2009年12月12日土曜日

さっきの続き

1つ大事なことを書くのを忘れた。




「少年計数機」の中で描かれているような発達障害の子どもに精神安定剤は使わない。
理由その1、軽度。
理由その2、パニック症状でてんかん発作を起こしていない。
理由その3、そもそも日本には小児用の精神安定剤が存在しない。
小説だから許されることなのかどうかよくわからないが、情報収集不足も甚だしい。
私の情報も古いのかもしれないが、今のところ「子どもの鬱」が確認されているだけで薬の開発は聞いていない。
発達障害の子どものパニック症状は周囲の人間(オトナ)の対応で十分軽くすることができるし、成長にともなって回数が減るのが普通だ。
私は個人的に発達障害と認知症は類似していると思っている。
どちらも脳の変化やダメージ・回路連結の問題が原因で、それによって起こる様々な症状は2次的症状だからだ。
パニックは何も病気を持っていない人でも起こす。
予期・予測できない事態に遭遇すると誰でもパニックになる。
それが、何か(普通の人間にとっては)些細な原因でパニック症状を起こすのが発達障害だ。
認知症も同じことが言える。
パニックは2次的症状の1つだから、原因を取り除いて本人が他に気をそらせることができれば症状は治まる。
何も薬を使う必要は全くない。
(ただし、重度の発達障害は知的障害をともなう場合が多いので薬剤を使用する場合もある)
石田衣良がどんな方法で発達障害の情報を収集したのか知らないが、そこらへんに売っているたくさんの本の中から抽出したのであれば、それはハズレだったとしか言いようがない。
専門の医師に取材したのだとしても、それはハズレ医師だったとしか言いようがない。
医師が正しいことを話したのであれば、石田衣良が理解能力に欠けていたとしか言いようがない。
それほど私は怒っている。
発達障害ほど誤解されている障害はないと思うからだ。
難病でもなく、身体のどこかが欠けているわけでもなく、知的に遅れているわけでもなく、精神的には何も異常がないのに、「普通ではない」のだ。
昔なら「ただのアホ」で「おかしなヤツ」なのだ。
そんな表現でいいなら、そんな人間は今はいっぱいいる。
脳を調べたことがあるかないかの違いだけだ。




石田衣良を攻撃しているのではない。
エライ文学賞を取る作家でも間違うくらい発達障害の理解は難しいと言っているだけだ。
ただ、影響力の大きさを考えて作品を出して欲しかった。
それに評論家の目のふし穴加減に呆れただけだ。
私は石田衣良の作品では「美丘」が好きだ。
この作品は良い。
心と心がどこか分離している微妙なラインが好きだ。
それでいて共時性がある不思議な作品だ。
しばらくIWGPを読み返す日々が続くのだろうが、今のところ「水のなかの目」が1番良い。
医学的・精神的分析をするのならば、この作品の少年の方がよっぽど「おかしい障害」を持っている。

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