2009年12月12日土曜日

発達障害の理解間違いのもと

ネットで十分だと思っていた小説家の短編を文庫で買うようになり、
ネットで読んでいた小説もオトナ買いして今読み直している。
石田衣良。
この間、NHKの障害者何とか賞をもらった人。
池袋ウエストゲートパーク。
長瀬智也が主人公を演じたドラマは好きだ。




でも、気に入らないことが1つ。
文庫の巻末に書いている文藝評論家だかナンだかわからないオッサン達。
彼らはIWGPの中でも傑作は「少年計数機」だと言う。
私は1番の駄作だとずっと思っていたし、その考えはこれからも変わらない。
「少年計数機」の中に出てくる発達障害の子どもの描写が間違っている。
作者の発達障害の説明も間違っている。
LDは大学の教授でさえ「学校の勉強ができないこと」だと間違えている。
学校の勉強ができない子どもはたくさんいる。
LDは「学習」そのものに障害がある。
「学習」とは人間が人間である所以の大元だ。
小脳で生きることはできる。
人間が人間であるのは学習するからだ。
言葉を覚える、歯をみがく、服を着替える、遊びのルールを覚える・・・
人間の成長は全部が学習で成り立っている。
それが阻害される障害が学習障害=LDだ。
生活そのものの学習が遅れるのだから学校の勉強についていけるはずがない。
「少年計数機」の中の少年(正しくは学童)は、どう読んでもLDではない。
超軽度の自閉とアスペルガー+確実にADHDだと思う。
コミュニケーションがまともに(普通の人にはわからないと思うが)とれているのが、作者の誤解を表している。
発達障害はどの障害もコミュニケーションに1番の問題がある。
それに危機的状況の把握も難しいし、「暗号」など高度な解決策は無理だ。
普通の人(一応ここでは対比的に使うが、普通の人などこの世にいない)には思いつかないアイディアや思考回路を発達障害の子ども達は持っているが、作品の中に描かれた以上の解決策のはずだ。
「少年計数機」の中の少年を発達障害というならば、作者が描く池袋西口公園に集まるどこにもいけない少年達の方が発達障害の可能性が高い。
作者が揶揄的に「小脳で生きている」レベルの人間達だ。
私はLDの子どもを育てている。
現在進行形なのは、この障害には終わりがないからだ。
人間は人生が終わる瞬間まで発達し続ける生き物だからだ。




純文学がどうのではなく、石田衣良は悪文家だ。
それでも物語に引っ張り込まれる文章構成の良さ、ディティールの細かさなどがこの人の持ち味だ。
主人公の心の動きが今の若い人独特さを表しているし、どこにもいけない、どこにいったらいいのかわからない(オトナだってそんなこと知らない)から群れている若い人達がよく描写されている。
それでも、最初の情報収集が間違っているからどんなに作品全体が良くても「少年計数機」は駄作だ。
こんなに有名な、若い人が読む小説で間違った情報を書かないで欲しい。
フィクションでノンフィクションが困った状態になるのは間違っている。




今は見える障害よりも見えない障害の割合の方が多い。
石田衣良も書いているが、昔は無視されていた障害に名前がついたからというのもある。
しかし、昔は助からなかった赤ちゃんが助かるようになったというのが1番の理由ではないだろうか。
全く自分には関係ないと知らん顔して生きていても、周りには確実に数人の障害者がいる世の中になっている。
障害抜きで世の中は語れない時代になってきているのに、まだ知らん顔ばかり。
「少年計数機」はそういう意味でも駄作だ。

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