2010年3月12日金曜日

思い出させないで

「障害者保健福祉計画策定」・・・

思い出したくないのに、こうやって何かしら思い出す機会が訪れる。
「いやな思いをしたこと」・・・
いっぱいあります。
「困ったこと」・・・
いっぱいあります。
子どもがしょうがいを持って生まれたというだけで。
医療・保健・福祉のお世話になってきました。
でも、実際に力になってくれたのは福祉事務所の親身になってくれた方と保育所の先生、それから子どもの友達になってくれた子ども達。
夫も夫の家族もすごくすごく頑張って助けてくれようとしたけれど、それは、その時の私が欲しい援助じゃなかった。
もともと私の家族は誰も助けてはくれなかったから、それを恥ずかしいと思う気持ちと遠慮が、私を素直に要求することから遠ざけていた。
今振り返るとそう思う。
離婚してしまったけれど、それは全く後悔はしていないけれど、今も夫だった人の家族には感謝している。
こんなことまで思い出させるなんて、残酷。
早く清書しなくちゃ、と思うだけで〆切が近づいてしまった。
「いやなこと」「困ったこと」・・・
もう全部過去のことなのに、昔と今とごっちゃになって感情が迸る。
福祉は残酷なものだと、改めて感じる。
それを仕事に選んだ・・・選ばされたかもしれないけれど、私は残酷なことの中にいる。
いつもいつも他人の泣く姿を見て、自分ではないと自分に言い聞かせ、これからの話しをする。
福祉に関係なく生きている人の言葉に腹が立つ。
福祉関係者の無責任な言葉に腹が立つ。
どの人も「人」。
人であることには違いはないのに、どうして上手くいかないの。
自分や自分の家族の責任は結局その人本人にしか取りようがないのに、まるで法律がその人の人生を握っているかのようなおぞましさ。
それを自分が握っているかのように振舞う人のおぞましさ。
「上」とか「下」とか私は考えたことがない。
どの人も人。
しょうがいがあるから法律に振り回されているんじゃない。
人は大昔から全員振り回されている。
得たいの知れない「権力」に。
そう、だからこの仕事を辞められない。
ちゃんと書こう。
ちゃんと発信しよう。
昔、夫の家族に言えなかったこと。
自分の家族に言えなかったこと。
周りの人に言えなかったこと。

私はしょうがいを持って生まれた子ども達を愛しています。
子ども達が「人」として生きる条件は法律に縛られるものではありません。
子ども達が自分で人生を生きるのです。
その選択する権利だけは奪わないでください。
私が自分1人で生きてきたとは思いませんが、選択する機会はありました。
その選択権だけは奪わないでください。
と。

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