2010年3月23日火曜日

義務と権利

今の世の中、「権利を主張する人」はたくさんいるけれど、「義務を果たす人」はそうそういない。

この間の司法書士相談で、『親の介護は子どもの義務だ』と言われた。
親に子の親権があるように、子にも親を監護する義務があるのだ。

そんなことは知っている。わかっている。
ただ、私にだけその監護義務があるワケではない。
他の兄弟姉妹にも等分にあるのだ。
相続権が等分にあるように。

その監護義務を放棄して相続権だけを主張するのは、まさしく「権利を主張して義務を果たさない」ことになる。

私はもう、どちらも放棄する。
親への監護義務は十分果たしたと思うし、監護ができない以上、相続権を放棄するからだ。

『義務を果たしてこその権利』

私は自分の子どもにはずっとそう言い続けている。

不当な扱いに対して権利を主張するのはいい。
ただ、果たさなければならない義務を放棄して不当な権利を主張するのはよくない。
「人間の世界」で生きていくからには法に従うのは義務だからだ。

その法が子どもに対して「親を監護する義務」を決めているのだから、私は義務を果たせないことになる。
だから権利を放棄する。
この論理のどこに間違いがあると言うのか、誰か教えて欲しい。

結婚するまで母に生活費を渡していたというだけで母を監護する義務は果たしたという主張が通るのか、誰か教えて欲しい。


もう、私のことはほっといて欲しい。
祖母と父以外の家族の誰からも愛されずに生きてきたのに、最後の最後で頼らないで欲しい。
私を愛して育ててくれた人達はもうこの世にいないのだから、産んだというだけで縛らないで欲しい。

私はコミュニケーションが苦手で愛想のない人間だけれども、肉親に嫌われて生きてきたのだから他人に嫌われることなど平気な人間になるのは当たり前だと思う。
私の欠点が母をそうさせるのかと悩んだりもしたが、他の兄弟姉妹にも嫌われている母なのだから私だけの問題ではないという結論になる。

だから、もう私のことはほっといて欲しい。
自分の好きに生きているのは母だけではない。
母のDNAを持つ私もまた自分の好きに生きる人なのだ。
そこは親子なのだ。

私は好き勝手に生きて、勝手にこの世を去るから、もうほっといて欲しい。

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。