2010年12月19日日曜日

甘えるな!

障害者手帳交付の意味を普通の健康な人は知らない。
日本では病気=障害ではない。
固定された機能障害=障害なのだ。

さぁ、「固定された機能障害」とは何なのかを説明できる普通の人はいますか?

「固定されていない機能障害」とは何を指して言うのかをご存知ですか?

ちなみに、たくさんの病気と機能障害を持っている私は障害者ではありません(笑)。
障害者手帳交付の対象にはならないからです。

日本は昔々の障害の概念を捨てきれていないからこんな変なことになる。
体のどこかが足りない、脳の発達がおかしい、普通では考えられない行動をする、の3つが障害。
それ以外は全部障害ではない。
健康なのだ。

だから言う。

健康な人は甘えるな。
障害者は甘えるな。
政治や他人に甘えて生きることをやめろ。
健康を言い訳にするな。
障害を言い訳にするな。
人生は自分の生き方次第だとわかれ。

どちらでもない私が言う。
中間の私が言う。

甘えるな!

2010年12月12日日曜日

5年3組リョウタ組

石田依良のこの作品は、ある人物を想起させる。

大学生だった頃から知っている今は小学校の先生だ。

作品中のリョウタ先生ほど単純ではないし、無鉄砲でもないが、彼は子どもが大好きで先生になった人だ。

職員室が大嫌いで、1日中教室にいたいと私に言った人だ。

学校の事務作業が多すぎると、係の仕事が多すぎると嘆いた人だ。

子どもが大好きなだけでは小学校の先生はできないことを、先生になってから気づいた人だ。









その人が今は私のお客様になっている。

自分の子どもが障害を持って生まれたからだ。

何故私に相談する気になったのかは知らないが、私はお客様としてではなく、昔からの知人として彼に接したいと思っている。

子どもは障害があろうとなかろうと、可愛い。

それだけで十分。

五体満足で生まれた子どもより、より多くの幸せを運んできてくれる天使だ。

病院もリハビリも自宅での生活も、より細やかな手は必要で、その分触れる回数が多くなる。

幸せなこと。









作中で身体障害の養護学校の様子が描かれているが、作者が取材した学校が1ヶ所なのがすぐわかる。

他の身体障害の養護学校も取材していれば、作中に描く学校内の様子が違ってきているはずだからだ。

身体障害の養護学校は生徒1人に先生1人の配置だが、知的障害の養護学校では配置されない。

今は特別支援校として、障害の種別に関係なく生徒が学校を選べる体制になっている。

表向きは。

施設併設の特別支援校も珍しくはないが、廃止の方向になっている。

障害児を取り巻く環境は、障害を持っていない人が想像するよりも厳しいものになっているのだ。

そこまで作品の中で描く必要はないが、特別支援校以外に選ぶ権利が保障されて、リョウタ先生のいる普通校にも障害児は入学することができるのだ。

作中の障害児が普通校に入学すればおもしろかったのに。









作品としては何気ない普通の生活が描かれていて、とても良い作品だと思う。

私の身の周りで普通に起きていることばかりだ。

生活の中の普通のこと。

それはトラブルではないし、人生を大きく変える出来事でもない。

この作品の中の出来事を「大変なこと」と思った人は頭が幸せな人だ。

よほど自分の子ども時代を忘れている人だ。

子どもは間違えるのが仕事だし、イタズラするのが仕事。

その方法も思いつくことも子ども自身の個性だ。

それを色々なオトナがサポートするのが大人の仕事。

先生でなくても「大人」になればそれが仕事になる。

自分の子どもも他人の子どもも全てが可能性のカタマリ。

サポートしないオトナは自分のことを「大人」と呼ばないで欲しい。









5年3組リョウタ組は、理想のクラスでもない、当たり前のクラスだ。

2010年11月25日木曜日

最悪な病院

に、入院していた。
体調が悪くなった時に自分で選んだ病院だったが、結局医師に見離された病院だ。
いいように言われて、「いつでも来ていい」と言われて、一旦通院をやめた病院だ。
治らない病気の患者にかける時間と手間が惜しかったのだと、今では悟っている。
研究する対象者でもない患者だったからだ。
そう、大学病院だ。

ただ、この間倒れた時は自分の意識がハッキリしていなかった。
子どもが救急隊にその大学病院の名前を言ったことは責められない。

そうそう、最悪なのは救急隊もいつも通り最悪だった。
意識レベルはそうたいしたことではないのに、人間の体の中で1番痛い痛点を何度も押した。
女性の体を男性の、しかも訓練された力で押すのだ。
激痛どころではない。
その時は意識はあったが、「痛い」と言うのが悔しくて黙って睨んだ。
何度も押すなっ!
アホッ!!!!!

大学病院に着いてからICUに運ばれたが、また医師に痛点を押された。
今度は医師相手なので「痛い」と言ったあげた。

救急で運ばれる度にいつも思うのは、真冬の寒い時期でさえ救急患者は裸にされることだ。
医療関係者は服を着ている。当たり前のことだ。
救急患者は、意識があろうとなかろうと裸にされる。
ほとんどの病院は経費削減のために夜間は冷暖房は切っているものだ。
これで風邪をひくな、という方が無理な話しだと思う。

前に救急で運ばれて病院でインフルエンザになってしまったこともある。
救急で運ばれた症状はたいしたことはなかったのにだ。
家に帰ってから寝込んで、近くの病院にさえ行けなかったと思う。

今回も裸同然にされ、一応病院のパジャマの上だけは着せられたが、バルーンを入れている下半身はおむつのまま丸出しだ。
おまけにICUは広いスペースをカーテンで区切っているだけの場所で衆人環視状態だ。
ファーラー位に保たれた私が見たのは、前の廊下(?)をたくさんの医師と看護師が通る様子と、カーテンの横でパソコンを打つ医師と看護師だ。
「寒い寒い寒い」と言い続けて子どもに着ていたパジャマ替わりのヨガパンツをはかせてもらった。
前のように風邪(インフルエンザ)になる訳にはいかない事情があったのだ。

本当に医療関係者の意識を疑う。
意識があろうとなかろうと、救急で運ばれた病気が何であろうと、人間の体は寒い場所で裸でいれば風邪をひくものだ。
1回体験すればいい。
どれほど寒いかを。
実習科目の中に入れればいい。
毎年の研修対象にも入れればいい。

とにかく、バルーンと酸素、点滴の3本のチューブでつながれた私はベッドの外には行けない状態にされた。
夜中の搬送だったので眠いのは当たり前のことだし、眠って何が悪い。
そんな状態で普通に朝食を出す医師の判断もあきれたし、アレルギーがあると言っただけで、アレルギーに対してだけ異常なほど神経質になった医師・看護師・管理栄養士が不思議でならない。
どうせ食べられないのに。
眠くて食べるどころじゃないのに。

それから退院するまで、私は教授の回診以外に医師と話したことはない。
いつも看護師と話しをして、その看護師から医師の無理解と怠慢の愚痴を聴き続けた。
主治医が誰なのか、何の薬が出ているのか、どうしてICUから重傷患者個室に移されたのか、点滴の中味は何なのか、いったい病名は何なのか、

一切全く説明がなかった。

インフォームドコンセントどころの話しではない。
看護師が患者の私に医師に直接訴えろと言うのだ。
医局を引き連れた教授様の回診時にそんなことが言える訳がない。
病室に来ない主治医にベッドから出られない患者が会いに行ける訳がない。
とんでもない病院だとしか言いようがない。

自分でトイレに行けると言い続けてバルーンをはずしてもらった。
食事はもともと少食だと言い続けて点滴をはずしてもらった。
酸素10リットルでも血中酸素濃度は98までしか上がらない体質だと言い続けて酸素をはずした。
細菌に感染しやすい体質なのに、ド下手な看護師ばかりで4日間で10回以上点滴の場所を変えた。
血管をまさぐるのはまだいい。
点滴の針を刺している場所が細菌感染して発赤しているのにほっとかれた。
おかげで両腕肘下は真っ黒になった。

1番最悪だったのは、バルーンを抜いた後に何も処置をされなかったので膀胱炎になったことだ。
退院間近ということで、排尿痛や尿の白濁、頻尿と残尿感を訴えて、抗生物質が欲しいと言っても、また医師に無視された。
看護師が言うには、主治医は救急の医師だからわからない、ということだ。
だったら無意味な耳鼻科受診などやめて泌尿器科に受診させてもらいたかった。

退院日も横の連絡がないことが露呈しただけで、看護師長だけが私の退院を知っていた。
全部自分で片づけて、医師を待っても来ない。
待っても来ない。
子どもが迎えに来ているのに、来ない。
もう、最悪な入院生活でわかっていたので実力行使に出た。
頻尿と排尿痛が続いているので、さっさと家に帰って予備の抗生物質を飲みたかったのだ。
実力行使とは、荷物を鞄に入れてベッドシーツを片付け、服に着替えて化粧をすることだ。
その化粧の最中に医師は来た。
主治医ではなく、いつもの教授様の回診だ。
鏡から振り向いた私を見て、教授様は「退院ですね」と一言。
それで全部。

医師軍団が去って、さっさと鞄を持って帰ろうとすると看護師長から声をかけられた。
「これ」と差し出されたのは1通の手紙。
『診療情報提供書』とある。
宛名は私の耳鼻科の主治医。
Why?
病名も使われた薬も主治医が誰かさえ知らない患者の個人情報が漏れている。
(お薬手帳だ・・・)
と、すぐに理解したが、ニコッと笑って受け取り、本当にさっさと病院をあとにした。

医事課で手続きをして外に出ると眩暈がした。
当たり前だ。
退院前日にやっと車椅子で病棟の外に出る許可を得て、退院したその日にトイレ以外で自分の足で歩いたのだから。
バスに乗ってもう1度大きな眩暈がした。
吐き気もした。
寒いICUと同様に、医療関係者の意識を疑う。
ベッドと自室のトイレの距離は2mくらい。
それ以外に歩かない日々を過ごして、急に歩いて家に帰れと言う。
1回やってみたらいい。
どれだけ体力が落ちているか、筋肉がなくなっているかを体験した方がいい。

家に帰ってから膀胱炎が悪化し、まともに家事もできない状態だった。
大学病院側の規則で、常用している薬は服用できなかった。
整形外科の薬を頼んだのに出してもらえなかったのもあり、首から下が痛みで麻痺したようになっていた。
週に1回神経ブロックをしなければ私は自分の体重を支えられない脊柱の持ち主なのに。


本当に最悪だった。
以前に事務方と口論したこともあるが、今だに医局をひきつれての教授の回診なんて古過ぎる。
全く何の説明もない、料金の支払い方法だけはしっかり伝える、その大学病院は絶対信用しない。

神戸大学医学部附属病院

命さえ助ければいいんでしょ態度の病院。
絶対行かない。

2010年10月13日水曜日

非正規レジスタンス

IWGPの新刊を読み終えた。
作品はオチが読めたものばかりだった。
池袋のマコトは大人になって、大人の対応を覚えたようだ。

ここで作品の悪口を言うつもりはない。
文学(?)の中の人間だって成長しなければリアルに共感はできない。
でも、職業柄オチが読めてしまうのは作者が私のいる業界に足を踏み入れ過ぎた感はある。
それも薄っぺらな表面的なところで。

福祉を題材に取り上げるのは悪いことではないし、大いに取り上げて頂きたいと思う。
ただ、前回ここで書いたように『正確な取材』をして頂きたい。

母子福祉はそこまで親切ではないし、現状は自立支援施設もすぐに入れる訳ではない。
(虐待児童増加で空きがない)
DVも根が深く、そんなに簡単に解決できるのならマコトが10,000人いて欲しい。
日本の生活保護制度はもう限界を迎えている。
ネカフェ難民問題と派遣問題は解決済みという意識で作品を書いたのならば、それは間違いだ。
派遣会社の支店長が言うように、健康な人間ならば親に謝って郷里に帰るのが1番いい。
家庭でのイザコザは貧しさの前では塵のようなものだからだ。
生活保護制度は世帯単位が基本だから、住所さえあれば1人世帯でも受けられる。
受けられるが、年々国費は削減されている現状を書いていない。
ネカフェ難民が生活保護を申請したおかげで昨年の生活保護世帯は190万世帯増加した。
本来は親兄弟姉妹親類縁者が誰1人いない世帯を1人世帯として想定して作られた法律だから、親兄弟姉妹親類縁者がいる人は受けられない制度だ。
これが柔軟に対応するということなのか?
私が親にイヤイヤ頭を下げたのは昔の話しになってしまうのか?

今の人の貧しさなんて、本当の貧しさではない。
作者はそれを知らない。
・・・と思う。
1泊1,000円のネカフェ代は1ケ月3万円になる。
東京で3万円は安いのかもしれないが、地方だと安アパートを借りられる値段だ。
1回のシャワーに300円?
安アパートを借りれば水道代とガス代の方が安い。
ゴミをあさって何が悪い?
家はあるけどゴミはあさる生活をしている私達親子はどこに分類されるの?
食べるのを我慢しているのは難民だけではない。
食べられない病気だから食費が安くて助かっているけれど、エンゲル系数は50%だ。

私が母子家庭になった時に相談員の方がおっしゃたことは「まず家」。
「屋根がある所で子育てをしなさい」と言われた。
「家さえあれば節約できるところはいくらでもある」とも言われた。
今も本当に感謝している方のその言葉は正しかったと思う。
食べるのさえ苦労した別居時代と比べて、食べるのだけは何とかなったからだ。
その別居時代でさえアパートは借りた。
家賃も税金も保険料も全部支払った後に残されたお金で何とかなった。
何とかした。

働く場所がないのは国の責任だと私も思う。
思うが、まず自分の親に頭を下げることができない人間は運にも見離されると思う。
私は親姉妹に頭を下げて家を借りることができたし、子どもも障害児ということで保育所にもすんなり入れた。
月4万円の養育費が支払われる間に就職も決まった。
(決まったとたんに養育費が途絶えたのは偶然だろうか?)
そう、1月の生活費が4万円だったのだ。
それで親子3人暮らしていたのだ。
母子福祉の援助があったとしてもだ。
(当時は児童福祉手当の他に医療費が無料だった)
唯一の娯楽がテレビという、いつの時代かわからない生活をしていたのだ。
(今もあまり変わらない生活・・・)
もちろん、家を借りた後は親姉妹に一切援助してもらっていない。
頭を下げたのは、保証人と引越し費用・初期費用を出してもらうだけのことだった。
それでも私は一生懸命返せるお金は返済したし、足りない部分は体で支払ったつもりだ。

生活保護は最後の手段と決めていた。
そう、あくまでも「手段」なのだ。この国は。
働ける体であれば、保護中でも就職活動をせっつかれる。
ギリギリの生活費しか受け取れないのに、その中から履歴書代や証明写真代、面接に行く為の交通費全てを出さなければいけないのだ。
ネカフェ難民とどこが違う?
医療費は出してくれるが、1つの病気で1ヶ所しか病院に行けない。
セカンドオピニオンなんていう自由はない。
家賃は出してくれるが、共益費は保護費の中にはない。
生活保護制度は本当に最低限の生活を保障するだけなのだ。
保護世帯は水道光熱費と食費の節約をしなければ生きていけないレベルだ。
1週間に1回しかお風呂に入らない。
カップ麺なんて贅沢品は食べない。
病気で体が動かなければ病院にも行かない。
命が本当に危ない時にしか救急は使えない。
(それでも救急に行かずに命を失くした人を知っている)

ネカフェ難民がどうしたと言うのだ。
非正規雇用(日雇い)が何だと言うのだ。
昔は「あいりん地区」のように日雇い労働者の町があって、お互い助け合って生き延びてきた人達がいる。
健康保険がないということは、作中で彼らが見下しているホームレスと一緒だ。
ホームレスとは直訳で「家がない」ではないか。
マコトのやり方が正しいかどうかではない。
ネカフェ難民の子に怒っている。
非正規労働で働いている子に怒っている。
誰に取材したのかは知らないが、作者の表現通りであるならば、「努力」や「自己責任」という言葉の意味を取り違えている。
「自己責任」とは、自分で責任をとれる範囲のことを言うのであって、自分で責任がとれない範囲のことは言わない。
それは他者だったり、国だったりする。
キレて何が悪い?
キレないと心が病んでしまう時だってある。
1度心が病んでしまうと本当に一生生活保護の下で生きなければならなくなる。
焼肉が食べたいだと?
焼肉なんて超贅沢は数年に1回だ。

マコトは自分も社会の底辺だと言う。
今まで作品を読んでいて私は1回もそう思ったことはない。
マコトのお母さんの気持ちと努力と根性を想像すると、マコトが底辺だと言うのはおかしい。
店がある。
一生困らない店がある。
生活に困っても売れる店がある。
実家の店番で年収200万円は多いと思う。
家賃、食費、水道光熱費、店の経費は全部タダということになる。
マコトのお母さんが経理を受け持っているのなら甘すぎだ。
子どものお小遣いに年に200万円もやるのだから。
それだけで十分中流階級家庭だ。
いや、月に16万円もお小遣いがあるのは中流でもなかなかいない。
(母親に頼らずに純粋にマコトが店を経営しているのならば話しは別だが)
そういうことに気づかないところはまだ子どもということか。

今回の作品は全部駄作だ。
読んでも若い人達のエネルギーが伝わってこない。
爽快感がない。
私にはあまりにもリアル過ぎて、現実に近過ぎて、オチが読めてしまっておもしろくなかった。
石田衣良の作品とは思えないくらい。
美丘が傑作なのは確かだが、ドラマは最後まで観なかった。
全然別の作品だったし、1つのドラマとしては私のツボにははまらなかった。
今回の作品はそのドラマと同じ感覚がする。
省略し過ぎている。
リアルに近いが詰めが甘い。
マコトにはやはり警察沙汰が似合うと思う。
正確な情報を書けないのであれば福祉にはこれ以上触れないで欲しい。
マコトと福祉は別世界でいて欲しい。

2010年10月8日金曜日

神社

京都の平安神宮には2回目か3回目の訪問。
しかも夜のライヴ。

神社は小学校の頃から私の心の支えの1つだった。
近くの神社に授業をさぼってまで行かなくてはならない中学の頃は、それだけで私の愛に飢えた心が落ち着いたように思う。
神社は私にとって特別な存在。

そんな中でのFANKライヴ。
神社とFANK。
バックの本殿がチラチラ見える状態で大好きな音楽。
こんな組み合わせができる今は幸せなのか自由すぎるのか。

でも。
幸せだった。
音楽も芸術の1つなら、いつも同じ音ではないから幸せだった。
どうして奏でる音が、創る音が、その声が私に響くのかはわからない。
これで最後かもしれない、という思いがそのライヴの申し込みにはしらせてしまうのかもしれない。
今日(昨日)も、これで最後かもしれないと思った。
こんな幸運は2度とないかもしれない。
前から3列目の中央寄り。
でも、席と音楽は関係ないと思った。
ウーハーのドまん前でそう思った。
ステージを見る方が多かったかもしれないが、空や光に浮かび上がる社殿を見ることも多かった。

幸せだった。

こんな自由が私にはあとどれぐれい許されているのかわからないけれど、幸せだった。
これは神様のご褒美だと思った。
感じた。
「よく頑張ったね」と言われた気がした。
「もとのやさしいあなたに戻りなさい」と。
「今のあなたは鬼子母神のようで見ていられない」と。
やさしいとは言えない私が「あなたはやさしい」と言われたような気がした。

ありがとう。
こんな機会をくれた天の意思に素直に感謝したい。

ありがとう。

2010年9月20日月曜日

いつも最後には

私という人間は透明人間のように扱ってもらえたら嬉しいと思う。
「いてもいなくても一緒」と言われ続けた私の自我はそう願っているのだと思う。
いつも最後にはBad Endingしかむかえられない私の人生。
それでも幸せなのか?と訊かれる私の人生。
若い時は自分なりに努力すればなんとかなると思っていたけれど、
なんともならないということが良くわかった。
努力は報われることもあるけれど、私は報われない確率の方が高いみたい。

赤の他人にどうしてここまで嫌われなくてはならないのか、わからない。
私は一生懸命考えたし、理解しようと努力したし、自分の時間や体力を削ってまでつきあってきた他人にばかり後足で砂をかけられるような目に遭う。
「つまりは利用されているのだ」
そんなことわかっている。
全部相手に合せるようなことはしていないけれど、私の悪口を言っても、それは私を思ってのことだから何も感じなかった。
私がその人の悪い部分を指摘するといっぺんに逆の結果になる。
嫌われる。
恨まれる。

一体私を何だと思っているのか、こちらが訊きたい。
便利な歩く辞書?
いつでもニコニコ問題解決を手伝ってくれる便利屋さん?
誰にも言えない差別言葉の羅列の愚痴を聴いてくれる痰ツボ?

もう嫌。
私があなた達のようになってしまいそうで嫌。
こちらからお断り。
ただの他人と縁を切ることくらい何でもない。
血縁と縁を切るほどつらい経験をした私だから。

2010年9月18日土曜日

子どものけんか

身体障害者がどうしたというのだ。
治らない病気の人はどうするのだ。
手帳が取れない私のような中途半端な障害は何もないのに。

間違っているものを間違っていると指摘されたら「ありがとう」でしょ。
私の経験から「慰め合い会にはならないで」と注意しているのに、執筆者への批判ととるのはそれこそあなた方の偏見でしょう?
私は更年期障害で確かに感情の起伏は激しい時もあるけれど、落ち着いた状態で冷静に判断してコメントしただけなのに、感情的になったのはあなた方でしょう?
電話していいと言ったのはそちらでしょう?
社会を知らなさ過ぎるのはそちらでしょう?

ビジネスメールもビジネスコメントもできない会社なんてあり得ない。
八百屋やんか。
魚屋やんか。
でも、市場の人達の方が話しは通る。

私は感情的にもなっていないし、注意して欲しかっただけ。
それじゃあ世間の皆様には通りませんよ、って。
私のコメントのどこが暴言?
私はちゃんと「私のコメントを削除していいですよ」とコメントしました。
こちらからは削除できないのですから。
私の会社の正式なブログに暴言コメントしたのはあなた方でしょう?
それが大人のすること?
きちんとした反論もできないで、きちんとした文章も書けないで、何が「傷つけられた」?
組織のブログは個人のブログ・・・例えばこのブログみたいに好きに書いていい訳ないでしょ。

働いて税金払って福祉にお金を出している方々に申し訳ないと思う気持ちが微塵もない。
「人権」は他人の人権を侵してまで主張するものではないと、なんで気づかないんですか。
障害者が普通に生活できるのは当たり前のことです。
でも、それは普通の人達だって一緒です。
普通の人達の苦しみや辛さを知っていますか。
身体障害者であることばかり主張して、自分達のことばかり訴えて、他の人達に感謝する気持ちはないんですか。

だから障害者って嫌い

って言われても仕方がないことばかりしているじゃないですか。

まるで子ども。
大人の体を持った子どもの集団。
そんな組織は大人の社会で通用する訳がないと、今回のことでハッキリわかりました。
金輪際、障害者団体とは関わらないことにします。
親の会もひどいけれど・・・そうね、そんな親の子ども達がやってるんだものね。
親を非難するのは私はしたくはないけれど、そう言われても仕方がない。
世間とはそういうもの。
私も親として子どもの間違いは何歳になっても謝る親でありたいから。

昔の差別が激しい時代の障害者の努力を無駄にする子ども達。
悲しいわ。
それで、誰が1番傷ついたのか考えてもくれない。

私は傷つきました。
しょうがい児・者の親として。
機能障害を持つ者として。
とても、とても、とても、とても、とても傷つきました。
世間の常識なんてアテにならないのは良く知っているけれど、ビジネスとして通用しないのは話しにならない。
普通の会社の受付嬢の方がよほどできているわ。
世間を知らなくても、自分の会社の誰に何を言えばいいかをよく知ってるわ。

先生、助けて・・・
私は生きていたくない。
こんなしょーもない世界のどこが素晴らしいのか教えてください。
生きていることに価値があるなんて、それは私にはない。
母親からの虐待、夫の虐待、DV、離婚、身体・精神・知的・発達障害、母子家庭への偏見と差別、言われのないいじめ、不登校、教師からの暴力、社会からの閉め出し・・・
これほどの人生を送っている私は、戦争体験者に匹敵すると思いますが、どうでしょう?
もういいんじゃないですか?
私はそれでも幸せなのだから、幸せなまま終止符を打ちたい。
先生、私はこれ以上生きていたくないんです。
誰にも関わりたくないんです。
傷つくだけだから。
他人の痛みが自分の痛みになるほど共感してしまう特異体質はイヤなんです。
見えないものが見える体質はイヤなんです。
もう、いいですよね・・・

子どものけんかしかできない世の中は生きていたくない。

2010年9月2日木曜日

やっと終ったその日

行政(国)を相手に何かしようとする時は、何かと書類が大変で、何度も調べ直し、こちらの弱みを見せないことが肝心要になる。
行動を起こして約1ヶ月以上。
昨日、やっと書類のコピーを取って押印して郵送するだけのところまでこぎつけた。
それなのに。
その作業の真っ最中に親戚からの電話。
無碍にこちらの事情を明かす訳にはいかないし、だからと言って嘘はつけない。
知らないことは知らないと、遠回しに話しをする。
でも、向こうは私より年上の人間関係に長けた方。
昔の思い出話しを混ぜながらこちらが油断して情報を漏らすのを待っている。
「知りません。連絡取ってません。」
で終る話しだったのに、延々30分以上の電話。
私がどうやっても話しにのってこないと、ただ相槌を打つだけだとわかるまで30分以上。
「仕事中なので失礼します」の一言がどうして言えなかったのかと、今思う。
叔母と母のこと。
今の私には1番忘れたいこと。
全ての血族に「縁切り」を宣言した訳ではないから、穏便に済ませたいというのが本音だ。
そこまで直の血族に恥をかかせるつもりはない。
もちろん、電話をかけてきた親戚が悪い訳でもない。
板ばさみ状態の私の心理は誰にも理解されなくていい。
だけど。
どうして昨日なのか。
これも私の報いなのか。
集中して作業しなければならない日にこういうことが起こるのは、私の報いなのか。
1度で済ませたい、裁判はもう嫌だという思いから1ヶ月以上の時間を費やしたのに。
ギリギリまで宿題ができない子ども時代からの宿命か。

2010年8月30日月曜日

感染

「死にたい」

というのは感染するのかもしれない

介護の世界でお年寄りと接していた時は感染しなかったのに

私より若い人の「死にたい」は感染してしまうのかもしれない

もしかしたら

私が感染源かもしれないけれど









死のうと思うことには山ほど出遭った

死のうとこの前も思った

でも

死ぬ前にやっておきたいことがある

と思っているうちは死なないと今までの経験でわかっている

死にたい衝動で行動に出た時は

何も関係なくなる

やっておきたいことや周りのことなんか飛んでしまう

そういう経験があるから

私はいつも予定を立てる

自分が今死なないための予定









Hちゃん

何があったのかはわからないけれど

訊くつもりもないけれど

それで病院に行くあなたは普通やと思う

まだ

普通やと思う

私は病院に行く気はないから

薬に頼る気はないから









もし

私が感染させてしまったのなら

ごめんね

私のような人間とつきあうのは

ほどほどがいい

ある程度オトナな人間でないと

感染してしまうよ









だから

あなたの側には引っ越せないからね

2010年8月5日木曜日

大嫌い

考えることが多過ぎて、読書もまともにできない。

冷静に対処しようと頭では考えているのに、感情的になってしまう。

論理的に筋道立てて考えることはできるのに、何故あのオバハンだと感情的になってしまうのか。

答えはわかっている。

あのオバハンがアホ過ぎるからだ。

言葉が通じない相手は今までにも何人もいたが、私が相手の脳解釈をしてやり過ごしてきた。

あのオバハンは、脳解釈・脳解明するまでもない。

人生のアホ。

そんな人に私の言葉が通じる訳ない。

論理的でも感情的でも冷静でさえないオバハンの脳。

3+12+7の計算ができない普通の人。

仕事でオバサン達の話しを聴くことはできるし、むしろ論理の破綻がおもしろい。

関西人ならではのオチがある。

でもあのオバハンは人生の知的障害者だ。

私の人生に関わってほしくないレベルのアホ。

普通の人の方がよっぽどアホだという証明になった。

さあ、これから次の段階へいく為にあのオバハンとは縁を切らなければ。

それで私の人生が終っても何も文句は言わない。

それほど普通の人と呼ばれる知的障害者に怒っているから。

私が自殺しようが何しようが、あのオバハンは絶対に謝らない。

それだけは脳解明できている。

もう生きている意味はない。

2010年7月30日金曜日

理不尽

な、ことに遭遇してばかりいる私の人生。

原因がわからない、予測がつかない、誰の責任でもないことはあきらめるしかない。

でも

今回のことは100%、200%他人の責任。

行政の間違いでナゼ私が債務返済の責を負わなければいけないのか。

「福祉制度を利用しているからこんなことになるんだ」

と言う人もいるかもしれない。

他人様の税金で生活してきたことは充分理解しているし、返せる恩は返したい。

だから私なりに努力してきたし、今も努力は続行中だ。

それなのに

行政の計算間違いで、チェック体制のミスで、「多く支払い過ぎましたので返せ」というのはおかしい。

もう2年以上前の話しなのに。

理不尽この上ない。

原因不明の病気、天災、これしか許せるものがない私の人生。

交通事故、離婚、障害への偏見、仕事上のミス、今回の行政、全て「他人」が関係しているし、他人の責任だ。

(離婚は半分は私に責任があるけれど・・・)

今までに私に謝ってくれた人のなんと少ないことか。

謝り損だと言わんばかりの態度の人達ばかり。

私が毎日「すみません。ありがとう。」と言って生活しているのがアホらしくなる。

もうすべて投げ出してあっちへ逝きたい。

その準備がもうすぐ、もう少しの努力でできるという時に発覚した問題。

一体いつまで私に生きろと言うのか。

こんなに心も体もボロボロなのに。

2010年7月13日火曜日

疲れた

好きでも嫌いでもない人を一生懸命理解しようと努力した。
仲間として。
友達として。
ビジネスとして。

相手が少しでも私のことを理解しようと努力してくれたら今の私のこの気持ちはない。

仕方ない。
結局は自分で決めて自分で選んだこと。

私はあなたの会社の社員でもないし何かのパートナーでもない。
私が死ぬまでの死んでからの雑務を頼みたいから我慢していることに全く気づかない。
つかず離れず後腐れのない人だから選んだだけなのよ。
気づきなさいよ。
それくらい。
私の体調が悪いことくらい気づきなさいよ。
赤の他人のことで悩みたくないのよ。

せめて仲間・友達・ビジネスの枠は守ってもらいたいわ。
これ以上は無理。
私の生活と人生に私の承諾なしで入ってこないで。

2010年7月12日月曜日

美丘

ここでまた石田衣良の作品のことを書くとは思わなかった。
私は好きなのだ。
石田衣良の作品が。
IWGPだけではなく、彼が書くなんとも言えない現実が入り混じった虚構の世界が好きなのだ。
その彼の作品がテレビドラマとして映像化されると聞いてからは、
期待と不安、見たい気持ちと見たくない気持ちの連続。
結局用事があって録画したものを昨日観た。

う~ん・・・微妙。

原作をドラマ化する時には必要なのかもしれないが、美丘の家庭と母親の登場はちょっと・・・。
同じ母親として、病気がある子どもの母として、そして助からない命を持つ者として、お母さんはこの作品には登場しない方がいいと思うな・・・。

病名が違うことは、まぁ、いろいろ想像できるからいいとして、主人公の男の子の友達くらいかな、イメージ通りなのは。
美丘は、石田衣良がイメージしていた美丘だろうと思う。
でも、もうちょっとハジケタ印象があったけど・・・。

あのシーンはどうするんだろう?・・・とか、こっちも考えるけど、小説通りにはいかないわな。

石田衣良の作品の中で1番好きな作品なだけに、ドラマはドラマとして良いものにしてほしい。
何も変えるなと、そんな無茶なことは言わないから、観て良かったと思うドラマにしてほしい。
マンガ原作ならこんなこと言わないけどね。
私が好きな小説がドラマ化や映画化されるのはほとんどないから余計かな?
だいぃーぶ他人様とズレているところが趣味やからしょーがないけどね。

今の私の生きる目標は、とりあえず9月までは生きること。
10月や年末なんて知らない。
たぶん生きてはいるだろうけれど、わからない。
美丘と一緒。
今できることをして、疲れたら休んで、食べるのを忘れないこと。

できるかな。

2010年7月6日火曜日

おひとりさま

「おひとりさま」になって何年経つのかな。

責任とひきかえの自由が性にあっていたかもしれない。

周りに言うほどモテたワケじゃないけど、自分ではいい女だと思う。

これほどのいい女だから男が負けてしまうのだと思う。

責任感と自由な生き方、子ども最優先、仕事と自分の夢。

全部かなえた方かな。

自分が後悔しないことと、他人に迷惑をかけることはひきかえにしない。

したくない。

あくまでもビジネスはビジネスライクに。

人づきあいは丁寧に。

いろいろな方に助けられて今の自分がいる。

誰に対しても感謝したい。

あ、2人を除いて。

誰かを知らないうちに傷つけているかもしれない自分がいるのだから。

はっきり傷つけた人間はいるのだから。

この年になって、おひとりさまの気楽さが淋しさに変わっても、

それは若い自分の選択したことだから後悔はしない。

これからも、おひとりさまでいたいから。

誰にも縛られず、誰にも人生を共有してもらいたくない。

2010年7月4日日曜日

今の若いモンは(怒)

言いたくないけど、言うてしまうやないのっ!

おまえ、何考えとんのじゃっヾ( ̄(●●) ̄)ノ

初対面どーのこーのちゃうわっ!

お金どーのこーのちゃうわっ!

おまえの態度が気に入らんのじゃっ!!!

ヘラヘラ笑ってれば何事も相手に許されると思ってるその態度がじゃっ!

ちょぉーーーーーっと手伝ったくらいで「オレはやった」みたいなこと言うなっ!

手伝いのうちに入らんのじゃ、ボケッ!

家で何もしてないから役立たずなんじゃ、ワレッ!

役立たずを役立たず言うて邪魔にして何が悪いっ!?

ホンマに邪魔やったんやっ、ゴラッ!

ボランティアさせたる言うてるのに金が欲しいやとっ!?

ボランティアの意味知っとんのかっ!

君のお母さんの気持ちを考えるとかわいそうやから親切にも説教したる言うてるのにっ!

自分のしょうがいのせいにするなっ!

コミュニケーション能力足りひんわ、人の気持ちわからんわ、でどーするんや?

おまえとは2度と関わらへんっっっ!!!

マリオン!!!!!

わかっとーなっ(怒)(怒)(怒)(怒)(怒)

2010年6月25日金曜日

ごめんなさい

人は愚かで素晴らしい

あんなにも

故人の悪口は言わないと

誓っていた私が

愚かにも言ってしまった

名前も何をしたかも言わなかったけれども

故人を指して悪口を言った事実は変わらない

気づいて良かった

そして

二人の子どもに感謝する

私の人生は

あなた達をこの世に産み出し

あなた達を生かせるために与えられた人生

そう思うと

全部が納得できる

自分のための人生と

自分の人生は自分のものと思ってたから

苦しかった

悔しかった

辛かった

哀しかった

呆れていた

でも

二人のための人生なら

あり

それだけで充分私が生きた意味がある

ありがとう

2010年6月12日土曜日

ありがとう私

誰も言ってくれないから自分で言う

この癖は小さい頃からの私の癖

今回は本当にお疲れ様でした、私

こんな自分でよかったと思えるから、ありがとう私

それから

先生ありがとう

大丈夫と言ってくれて、ありがとうございます

あの時は全然大丈夫じゃなかったけれど

先生の大丈夫が効いてきました

心も体も死にかけて

今日は生きようと思うことができました

そうですね、まだやることがある

自分が生きていることに、ありがとう

2010年6月3日木曜日

気がするだけ

何だかふっきれた

よく考えたら姉妹付き合いなんてしたことなかった

母だけが甘えて連絡してくるだけだ

あの家で私はずっと独りだった

「暗い」?
誰もしゃべってくれないのに勝手に笑えって?

「無口」?
誰もしゃべってくれないのに勝手にしゃべろって?

「いるかいないかわからない」?
誰も相手にしてくれないのに勝手に漫才でもしろと?

「勝手すぎる」?
誰も私の思いを聞かないのに決めたらそう言うの?


一緒に笑うことも悩むことも相談することさえ拒否した私の家族

下げたくない頭を下げたのは子どもの為

私は1度だって家族に頭を下げなければいけないことはしなかった

私の責任で全部やってきた

震災は私のせいじゃない

1番被害を受けたのは私なのに

怪我をしたのも私1人なのに

1番働かされたのは何故?

泊まらせてやってる?

食費を払えないから?

銀行も行けないのに?

荷物なんて鞄1つなのに?

あの人達の私への勘違いは一生治らない

病気はあの人達だ

本当の私を何1つ知らない

縁を切って正解

ふっきれた

何があっても知らない

何があっても知らせない

私の人生で1番通りすがりが多かった他人

挨拶もしない通りすがりの人達

別の角度から見ると

こんなにすっきりする


ふっきれて良かった

2010年6月1日火曜日

記憶

記憶と思い出は違う。
記憶の前につく言葉は「正しい」と「間違った」。
思い出の前につく言葉は「楽しい」「悲しい」「つらい」「嬉しい」。
記憶は試されるけれど、思い出はその人のもの。

私の思い出は楽しい嬉しいことを優先して欲しい。
悲しいつらい思い出はもういらない。
親姉妹や家族親戚の思い出は楽しい嬉しいことだけを覚えていたい。
少ないけれど、そうしたい。


私も天涯孤独になってしもたよ、Uさん。
そっちはどう?
生きてた時より少しはラク?
お互いになぁーんにも知らんかったね。
私はいつそっちに逝けるんやろか。
はよ喋りたいわ。
いっぱい喋ることあるねん。
ネタもあるで。
それから「ごめんね」て言わなアカンな。
ウザかったやろ?
私が勝手にしてること、迷惑やったんちゃう?
とにかく謝らなアカンやんな。
独りでよぉおったなて思うわ。
独りはこんなに淋しいやんか。
またおんなじやな。
待っててや。
すぐ逝くさかいに。
いっぱいネタ持って逝くさかいに。

2010年5月30日日曜日

バイバイ

さようならY君。

式の途中で涙が止まらなくなりました。

あなたが小学校2年生の時に私が家庭教師もどきみたいなことをしましたね。

それを思い出したら涙が止まらなくなりました。

意地悪な問題を出してごめんね。

まさかこんな最期になるとは思わないやない。

お母さんの時に不義理をしたのであなたの式には参加しようと思いました。

これでバイバイやね。

いろんなことチャラにできるかな。

母が迷惑をかけたことまでチャラにはできひんと思いますが。

おねえちゃんもすぐ追いかけるけどアッチで声かけんでええからね。

声かけるワケないか。

これだけは言うとくね。

おねえちゃんには親姉妹はいないからね。

天涯孤独と一緒やよ。

昔からね。

そやから他の人と一緒にせんといてね。

アッチに行ったら父によろしく言うといてね。

もちろんあなたのお母さんの後でええからね。

父もビックリするわ。

順番が違うて。

また涙が止まらへん。

バイバイ。

バイバイ。

バイバイ…

2010年5月29日土曜日

何てこと

人が1人亡くなったというのに自分の感情が先ですか

私への憎しみが先ですか

全く関係のないことが先ですか

おかしいでしょ

あなたを中心に世界が動いていると今でも思っているんですか

子どもの頃から全く変わっていないのですね

相手を思いやる気持ちは世間にだけですね

一方的なのはあなたでしょう

昔からあなたでしょう

我慢する身になったことがないからでしょう

happyな頭でよかったですね

外見ばかり気にしてきた報いですよ

これからもhappyな頭で生きてください

つきあいきれません

さようなら

2010年5月9日日曜日

どうでもいい

という気分

社会の決まりを知らない人が多すぎるのも

真面目に暮らしている人が損をするのも

私の首の痛みが治らないのも

全部

私のせいじゃない

あらゆる意味で

今のこの世界はイタイ

2010年5月6日木曜日

太平ラク

社長という職業は「責任を取ることが仕事だ」とずっと信じていたが、今はそうではないみたいだ。
雇われる側が、つまり労働者が何でも知っていなければいけないらしいのだ。
知らなければ社長も会社も責任は問われないらしい。
時代は変わったものだと思う。
雇う側の理屈が通ってしまうから法律は雇われる側を守ろうとしているのに、労働者は法律を勉強しているヒマがない。
知らない、知ろうとしないバカばかりになってしまったのか、この国は。
昔から意地汚いことをする人はいくらでもいたが、時代によってそれは正しかったり間違っていたりするものだ。
それを批判するには「確かめて知ること」ができないと、批判してはいけない。
プライベートの理屈が社会の理屈ではない。
ビジネスとプライベートを分けることができない会社と社長。
その存在の多さに驚く。
やはり太平の世は長くは続かない。
その努力を惜しむ人達が上にいては続かない。
病気や障害で働けない人達の気持ちなんて、はるか彼方の夢のまた夢。

2010年5月1日土曜日

自分しか見えない人

腹立ちがおさまらない。
どうして法律を素直に守れないのか。
たかが法律なのに。
紙1枚でお上の目はそれるのに。
紙1枚に、たった3分の仕事の手間にゴチャゴチャ言う必要がどこにあるのかわからない。
その人の気持ちや考え方と社会で守る規則は別物だとどうして気づかない。
悲しくて。
悔しくて。
腹が立つ。
会社の社長が法律を無視するにはそれなりのテクニックが要る。
何も知らないことを公然と言い放つその姿は哀れで哀しい。
私はお客様を守りたい。
たとえそんな社長であっても、その会社にしか頼るところがないお客様を守りたい。
愛想がいいのと会社を守れる手腕は全く別。
最低限の法律は守らないと目をつけられる。
綻びだらけの会社で社員が安心して働けるとは思わない。
そういう会社とは知らずに契約しているお客様が可哀想だ。

障害者は法律に縛られる。
何事も法律、法律、法律。
日本で1番法令遵守しているのは障害者だ。
健常者の法令違反ほど酷いものはない。
それに甘えている現実を皆知らない、知ろうとしない。
弱い者を助ける顔をして助けになっていない現実を無視している。
本当に相手の立場になって思いやる人間は日本にはもういないのかもしれない。
想像力が足りなさ過ぎる。
障害者こそいい迷惑だ。

2010年4月30日金曜日

Give&Take

他人との関わりの最初はGive&Takeだと思っている。
何の見返りもなしで関係するのは仕事だと思っている。
これは世間では逆のようらしいが、私の経験から言えば、仕事は雇う側と雇われる側ですでにGive&Takeの関係になっているから仕事内容に見返りはない。
他人との関わり、と言ってもそれは様々な形態を持つ。
親戚付き合い、近所付き合い、学校・仕事の付き合い、それから知り合いの付き合い、友人の付き合い・・・と、ただの通りすがり等〃。
これが”人間関係”。
この間傷ついたのは医師(看護師)と患者という関係。
これは”対人関係”。
対人関係は医師と患者という特別な関係だけを指すのではなく、仕事の取引先との関係や、行政との関係も対人関係の中に入れても良いと思う。
この区別をつけられて初めて大人への第一歩と私は教えられた。
騙す・騙される関係も対人関係。
だから他人との関わりの最初はGive&Takeなのだ。
人間関係も、対人関係もこの最低限のラインが崩れると終わってしまうものだ。
GiveGiveGiveでもアカンし、TakeTakeTakeだけでもダメなのだ。

今日、10年来の関係を絶つハメになった。
その人とはまさにGive&Takeの関係だった。
向こうはそうは思っても考えてもいないだろうが、私にとってはGive&Takeの関係だった。
私には無償で何か役に立ちたいという気持ちもあったし、無償で提供したことは多々ある。
けれども、そういうワケにはいかないお互いの立場というものがある。
こちらが与えるばかりでは何も関係は良くならないし、最終的にこういう破綻状態になる。
ただのご近所さんだったら付き合ってもいない人。
ただの知り合いだったらそれなりにしか付き合ってなかった人。
仕事でつながっていたからここまで付き合ってこられた。
方向性が違って当たり前の世界でよくここまで仲良くして頂いたと思う。
私が決心しなければ、これからもずっと付き合っていけたかもしれないと思う。
でも、今日という日を迎えることは何となくわかっていたように思う。
とても残念。
非常に残念。
でも、私には守る人がいる。

ごめんなさい。さようなら。

2010年4月16日金曜日

他人にはわからない

これは生まれつきかどうかわからないけれど、私は電解物質がうまく働かないらしい。
小さい時からよく足がつったし、寝る時は両手をお尻の下に入れてカサ上げしないと足の血流が悪くなるのは子どもながらに知っていた。

一昨年、左の背中がつった。
先週、右の側頭部から背中にかけてつった。
つった瞬間から起き上がるまで1時間かかったくらい痛かった。
それを1週間我慢した。
はずせない用事があったから我慢した。
でも、すぐ医者に行けば良かった。
用事で会った人には正直に首が痛いと伝えたのに思いやりがなかった。
やっと医者に行ったら看護師の暴言。
冗談は言っていい時と悪い時があるくらい知らんのか。
まるで私が嘘つきみたい…………いや、嘘つきだと思ってるな、あれは。
痛くもないのに医者に行くヤツと一緒にされたな。

小さい時もよく思ったが、「どれだけ痛いか体を交代したろか?」と今でも思う。
胃痙攣の痛みも2時間以上我慢した私はいつもピークを医者に見てもらえない。
だから嘘つきだと思われる。

医療関係者は患者の背景を想像できない。
小さい時は母が子どもに興味がなく、病気が重くならないと信じてもらえなかった。
今はほぼ独り暮らしだから、医者に行くまで回復しないと行けないのだ。
だからピークを医者に見せられない。
救急車はこんなことで来てくれない。
救急隊は意識があると嘘だと思ってる。
死ねと言われているのと一緒。

日本は福祉貧困だけじゃない。
医療貧困が福祉貧困につながっている。
あの、チョー上から目線の、まるで医療が日本の政治を牛耳っているような医療関係者の錯覚が全部をダメにしている。

肩胛骨から上が動かせない状態で生活してみろっ!
料理や洗濯、掃除してみろっ!
それで外科のオペやってみろっ!

あの看護師とはもう口きかん。

2010年4月9日金曜日

ゲーム

コミュニティサイトには辟易していたのに、ゲームがしたくてあるサイトに登録した。

もちろん無料。

老眼にはキツイかも…と思いながらヤメラレナイ。

今までの無料ゲーム(お試し)では最後までできなくて、寝つきの悪い私はアキてきたからだ。

もちろん熱中するほど若くない。

眠りに落ちるまでのツナギ。

生まれつき寝つきが悪いので、中学の頃からいろいろ試してきたが、眠りに落ちるまで何かするのが1番早い。

ずっと本を読んでいたけれど、老眼で文庫が読みにくくなってしまった。

携帯ゲームをするようになったのはそんな理由。

RPG以外ならなんでもいい。

とにかく眠りたいから。

眠って目覚めなくてもいいくらい。

夜は昔から鬱。

2010年3月29日月曜日

良かったね

友達の子どもの高校合格祝いを土曜日にさせてもらった。
子ども本人さんの希望でカラオケ大会♪
その時に、友達におすそわけに戴いたイカナゴを食べ尽くして、空いたパックにお菓子を詰めてお返しした。
ついでと言っては失礼だけど、整形外科の医師に私の体には気休めにもならないと言われた「ヒアルロン酸」も進呈。
息子も友達の子どもが腐女子と聞いて、お好みのアニメのシンラセンセイのコスプレ披露!
カラオケ大会は好評のうちに皆ニコニコで終了。

こんな安上がりで申し訳ないとは思ったけれど、本人さんが喜んでくれればこちらも嬉しい。
私の闇は、こういうナンでもない普通の事で癒される。
友達もちゃんと私が喜ぶ事を知ってるような気がする。
合格祝いなのに、私の癒し大会になってどーする…(〇>_<)

良かったね。
本当に良かったね。
Mちゃんの高校生活が、未来が希望にあふれて、どんな時でも優しいお母さんが側にいて、きっと素晴らしい世界が待ってるよ。

そういう未来がくるように、おばちゃん達オトナは頑張らないとアカンね。
なんとかするから絶望だけはしないでね。
望まれて愛されて生きている事を忘れないでね。
腐女子でもええのよ。
気持ちはわかる…と言えば正確な表現ではないけれど、好きなモノは仕方ない。
本当に良かったね。

2010年3月25日木曜日

相談→子育て

3連休中に東京の友達と晩ごはんした。
彼はいつも突然やって来て、私は楽しい。

今回は彼の相談にのるハズだったのに、いつの間にか私の子育ての話しになってしまった。
まぁ、話しの流れからそうなってしまったのは自然だとは思うけれど…。
彼の相談が「しょうがい者の親に関すること」だったからだ。

「しょうがい者の親」って言っても、人それぞれ考え方は違う。
自分の子どもの躾方だって違う。
それは、しょうがいがあろうがなかろうが一緒。
親は親でしかない。
子どもが未成年で学校時代なら、多少の意見のすれ違いは流せるけれど、大人になった子どもの親が意見を譲るとは思えない。
バラバラで当たり前。
だから彼には私が他のご父兄から嫌われている理由を話すことになった。
私の子育ては「普通」だったから。

子どものしょうがいを受け入れながら子育てをする=特別なことは何もいらない、子どもから教えられることの方が多くて楽しい……これが「しょうがい者の親」には通用しないことを話しただけ。

通院だの服薬だのリハビリだの運動制限だの食事制限だの、そんなモノは何も特別なことじゃない。
学校中を走り回ったって、学校行事の意味がわからなくったって、校長先生や用務員さんや給食のおばちゃん達と仲良しで楽しいならそれでいいんやないの?
今でもカタカナがわからなくったって、他人の悲しみに寄り添うことができる人間の方がいいんやないの?

私は私と同じように子育てしている「しょうがい者の親」に会ったことはないけれど、私だけではないはず。
だって私にできたのだから、皆できるはず。
でも、現実は私みたいな親は「しょうがい者の親」ではないらしい。

だから嫌われているらしいのだ、と。

しょうがいがあろうとなかろうと、自分の子どもはかわいい。
かわいいからこそ「将来困らないように」と考える。

……普通やん。

ただ、無理強いはしたくないと私は思う親だっただけ。
子どもにとっては迷惑な親だったかもしれない。
自分で何とかしないといけなかったから。
だから普通の子育てをしただけで、特別なことは何もしていないのだ。
一緒に笑って、一緒に怒って、一緒に泣いて、普通に親子ゲンカする。

彼は独身だから「子育ては楽しそう」と、本来の相談の目的とは違った感想を言ったけれど、相談内容は自分が考えてたよりもはるかに事は重大だとは理解してもらえたようだ。

ま、楽天家の彼がどんな答えを出すのかは、お茶でも飲みながらゆっくり待ちましょう(笑)。

2010年3月23日火曜日

義務と権利

今の世の中、「権利を主張する人」はたくさんいるけれど、「義務を果たす人」はそうそういない。

この間の司法書士相談で、『親の介護は子どもの義務だ』と言われた。
親に子の親権があるように、子にも親を監護する義務があるのだ。

そんなことは知っている。わかっている。
ただ、私にだけその監護義務があるワケではない。
他の兄弟姉妹にも等分にあるのだ。
相続権が等分にあるように。

その監護義務を放棄して相続権だけを主張するのは、まさしく「権利を主張して義務を果たさない」ことになる。

私はもう、どちらも放棄する。
親への監護義務は十分果たしたと思うし、監護ができない以上、相続権を放棄するからだ。

『義務を果たしてこその権利』

私は自分の子どもにはずっとそう言い続けている。

不当な扱いに対して権利を主張するのはいい。
ただ、果たさなければならない義務を放棄して不当な権利を主張するのはよくない。
「人間の世界」で生きていくからには法に従うのは義務だからだ。

その法が子どもに対して「親を監護する義務」を決めているのだから、私は義務を果たせないことになる。
だから権利を放棄する。
この論理のどこに間違いがあると言うのか、誰か教えて欲しい。

結婚するまで母に生活費を渡していたというだけで母を監護する義務は果たしたという主張が通るのか、誰か教えて欲しい。


もう、私のことはほっといて欲しい。
祖母と父以外の家族の誰からも愛されずに生きてきたのに、最後の最後で頼らないで欲しい。
私を愛して育ててくれた人達はもうこの世にいないのだから、産んだというだけで縛らないで欲しい。

私はコミュニケーションが苦手で愛想のない人間だけれども、肉親に嫌われて生きてきたのだから他人に嫌われることなど平気な人間になるのは当たり前だと思う。
私の欠点が母をそうさせるのかと悩んだりもしたが、他の兄弟姉妹にも嫌われている母なのだから私だけの問題ではないという結論になる。

だから、もう私のことはほっといて欲しい。
自分の好きに生きているのは母だけではない。
母のDNAを持つ私もまた自分の好きに生きる人なのだ。
そこは親子なのだ。

私は好き勝手に生きて、勝手にこの世を去るから、もうほっといて欲しい。

2010年3月21日日曜日

あくまでも

自分のこと。
相手の気持ちを想像することができない。

そんな母を捨てて、私がこんなに苦しい思いをしているのに、アッケラカンと「家に来い」と電話してくる。
『あなたを捨てました』の一言が言えない私。
電話を解約したいと、できないことも考えてしまう。


司法書士相談でもラチがあかない。
「元凶はお母さんですね。どうしようもありません。」と言われただけで、赤の他人にそんなことを言わせる母という人間が余計に醜く思えた。

介護保険の認定が何故そんなに自己崩壊につながるほどのことなのかわからない。
認定しても絶対に本人が言うほどの自己崩壊はないと思う。
今までがそうやから。
したらしたで、アッケラカンとサービスを使うようになると思う。
今までのことをなかったことにして。
私に対する罵詈雑言やストーカー行為もなかったことのように電話してきたのだから。

私に昭和時代の介護を平気で期待する、その脳の構造がわからない。
病気で先に死ぬかもしれないと考えない、その脳の構造がわからない。
私の体で病気でない健康な部分を探す方が難しいのに。

捨てると決めたからには捨てなければ。
私にはまだ子どもを守る仕事がある。

2010年3月19日金曜日

泣いてばかりの私の話しを黙って聴いてくださって、ありがとうございます。

さすがに良い言葉はなかったと思います。

誰にも言えないことを、私が唯一話しているからこそのことだと思います。

ありがとうございました。

2010年3月12日金曜日

思い出させないで

「障害者保健福祉計画策定」・・・

思い出したくないのに、こうやって何かしら思い出す機会が訪れる。
「いやな思いをしたこと」・・・
いっぱいあります。
「困ったこと」・・・
いっぱいあります。
子どもがしょうがいを持って生まれたというだけで。
医療・保健・福祉のお世話になってきました。
でも、実際に力になってくれたのは福祉事務所の親身になってくれた方と保育所の先生、それから子どもの友達になってくれた子ども達。
夫も夫の家族もすごくすごく頑張って助けてくれようとしたけれど、それは、その時の私が欲しい援助じゃなかった。
もともと私の家族は誰も助けてはくれなかったから、それを恥ずかしいと思う気持ちと遠慮が、私を素直に要求することから遠ざけていた。
今振り返るとそう思う。
離婚してしまったけれど、それは全く後悔はしていないけれど、今も夫だった人の家族には感謝している。
こんなことまで思い出させるなんて、残酷。
早く清書しなくちゃ、と思うだけで〆切が近づいてしまった。
「いやなこと」「困ったこと」・・・
もう全部過去のことなのに、昔と今とごっちゃになって感情が迸る。
福祉は残酷なものだと、改めて感じる。
それを仕事に選んだ・・・選ばされたかもしれないけれど、私は残酷なことの中にいる。
いつもいつも他人の泣く姿を見て、自分ではないと自分に言い聞かせ、これからの話しをする。
福祉に関係なく生きている人の言葉に腹が立つ。
福祉関係者の無責任な言葉に腹が立つ。
どの人も「人」。
人であることには違いはないのに、どうして上手くいかないの。
自分や自分の家族の責任は結局その人本人にしか取りようがないのに、まるで法律がその人の人生を握っているかのようなおぞましさ。
それを自分が握っているかのように振舞う人のおぞましさ。
「上」とか「下」とか私は考えたことがない。
どの人も人。
しょうがいがあるから法律に振り回されているんじゃない。
人は大昔から全員振り回されている。
得たいの知れない「権力」に。
そう、だからこの仕事を辞められない。
ちゃんと書こう。
ちゃんと発信しよう。
昔、夫の家族に言えなかったこと。
自分の家族に言えなかったこと。
周りの人に言えなかったこと。

私はしょうがいを持って生まれた子ども達を愛しています。
子ども達が「人」として生きる条件は法律に縛られるものではありません。
子ども達が自分で人生を生きるのです。
その選択する権利だけは奪わないでください。
私が自分1人で生きてきたとは思いませんが、選択する機会はありました。
その選択権だけは奪わないでください。
と。

2010年3月9日火曜日

苦しい

食べられない

外に出られない

体がだるい

何もする気がしない








これだけ並べると「鬱病」と診断されてしまうから病院には行かない。
普通に話すことも、誰かの悩みを聴くこともできるのに、自分の悩みは解決しない。
ただそれだけ。
仕事ができているかと言えば、できているともできていないとも言える。
お客様が来ないからだ。
でも、こんな状態の時に来られても困るのは私だから、天の配剤というか、うまくできているというか(笑)。

もうすぐそんなことも言っていられない。
やらなアカンことはいっぱいある。
母の怨念を背中に感じながら生きていく。

そうそう。
事情を知らない人に話してもラチはあかないけれど、やっぱりお年寄りはスゴイなと思う。
アカンことはちゃんとアカンと言うてくれる。
私にはガツンと言ってくれる大人の人が必要だ。
こんな時、介護の世界に戻りたいと思う。
あのなんとも言えない幸せな空間に戻りたいと思う。
オトナの話し相手が必要だ。

母と別れるこのツラサを母は知らない。
知らなくてもいい。
知ろうともしないだろうし。
ただ、私はこれで何人の人を捨ててしまったのかと思うと、また自分を責めてしまう。
こんな生き方しかできない自分が許せない気分になる。

精神的に捨てられて、何のフォローもなかった子どもはこんなに弱い。

ギャクタイノレンサ

私は私の子どもに同じことをしようとする自分を抑えるだけで精一杯。
こんなに愛していると、言葉に出すことで抑えている。
しんどい人生。

2010年3月5日金曜日

ありがとう

友達のありがたさに感謝します。
こんな私と友達してくれて本当にありがとう。

離婚した頃、「友達は2度とつくらない、いらない」と決めた私。
対人恐怖症になるほどの狡猾な人や、優しいけれど、たぶん私を鬱陶しいと思っていた人。
社会に出る前に結婚して、就職を諦めざるを得ない状況で、何も知らなかった私に「世間」や「社会」を教えてくれた方々には感謝しますが、しますが・・・何も言うことができません。
引っ越して彼女と出会わなければ、本当にまだ「友達はいらない」と突っ張っていたかもしれません。

私には友達と呼べる人はそう多くはいません。
もう「友達はいらない」とは思っていませんが、「たくさんの友人はいらない」と思っています。
また母の話しになってしまいますが、母は建前だけの関係でしか交友関係を作れない人だったから、老人になった今は誰も母と付き合おうとはしません。
お金目当ての下心がある人しか近寄ってきません。
それがわからない母を憐れだと思いますが、その余波がこっちにくると大変迷惑です。
それに、何十年もお互いの家を行き来してきた母の親友だと思っていた人が母から離れた時に、私は「こんな関係ならいらない」と思いました。
その人はわざわざ私だけに「あなたのお母さんとは喧嘩した訳じゃないの。わかってね。」と言いにきました。
母と私をはっきり区別してくれるその人の気持ちが痛いほど伝わりました。
たくさんの友人がいたのに母は今は1人きり。
いつも皆の中心でいたい母には今の状況は耐え難いものだろうと思います。
でも、それも母のしてきたことの報いだから仕方がないでしょう。
私はそんな関係ならいらない。

ありがとう。
ありがとう。
本当にありがとう。
友達でいてくれて。

2010年3月3日水曜日

限界

もう母の悪口は言わない書かないと決めていたのに、そうさせてくれない。
私は人に「させられる」とは思いたくないからできないことは「できない」とハッキリ言う。
でも、母に関してだけは「させられる」。
母はたぶん、生まれつきの病気で、それに追い討ちをかけるように環境や時代が作用した。
認知症は多少あるけれども、昔からの性格の悪さに拍車がかかっただけ。
それに悪魔のようなタイミングの悪さは、母の持っているものとしか思えない。
本当に、本当に、本当に、バッドタイミングで自分勝手なことを言う。
3歳の子どもにさえ容赦しないのだから、今の大人の私に遠慮というものはなくて当たり前だ。
彼女の母、つまり彼女の子ども達のおばあちゃんが亡くなったと連絡が来た。
その時、母は我が家の留守電に私に対するイヤガラセを入れていた。
彼女の子ども達のSOSのBGMが我が母のイヤガラセ。
もう、限界。
親の認知症で悩む子どもはまだ幸せだ。
もともとの人格で、ただ産んだというだけで、子どもの幸せを奪う。
自分が産んだ子どもの幸せさえ嫉ましいのが母。
もう、限界。
いつまでも生きるつもりでいる、自分だけは死なないと思っている80歳を捨てる。
たった一言、「お墓に入る準備をしてください」と手紙を書いただけで毎日のようにイヤガラセ。
勝手に私名義のモノを作って、それが迷惑だったから解約しただけで毎日のようにイヤガラセ。
留守電に延々と恨み言を録音する。
母のプライド、世間体、を粉々にした、と言う。
こちらの事情など関係ないのは前から知っている。
私は私の子ども達をオバアチャンから守りたいだけ。
私は子どもで被害に遭ってもしょうがないけど、母は孫まで巻き込むつもりらしい。
母のために一族子々孫々は尽くさなくてはいけないらしい。
もう、限界。
私にはそんな時間も体力も残されていない。
家を片付けて、書類を整理して、子どもが困らない生活を送れるようにしたい。
・・・これを書いている今もイヤガラセの電話があった。
昨日からは無言電話。
ストーカーに切り替わっている。
もう、限界。
もう捨ててもいいでしょ。
私は母に最初から捨てられているから、私が母を捨ててもいいでしょ。
もう、充分私は尽くしたと思う。
親子という縛りから開放されたい。
一族というワケのわからないモノから開放されたい。
母が死んでも泣かないと思う。

2010年2月25日木曜日

胃けいれん

法的に親子の縁を切るのは簡単だ。
けれども、感情がついていけないのだと思う。
胃けいれんがきた。
激しい痛みだった。
よくガマンする方だと思う私でさえ声が出た。
救急で、全く知らないけど、ヤブで有名な病院に行かざるを得なかった。
今さら医者に「親に捨てられたストレスが原因」なんて言えない。
ホンマにヤブ医者やったし。
ボケナースやったし。
誰が全く信用できない医者の処方した薬なんか飲めるもんか。
おかげでまた周りの人に迷惑をかけてしまった。
ごめんなさい。

大切な大切な節目の日があるから、漢方で治します。

2010年2月20日土曜日

重症

を、心に負った。
この3日間は泣きっぱなしだ。
最初の1日目は号泣した。
それほどの重症だ。
今も泣きそうで怖い。
一昨年から泣くことばかりで、つらい。
人生の晩年になろうとしているのに、これほど泣くことがあるとは思わなかった。
心が痛い。
心が痛い。
心が痛い。



一昨日から左の股関節も痛い。
右の股関節痛が治ったと思ったら左だ。
明日は杖をついて仕事に行こう。

2010年2月11日木曜日

突然なのか

また食べられなくなった。
少しずつ自分のリハビリ計画に添って改善していたのに。
食べ物を見ると吐きそうになる。
頑張って食べてもバナナ半分もいかない。
大好きなケーキも半分いかない。
1日の総カロリーが500を切っている。
この状態でもう5日目。
昨日の晩はスーパーのお寿司が食べられたけれど、気持ち悪くてしかたがない。
バランス飲料と利尿剤代わりのコーヒーだけは何とかなる。
最初の1日で1kgの体重減。
でも、その後は少しずつしか減っていないから前よりはマシかな。
ちゃんと動く理由が今はあるから、筋肉が落ちてないんだと思う。

これは、昨年末からの母や姉妹のことが原因かもしれないけれど、そう思いたくない。
私の無意識の領域からの警告のような気がする。
心身症と言ってしまえばそれまでの話し。
持病の悪化なのかわからないからもう少し様子を見る。
ここらへんが医師が私を理解できない部分なのだけれど(笑)。
このまま死に至っても全然後悔はないし。
散らかり放題の家もどうでもいい。
仕事も後のことはしてくれる人はいる。
父の遺産相続の件も全部終わった。
もう私には何も未練はない。
迷惑をかけるのはお互い様。
それが子どもだけで済むのがたった1つの願い。
悲しませることはわかっているけれど、これだけは仕方がない。
他の誰よりも悲しませたくない人に悲しい思いをさせてしまうのは仕方がない。
生きているいる限り死ぬことが決まっているから。

2010年2月4日木曜日

不思議な空間

この間、父の遺産整理の最後の分が残っていたのを見つけて整理しに行った。
(恐ろしいことに我が一族は代々相続というものをほったらかしにするのが習慣だったのだ。おかげで江戸時代まで遡って遺産整理をするハメになり、足掛け3年の年月を費やした)
家の前からタクシーに乗ると、不思議な事にタクシーの運転手は私のかつての通学路を進んで行く。
目が釘付けになった。
何もかも変わってしまったと思っていたけれど、学生の頃にあったお店を見つけるとホッとした。
でも、やっぱり変わってしまった場所の方がだんとつに多い。
悲しい気持ちで涙が出そうになった・・・。
父の最後の遺産整理が終わって、今度はタクシーではなく電車に乗るつもりで駅に向ったら、そこも随分変わっていた。
ビックリしたし、たまに買っていた靴屋さんがなくなっていることにちょっとチクンとした。

子どもの頃、私はよく異空間に入ることが多かった。
それは、子どもなら誰でも経験のある事で、何もおかしいことではない。
ただ、他の子どもよりは私は異空間に行くことが多かったかもしれない。
今頃、父の最後の遺産整理の分が出てきたこと。
タクシーが通学路を走ったこと。
もう、異空間に入れ、と言われているようなものだ。
私の中で、たぶん、数え切れない感情と無意識からの奔流があったのだと思う。
常にない疲れ方だったからだ。
母や姉妹の言動などどうでもよくなったくらい、私は私の無意識からの奔流の方が大事に思う。
こういう体験ができる私はしあわせだ。
よかった。

2010年1月27日水曜日

どうして

許せない気持ちが残るのか
私の喘息は妹が原因なのに
誰も気づかない
妹も忘れている
妹だけじゃない
あの時の私の家族全員の責任なのに

病気を持って産まれたのがそんなにダメですか
私の責任ではない公害病になったのはそんなにダメですか
遺伝子も関係なく私がダメな存在ですか

病気がある人に対する態度がそれですか
家のフローリングが傷むから車椅子は家に入ったらダメなんですか
もう左耳は聞こえないと言ってあるのに
聞き間違いを責めるのですか
隔離してそれで自分が優しいと言うのですか

皆、全員、謝れ
この私に謝れ
謝罪しろ
許せない

だけど
1度でいいから「お母さん」と呼びたかった
母に強制された呼び方ではなく
自分の言葉で「お母さん」と呼びたかった

産んでくれてありがとう
あなたがどんな人でも
私を産んでくれなければ
私は大切な大切な子ども達に会えなかった
私が子どもを産むことができたのは
あなたが私を産んでくれたから
だから
産んでくれてありがとう
これだけは伝えたい
伝わらないけれど

謝罪してもらいたい気持ちと伝えたい言葉
両立するはずのない2つ
私の心はどこか壊れている

2010年1月26日火曜日

産まれなおす

昨晩、息子が私の布団に入ってきた。

「何か疲れんねん。寝ても疲れが取れへんねん。」

と彼は言う。

私は「じゃあ、エネルギー注入するわ」と彼のおでこに唇を当てる。

「あっ、間違って吸うてしもたわ(笑)」

「えーっ!」

「ごめん、ごめん。よしよし・・・」

と彼の頭を撫でる。

彼は目を閉じて心地よさそうに抱かれている。

私も何も考えないでその温かさに身を任せる。

2人で至福の数分を堪能する。

「うん。もう、ええわ。」

と、息子が布団を出て行く。

この作業が私は大好きだ。





年に数回、彼は私の布団に入ってきて私に抱っこされる。

自分ではどうしようもない時に、彼は「産まれなおし」の儀式としてやってくるのだ。

母ちゃんの布団は何故か温かい。

母ちゃんの抱っこは気持ちいい。

それだけで彼は産まれなおって明日からの日々を生きる。

「産まれなおす」という事は、「1回死んで産まれかわる」という意味を持つ。

息子は何度も何度も私から産まれているのだ。

母としてこれほどの幸せがあろうか。

私は何度も息子を産んでこれ以上ないほどの幸せを感じている。





私も母から産まれなおしたかった。

こんな幸せを拒んだ母は、やはりどうしようもないのだ。

私は息子のおかげでこの幸せを知った。

ありがたい事だと、布団から出て行く息子に心の中で感謝する。

2010年1月18日月曜日

葛藤

相反する心を整理する為に、脳はいろいろな事をする。
不眠だったり、寝ても夢ばっかりだったり、食欲がなくなるし、何もする気がなくなったり。
震災の報道は今年も片寄ったモノばかりで、しんどくなるだけだった。
1人1人体験した事は違うし、心の傷つき方も違うのに。
私も子どももPTSDで今も苦しんでいる。
統計には入っていない数のうちだ。
この時期はしんどい。
本当にしんどい。
ちょっとガンバッテみようかとガンバッテみたが、無理だった。
哀しいだけだった。
他人には理解できない。
ましてや市内でも「震災があった地域」と「そうでない地域」がある事は報道されない。
そういう区別がされていないから「家がない」「水がない」気持ちがわかる人とそうでない人がいることも報道されない。
親族の中で私と私の子どもだけが「震度7」に遭った。
だから親族よりも同じ境遇にいた人達の方が話しやすいのは確かだが、でも、他人。
それぞれ違う。
私達は助かったワケだし。
そうだ・・・
父だけは私の家に来て、私を助けてくれた。
戦争に行った人だから、ひどい惨状にも冷静だった。
すべて私1人が元の生活に戻れるようにやってきたのだと思い込んでいた。
そう、父だけは助けてくれた。
その後に喧嘩したんだった・・・。
思い出せてよかった。
本当に今、思い出した。
1年の記憶がなくなるくらい、と表現したのは間違いじゃなかった。
本当に記憶間違いがたくさんあるみたい。
これは私が墓に入るまで続く作業なんだろう、たぶん。

2010年1月16日土曜日

やっと

少~し向き合えるようになったのかもしれない。
いろいろな事に。
怒りをぶつける相手のいない事から15年かぁ・・・。
去年、広島で原爆資料館で見た写真と同じような光景を実際この目で見た日から。
「冷静沈着に行動できる」私は、その時でさえ変な人と呼ばれた。
自分の子どもを守ることしか頭になかったから、周りの声はどうでもよかった。
ただ、マスコミで報道されているような事も事実だけれど、障害者が困った事も事実だけれど、母子家庭が困った事はあまり報道されない。
家がない、小さい子どもがいる、障害児だ、お金がない、食料配給に並ばなければいけない、銭湯に子どもを連れて行く、会社に行って働かないと来月の給料が出ない・・・
地域の住宅修理の話し合い、学校との連絡・・・
転々と住む所を変えながらのいろいろな事は1年間の記憶がなくなるくらいだった。
でも、ハッキリ覚えているのは父親の死だ。
3月に病院に行った時にはたぶんもう手遅れの状態だったのだろうと思う。
水道がまだ復旧していないからと、病院側の他市への転院を断った父。
「自分の家を守りたい」
この言葉が真実だったのかどうかはもうわからない。
8月に入院するまで自宅をその手で建て直した。
私もいろいろなことに忙し過ぎて、父の様子を見に行けたのは10月からだった。
それが良かったのかどうかもわからない。
父には私が死神に見えたのだろうか。
あちこち歪んだままの家に戻って学校との連絡にも困らなくなった時から、子どもを守ることから父に会いに行く事にエネルギーの半分はシフトした。
助からないという事は、私にはわかっていたように思う。
医師の説明も十分理解できたし、それが「余命○○ケ月」と呼ばれるものである事もスンナリ納得できた。
変な人間だと、自分でも思う。
我が父の余命をスンナリ受け止めるなんて。
でも、現実は変えられない。
できる事は全部する事しかないと、生きている間が全てだと、その時はそう思った。
でも、母とは違う悔いは残った。
地震がなければもう少し生きられたかもしれない。
父が家に執着しなければもう少し生きられたかもしれない。
転院していればもう少し生きられたかもしれない。
どれもこれも、今となってはしかたがなかったとしか言いようがない。
地震は起こっていたし、明治からの家を支えたのは父だし、転院していても手遅れだった・・・。
私にできる事は全部できたかな。
お互い強情で頑固だから喧嘩したそのまま別れてしまったけれど、それで良かったのかな。
「ごめんね。」
の一言を言えれば良かったのかな・・・。
父も震災死に認定される事を母に伝えたけれど、母はキッパリ断った。
それは父も望んでいない事かもしれないけれど、私はお墓以外に父に会いに行く場所が欲しかった。
いつでも父に会える場所が欲しかった。
それは私の我儘なのだろう。
父を思い出すのは年に数回になってしまったけれど、それでもこんなに哀しい思いが胸から湧き上ってくる。
傷ついたのは私だけじゃない。
哀しいのは私だけじゃない。
そう願っている。

2010年1月15日金曜日

相反する心

を、スーパーバイズしてもらったらラクになった。

「なるようになる」

「全てはわからないところで進む」

わかっていたことなのに、人の心はそれを裏切る。





先生、全然失礼やないですよ。

私のご一党は・・・家系は、ほとんど皆『普通の人』で『自分が1番かわいい人』達です。

障害者を差別し、自分だけには老いも死も関係ないと思い込んでいる人達です。

私だけがハズレ者な訳ではありません。

私は現実に病気を抱え、機能障害もあるだけのことです。

最期の時を待っている人だから、他のご一党様方とは少し違うだけです。

私の中にあるDNAは、まぎれもないご一党のモノです。

ただ、私が先生にスーパーバイズを求めるのは、信頼関係の他に何かあると思うんです。

「糸」というか、「線」というか、そのようなモノ。

私と先生は「点」同士なんだけれども、「糸」で繫がっているようなカンジです。

また電話します。

年末の大掃除の話しを忘れたので。

2010年1月7日木曜日

悪企み

今年の正月の親族の集まりは結構おもしろかった。
親族と言っても親子3代の集まり。
毎年律儀に計画を立てる姉や妹が私は笑えてしょうがない。
1年中ほったらかしで、母の健康状態とか生活状態を把握する気はないのに、正月と母の日と還暦や古希のお祝い事だけは非常に気にする。
まるで遠い所に住んでる嫁状態やね(笑)。
さしづめ私は長男の嫁状態か・・・?
これを打破する為に今年の集まりはわざと迷惑をかけに行った。
「自分の家に集まらないか」と言い出した妹が悪い。
私の悪企みが始まってしまったからだ。
1回計画を立ててしまうと止まらなくなってしまった。
誰も母に関心がないのと同じで、誰も私の健康状態を知らない。
私は小さい頃から私の家族に徹底的に無視されてきた自分を不幸だとは思わないけれど、母の介護ができなくなった今は他の介護義務者に理解してもらう必要が出てきた。

母の介護をするのはだぁ~れだ?

心のロシアンルーレットに引っ張り込む強力なインパクトが必要だったのだ。
私以外は世間で言う『普通の人』で『障害者や老人は私には関係ありません』と思い込んでいる。
自分もいつ障害者になるかわからない、将来は老人になることに気がついていない、自分が1番かわいそうな人生だと思っている、私から言わせてもらえば「ドアホな人生しか送っていない人達」にスーパーパンチをおみまいしなければならなかったのだ。
思った通り、私が行くと誰1人として「障害」や「老い」を考えたことがないドアホな言動(笑)。
知らなくて幸せなこともあるけれど、自分の将来さえ考えないのは「無知の罪」だ。
ましてや自分の実の母親を介護施設にポンと入れることしか考えないのはホンマもんのドアホとしか言いようがない。
今の介護保険がどんな状態かも知らない「無知の集まり」が介護保険を利用して上手く母を施設に入れることができる可能性は1%以下だと思う。
寝たきりは突然やってきて、その時に介護保険の認定を受ければすぐに施設に入れると思っているからだ。
私をガン無視して私の知識から情報を得ることもしない。
私の体が弱くて小さい頃から病気ばかりの人生なのを知っているのに、母の最期を看取るのは私だと勝手に決めていたようだ。
母が最初に倒れた時に私は姉妹にキチンと宣言している。
「私ができるうちは私が母の面倒を見るけれど、それが何年かはわからない」と。
すでにその時には私は大きな病気を抱えていたからの言葉だったのに、想像力がないと言うか、自分の基準でしか物事を判断できないと言うか、呆れ返る。
悪企みが成功したのかしなかったのかは、これからの反応を見なければ判断できない。
すでに1人、これまたドアホなことに要介護者である叔母に私のことを電話で報告したから、叔母から私に電話があったけれど(笑)。
叔母は自分が障害者なので、私の病気を知って泣いてくれた。
私が叔母に言った言葉は「私のために泣いてくれてありがとう」だ。
「私のために泣いてくれる人がまだいたんやね」とも言った。
叔母は時代の犠牲者でもあるけれど、私は時代に振り回されることはなかったかもしれない。
医学の発達がもう少し早ければ、症状の緩和ができたかもしれないが・・・。
私は幸せだ。
私のために泣いてくれる人が最低でも2人はいることを知ったから。
息子と叔母。
この2人だけでいい。
今回の悪企みに協力してくれた息子にも感謝。

さぁ、母を介護するのはだぁ~れだ?

2010年1月2日土曜日

明けましておめでとう、私

よく生きたね

年を越せたね

まだ家の片付けが終わってないもんね

生きる意味はあるよね

少しだけね

何とかしなくちゃね

このダレダレな人生