2020年9月13日日曜日

ここも


今月いっぱいでやめる

新しいインターフェースは使えないから

2009年からお世話になって

本当にありがとう

遺書代わりの投稿を始めて

泣くことはなくなった

もうブログは書かないと思います



子ども達へ

あなた達が生きていることが幸せ

生きて笑って泣いて悲しんで苦しむことが

私の幸せ

守ってきた時代もあるけれど

今は心にあなた達がいることで

私は守られている

ありがとう

ありがとうを

言い足りないくらい感謝している

母は

いつでも

どこでも

何があろうと

あなた達の味方でいたい

2020年9月3日木曜日

ご自愛

という言葉

自分を愛すること

できていますか

残念ながら

私は私を嫌いなままです

あなたを手放したこと

を今も後悔している

泣くことはない

けれど

こういう時代に入ってしまって

側にいられないこと

見守れないこと

それができないこと

残念ながら

もう会えないだろうと思うこと

全て私の嫌いな部分です

どうか

ご自愛してください

あなたはあなたのままで

私を救うから

2020年8月14日金曜日

いつものお盆


毎年恒例のいつものお盆

食卓でお線香を焚いて

お経を唱えるだけの

お墓参りができなくなった

いつものお盆


なのに

今年はお墓参りに行きたかった

空いているから

行きたかった

最後かもしれないから

行きたかった


ねぇ

ご先祖様

私の父親様

他の皆様は元気ですか

私の知らないところで幾人かは

そちらに行ったのではないですか


連絡をしないから断絶

そういう親を持った私は幸せ者ですか

私が動けない体になっても誰も心配しない

そういう親族に

私は感謝します


それでも私は

ご先祖様や父親様に会いたかった


こういう気持ちは

息子達には理解できないと思います

2020年7月19日日曜日

私が言うことではないけれど


舞台を観に行った俳優が死んだ

悲しいという感情はない

惜しい

努力して努力して努力して

手に入れた今を無駄にするのは

とても惜しい

無駄にしようとした私が言うことではないけれど


若いからこそなのかもしれない

子どもがいなければ

私もその辺りの年で死を選んでいたかもしれない

病気になる前でも

私は何か守る存在がなければ

自分を捨てていたと思う


だから

責める気持ちも不思議な気持ちもない

ただ惜しい

周りの人間に自分の言葉を伝えるのは難しいから

そうなっただけだと思う


息子達へ

どんな道を選んでも自分で納得できたらそれでいい

どんな手段を選んでも自分で処理できればそれでいい

例え

それが周りに理解されない物事でも

自分が信じていればそれでいい

母はもう一度言う

世界中があなた達の敵になっても私は味方する

どんなに悪いことをしても私は味方する

世界中の批難を浴びても私は味方する

生きている間も

死んだ後も

2020年7月17日金曜日

悪運


今年は大変な年

世間とは違う

私にとって何もかもが良い方向に向かない

大変な年

愚痴を言う相手がいないのは

取り合えず置いといて

人並に不安を抱えている自分を

どうしていいのかわからない

死ぬことは怖くない

だんだん起き上がれなくなるのも平気

何が不安なのか

私が私でなくなること

認知症なら仕方がない

私が私でなくなるのは

私の中にある知識が減ること

なくなること

経験が活かせなくなること

私が私である意味は

私の記憶にしかない

たくさんの知識と技術

誰も受け継がなくていいから

私が私であることをやめたくない

そういう不安でいっぱい

私も人間だから

2020年6月24日水曜日

もうやめる


心の中で罵倒している私がいる

こんなに醜い感情が私にもある

人間だから当たり前



私には息子達がいる

それだけでいい

だから

今までいっぱい好きなことにお金を遣って

ごめんなさい

2020年6月13日土曜日

泣かない


今年の6日は泣かなかった

思い出したけど

泣かなかった

それでいい?

私には

責める人だけが側にいる

やっぱり失敗

自分がされてきたことを

絶対にしないと

思ったのに

結果は責める人しかいない

新しい病気が2つも見つかったよ

2020年5月31日日曜日

耐えられない


ことが一つ



私には1人しか本音を言える相手がいない

その相手にキレられると

とてもつらい

彼の自立の為に犠牲にした物事はないのに



彼とのコミュニケーションに傷つく



彼が何を言いたいのか理解できない

彼が何に怒っているのか解らない

彼が何でイライラしているのか・・・



解決できる時もあるけれど

それはほんの少しだけ

これが

彼の自立を望んだ私の犠牲か


2020年5月24日日曜日

やさしい人でありたい


ここのところ他人に傷つけられる日々が続き

とても弱っている

信じるよりもお互い様でいたい

信じてもらわなくてもいいから普通に話したい

そういうことが当たり前でない日々が

とてもつらい

私の何を知っているつもりでひどい言葉を投げるのか

わからない

わからなくて

わからなさ過ぎて

これが今の日本人の平均かと

錯覚してしまう

息子達が

こんな国で生きていくのかと思うと

とてもつらい

偏見、差別、何でも来いと

もう言えない

私は先に逝くから

こんな人でなしの人々の中で生きていかねばならない

息子達の将来が

不安で不安で不安で不安で不安で

とてもつらい

2020年5月19日火曜日

書きたい


文章を書きたい

自分の感情を文章に載せて

思いっきりぶちまけたい

主人公も脇役も私の中の小さな子ども

そういう文章を書きたい

今までの文章は

私の中の小さな子どもではなく

思春期の私

まだまだ思春期は終わっていないけど

もっと小さな

トラウマな

言い出せなかった小さなな私を

書きたい

2020年5月4日月曜日

絶望と喪失


何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も
あんたを罵る妄想をする
生きている間に罵りたいと切望する
顔も見たくないし声も聴きたくない
ただ私が罵る場面だけを妄想する
こんな汚い心はいくつもある
高校生の時は本気で殺そうと思った
憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて憎くて
どうして私が罪を犯す必要があるのかと
馬鹿らしくなってやめた
ただ罵りたい
あんたが私を罵った100倍も1000倍も罵りたい
それがやり残した事

粛々と


誰もが皆

粛々と時を過ごすこの時間が

長く続けばいいと思っている

非情な私が存在する

非論理的で

非人道的で

微塵も人間らしさのない

動物的なこの時間

有機物は死ぬ

無機物もいつかは朽ち果てる

一瞬の生き様を選ぶのは

己自身

季節が巡るように

時を過ごす

2020年4月5日日曜日


久しぶりにベランダに出たら

桜の花びらが舞っていました。

あなたは元気でしょうか。

と、空を見上げると

ブルースカイ。

思い出す度に思うのは

あなたの顔は止まったまま。

私はもうお婆ちゃん。

死に際に会いたいと思うのは

我儘でしょうか。

2020年1月29日水曜日

期待


私は期待していたのだ

新しい生活を

子どもの新しい未来を

私は期待してしまった


貧乏が不幸だと思ったことは

あるにはあるけれど

5本の指で足りるくらいだ

それ以上に幸せな人生だったと思う

思うのに

子どもの安定した未来を

期待してしまった


親なら当然の願いを

私はずっと祈ることしかできなかった

子ども自身が自分の未来を

安定した未来を夢見たことが

私に当然の願いを身近なものした


ごめんね

勝手に期待して

ごめんね

たくさん協力できなくて


この思いは

誰にも言えないことではないのに

私はやっぱり

誰にも言えない

2020年1月27日月曜日

回復


死ねないのなら救急車を呼ぶしかない

そういう判断はできる自分がいる


でも

やっぱりあなたのことを思い出した

苦しんで

苦しんで

苦しんで

あなたの傷ついた心の分まで

苦しんで死ぬのが筋だと思っていたけれど


心と体は別

それと

まだ死ねなかった

あなたとは別の人間の為に


ごめんなさい

2020年1月22日水曜日

誰も知らない


私の難病を理解できる人は専門医しかいない

つまり

誰も知らない

日本には専門医は6人しかいない

つまり

この日本で私の難病を理解できる人は

たった6人の医師と同じ重症患者だけ

誰も知らないのと一緒


そんなことは理解しているし

説明しようとも思わない

難病認定されなければ

説明しても無駄


子どもは大人だけど

私の状態をよく知っているけれど

他人に説明できる言語は持ち合わせていない

だから

無理に説明しなくていい

理解しようとしない人に説明しても

労力の無駄だから


母ちゃんは

ただ貴方達に心配をかけたくない

コロリと死ねればいいけれど

この難病は時間がかかる

意識がなければ放っといていい

それは罪なことかもしれないから

母ちゃんは

貴方達が働いている時間に意識がなくれなればいいと

思っている


薄情な親でごめんなさい

2020年1月17日金曜日

無差別


差別をする人は損だ

様々な価値や美味しい物を食べ損ねている

なのに差別は存在していて根絶は無理だ


そういう人達を見て育ち

差別する側も差別される側も経験して

無差別主義者になった

つもりだった




私には大嫌いな人達がいる

会った事もないのに腹が立つ

こういう感情は差別的ではないのかと

この頃思う


だから差別はなくならないのだと

やっと理解した

遅い遅い理解

この年齢で

この体で

この精神状態で

理解できた


子ども達には

いつか理解してもらえると

信じていたい