勝手に行動して

黙って帰る

私の人生はこの繰り返し

何も期待しない

何もいらない

それでも

何かを欲しがっている

小さな女の子が私の中にいる


もう死んでもいいですか

そういう気持ちがむくむくと

もう苦しいのも淋しいのも終わりにしたいという

そういう気持ちがむくむくと

湧き上がるのを抑えられない

どういう死に方をするにしても

誰にも知られたくないというのは

我儘ですか


ただ

息子達よ

私を探さないで

死にたいのはもう

ずっとずっと前から