2009年12月31日木曜日

哀しい1年

彼女のことはもう書かないと決めていたのに

1年の最後になって

どうしても書きたくなった

それほど哀しい出来事だったから

それほどつらい出来事だったから

もう涙も枯れ果てた

思い出すのは彼女のバカ笑いする笑顔だけ

彼女と話すだけで

どれほど私は救われたか

彼女は知らないと思う

まだこんなに哀しい

まだこんなに思い出す

これも彼女は知らない

私は忘れない

絶対

あなたのことを

2009年12月27日日曜日

しつこいようですが

やっとIWGP全編を読み終わった。
仕事の移動の最中と寝る前だけでは時間がかかるモンですな。

で、やっぱり私は「水のなかの目」が好きだ。
「Gボーイズ冬戦争」にも関わってくる話しだとわかった時には『やっぱり』と思った。
あれで終わりにはしたくなかった作者の気持ちの推移が想像できる。
それくらい「水のなかの目」は秀作だと、私は勝手に思っている。
その方がIWGPらしい流れだから。
その方がよほど人間らしい。

それから1作だけ涙を流してしまった作品が「バーン・ダウン・ザ・ハウス」。
この作品の少年は私の周りにいくらでもいるから。
同じように家族を傷つけ、自分自身を傷つけなければその時生きられなかった子ども達。
犯してしまった罪の償いの方法を知らない子ども達。
そんなことになる前に私はずっと親達に警告したいと考えて行動してきたつもり。
自分の子どもさえ救えなかった私だからできることだと信じて行動してきたつもり。
でも、現実は池袋のマコトをいつも裏切るのを知っているくらい私は年寄りだから、うまくいったのはほんの数えるくらいで、ほとんど失敗に終わっている。
やっぱりIWGPは現実ではないのだ。
それが読書中毒者になってから久しぶりに本の中と現実がボーダーレスになった感想。
「水のなかの目」ほどではないが「バーン・ダウン・ザ・ハウス」はそれほど現実感のある作品だ。
年季の入った読書中毒者に涙を流させるくらい現実と間違わせるのだから。







今日からはまた気楽に読める江戸モノでも読もう。
登場人物がやたら多くて心理学的に考察の必要な本は来年からでいいや。
とにかく今はこの目が見えなくなるまで本が読みたい。
読めなくなってもそれほどショックじゃない気はしている。
私が死んでから出る本は読めないしね。
当たり前だけど。

2009年12月12日土曜日

さっきの続き

1つ大事なことを書くのを忘れた。




「少年計数機」の中で描かれているような発達障害の子どもに精神安定剤は使わない。
理由その1、軽度。
理由その2、パニック症状でてんかん発作を起こしていない。
理由その3、そもそも日本には小児用の精神安定剤が存在しない。
小説だから許されることなのかどうかよくわからないが、情報収集不足も甚だしい。
私の情報も古いのかもしれないが、今のところ「子どもの鬱」が確認されているだけで薬の開発は聞いていない。
発達障害の子どものパニック症状は周囲の人間(オトナ)の対応で十分軽くすることができるし、成長にともなって回数が減るのが普通だ。
私は個人的に発達障害と認知症は類似していると思っている。
どちらも脳の変化やダメージ・回路連結の問題が原因で、それによって起こる様々な症状は2次的症状だからだ。
パニックは何も病気を持っていない人でも起こす。
予期・予測できない事態に遭遇すると誰でもパニックになる。
それが、何か(普通の人間にとっては)些細な原因でパニック症状を起こすのが発達障害だ。
認知症も同じことが言える。
パニックは2次的症状の1つだから、原因を取り除いて本人が他に気をそらせることができれば症状は治まる。
何も薬を使う必要は全くない。
(ただし、重度の発達障害は知的障害をともなう場合が多いので薬剤を使用する場合もある)
石田衣良がどんな方法で発達障害の情報を収集したのか知らないが、そこらへんに売っているたくさんの本の中から抽出したのであれば、それはハズレだったとしか言いようがない。
専門の医師に取材したのだとしても、それはハズレ医師だったとしか言いようがない。
医師が正しいことを話したのであれば、石田衣良が理解能力に欠けていたとしか言いようがない。
それほど私は怒っている。
発達障害ほど誤解されている障害はないと思うからだ。
難病でもなく、身体のどこかが欠けているわけでもなく、知的に遅れているわけでもなく、精神的には何も異常がないのに、「普通ではない」のだ。
昔なら「ただのアホ」で「おかしなヤツ」なのだ。
そんな表現でいいなら、そんな人間は今はいっぱいいる。
脳を調べたことがあるかないかの違いだけだ。




石田衣良を攻撃しているのではない。
エライ文学賞を取る作家でも間違うくらい発達障害の理解は難しいと言っているだけだ。
ただ、影響力の大きさを考えて作品を出して欲しかった。
それに評論家の目のふし穴加減に呆れただけだ。
私は石田衣良の作品では「美丘」が好きだ。
この作品は良い。
心と心がどこか分離している微妙なラインが好きだ。
それでいて共時性がある不思議な作品だ。
しばらくIWGPを読み返す日々が続くのだろうが、今のところ「水のなかの目」が1番良い。
医学的・精神的分析をするのならば、この作品の少年の方がよっぽど「おかしい障害」を持っている。

発達障害の理解間違いのもと

ネットで十分だと思っていた小説家の短編を文庫で買うようになり、
ネットで読んでいた小説もオトナ買いして今読み直している。
石田衣良。
この間、NHKの障害者何とか賞をもらった人。
池袋ウエストゲートパーク。
長瀬智也が主人公を演じたドラマは好きだ。




でも、気に入らないことが1つ。
文庫の巻末に書いている文藝評論家だかナンだかわからないオッサン達。
彼らはIWGPの中でも傑作は「少年計数機」だと言う。
私は1番の駄作だとずっと思っていたし、その考えはこれからも変わらない。
「少年計数機」の中に出てくる発達障害の子どもの描写が間違っている。
作者の発達障害の説明も間違っている。
LDは大学の教授でさえ「学校の勉強ができないこと」だと間違えている。
学校の勉強ができない子どもはたくさんいる。
LDは「学習」そのものに障害がある。
「学習」とは人間が人間である所以の大元だ。
小脳で生きることはできる。
人間が人間であるのは学習するからだ。
言葉を覚える、歯をみがく、服を着替える、遊びのルールを覚える・・・
人間の成長は全部が学習で成り立っている。
それが阻害される障害が学習障害=LDだ。
生活そのものの学習が遅れるのだから学校の勉強についていけるはずがない。
「少年計数機」の中の少年(正しくは学童)は、どう読んでもLDではない。
超軽度の自閉とアスペルガー+確実にADHDだと思う。
コミュニケーションがまともに(普通の人にはわからないと思うが)とれているのが、作者の誤解を表している。
発達障害はどの障害もコミュニケーションに1番の問題がある。
それに危機的状況の把握も難しいし、「暗号」など高度な解決策は無理だ。
普通の人(一応ここでは対比的に使うが、普通の人などこの世にいない)には思いつかないアイディアや思考回路を発達障害の子ども達は持っているが、作品の中に描かれた以上の解決策のはずだ。
「少年計数機」の中の少年を発達障害というならば、作者が描く池袋西口公園に集まるどこにもいけない少年達の方が発達障害の可能性が高い。
作者が揶揄的に「小脳で生きている」レベルの人間達だ。
私はLDの子どもを育てている。
現在進行形なのは、この障害には終わりがないからだ。
人間は人生が終わる瞬間まで発達し続ける生き物だからだ。




純文学がどうのではなく、石田衣良は悪文家だ。
それでも物語に引っ張り込まれる文章構成の良さ、ディティールの細かさなどがこの人の持ち味だ。
主人公の心の動きが今の若い人独特さを表しているし、どこにもいけない、どこにいったらいいのかわからない(オトナだってそんなこと知らない)から群れている若い人達がよく描写されている。
それでも、最初の情報収集が間違っているからどんなに作品全体が良くても「少年計数機」は駄作だ。
こんなに有名な、若い人が読む小説で間違った情報を書かないで欲しい。
フィクションでノンフィクションが困った状態になるのは間違っている。




今は見える障害よりも見えない障害の割合の方が多い。
石田衣良も書いているが、昔は無視されていた障害に名前がついたからというのもある。
しかし、昔は助からなかった赤ちゃんが助かるようになったというのが1番の理由ではないだろうか。
全く自分には関係ないと知らん顔して生きていても、周りには確実に数人の障害者がいる世の中になっている。
障害抜きで世の中は語れない時代になってきているのに、まだ知らん顔ばかり。
「少年計数機」はそういう意味でも駄作だ。

2009年12月3日木曜日

誕生日

昨日は子どもの誕生日だった

去年からは私が泣く日







あの子を産む時は21時間かかった

若かったことも

何も知らなかったことも

毎年思い出す

あの時の悔しさも

あの時の腹立たしさも

あの時の何もできないショックも

毎年思い出す







たとえ親子でも

たった今産んだとしても

もう人は違う人生を歩む

それをイヤというほど思い知らされた瞬間だった








そんなこと

普通の人は思い知らされないんだろう

だから平気で生きていけるんだろう

明日が必ず自分にも来ると信じて疑わないんだろう

明日どころか

次の瞬間が来る保障は誰にもないのに







生きることは

いつ死んでもいいこと

それが怖すぎて

皆、見ないフリ

2009年12月2日水曜日

泣かずに

今年は泣かずにすむかな

いや、泣きそうやな

どこにいたって考える

どうしてるかな

ちゃんと生きているかな

ごめんね



原爆ドームの前でボーッとしてたら

そんなことばかり

久しぶりに母に電話した

驚いた声がおもしろかった

でも、そんなことはちっともおもしろくない

余計に自分が惨めになった

今も昔も

人は同じことで間違ってばかり

自分が生きるだけで精一杯

たぶん

未来の人もそうなんやろ

そう思わんと

原爆ドームの前におれんかった