2018年3月30日金曜日

パソ設定がわからない→書きたいことが書けない


韓国の人達の番組を観た。
共感はできない、でも心に響いた。
私には故郷がないと思っているから。

北朝鮮に帰れない人達の想いは、故郷に縛られていると思った。
戦争後の貧乏も戦争も、私は知らない。
聴くことで経験したような感覚になるのは私の想像力でしかない。

感受性の強い子どもと言われた時代は、私を傷つける時代だった。
それとどこが違うのかが私にはわからない。
そういう部分が私が人を遠ざける原因だと思う。

思うけどどうしようもないこと。

自分の子どもをどうしようもできなかった事実が今も私を責め立てている。
先天性の病気で生まれた子と先天性の障害で生まれた子。
2人とも大切に愛している。
韓国の失故郷民の人達が故郷を想う気持ちとどこか似ているかもしれない。
たぶん全然違うと言うだろうけど。
心が震えたことだけは事実。

戦争は見たくないと番組スタッフが言った。
見たくないやなくて戦争をしてはいけない。
そこが日本人の悪いところ。
戦争は食い止めてこそ意味を持つ言葉。
過去の言葉にしなくては意味がない。

私の周りには在日の人が常にいる。
日本はそういう国で、そういう歴史を作った加害者の一国。
だからと言って、他国の犯罪まで責任を負う義理はないはず。
在日の人達とそういう話しをしたことはないけど、今がいいのは一緒だと信じたい。

息子達が戦争にかりだされることを前提に戦争犯罪の話しはしてきたけれど・・・
しっかり根付いていて欲しい。
国も人種も宗教も関係なく「人」を理解することの大切さを教えてきたけれど・・・
体験しなければわからないことがいっぱいある。

私のこれからの少ない人生で、息子達に何を遺せるのかをずっと考えてきた。
これも1つの手段として再開した。
通じたらいいけど、無理かな。