2018年4月26日木曜日

自殺行為


必要とされない人生に恐怖を感じてきたのかもしれない
子どもに必要とされる年月はとても楽しかった

先が見えるという怖さ
それは年老いて初めて感じる人が多いと思う
でも私は先を常に見るようにしている

違う
先が見えてしまうから怖い

かなり嘘はついてきた
今は嘘をつくのに慣れてしまった
記憶の混乱も年齢だとは思わない
私は私に嘘をついている

先が見えること
嘘をつくこと
自分の首を絞める

嫌われる人になろうと思う
すでに嫌われているからではなく
もっと嫌われて
私自身を葬りさろう

2018年4月16日月曜日

新しい人生


人は人生において常に選択している
道を歩いている時も右足を出して左足を出すという選択を無意識にしている
些細なこと、自然なことと思う行動・思考が全て選択した結果だということ

小難しいことを考えるのは学者だけでいいと言う人が大勢いる
そういう人は幸せ者で大馬鹿者
知らない幸せと知ろうとしない大馬鹿

私も常に選択を思考している訳ではない
独身時代はごく自然に無意識に選択をしてきた
皆さんの思考では進学や就職が選択の機会だったと思う
それよりも少しだけ私は選択する項目が多かった

ユング心理学に出逢ってからは思い出すように選択する機会を考えるようになった
それが私の心を揺るがし笑わせ泣かした
心の中で何度も何度も何度も死んだ
自分で墓標を立てるのはとても辛かった

子育ての大きな節目は必ず迷ったし考えた
子どもが考えて選択したことを推考し何を伝えれば良いのかを考えた
無責任に両手を上げて応援することはなかった
でも何も考えず無意識に選択した自分の言葉が多かった

この矛盾が人生だ
考えたことよりも無意識に選んだことの方が後悔しない
考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて言った言葉は子どもの心に届かなかった

親は子どもの言葉を聴くだけで良いとも思わない
何もかもあるがままを受け止めるには覚悟が必要
私が苦しんだのは唯一これだけだ
生活費に余裕がなかったのは申し訳なかったけれど
一緒にいること、一緒に遊ぶこと、一緒に生きることには全力を尽くした

なのに
最後は一緒に生きることを捨てた
子どもには子どもの人生があるという建前で私は私の心の崩壊を防いできた
私は最後には捨てる人だから私自身を捨てようとする自分を誤魔化してきた

泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて
まだ泣きたい

どうか新しい人生を歩んでいますように
どうか新しい人生を楽しんでいますように

私も老人という新しい人生を歩みます
理想の老人にはなれないかもしれないけれど
迷惑な老人になると思うけれど
選択することは増えると思うけれど
真っ暗は部屋の中でも青空を見上げるように生きます

2018年4月8日日曜日

寒暖差


暑くて寝つけなかった夜と寒くて寝つけなかった夜を過ごして昼夜逆転してしまった。
どこかで時間調整をしなければならないけど・・・
今の私は本能のままに生きている。

今年も息子と一緒に綺麗な桜を観てお酒を飲んだ。
息子は私に四季を感じてもらいたいようだけれど、真っ暗なベッドの上でも四季は感じている。
体温調節ができない日を除けば部屋の温度で四季はわかるから。
だから外に出るのは息子の気持ちに応えることが100%。

そういう優しさは人との関わりで培うもの。
病気の知識がなくても昔の人は人を思いやる方法を何となく知っていた。
息子も何となく知っているのだと思う。

私は優しくない親だと思う。
息子達を愛しているけれど、一人で生きていけることを最優先した。
”生きる”ことは難しいから。
ただ息をして、ただ食べて、ただ寝るだけの人生は面白くないから。
料理・掃除・洗濯と仕事が生活のベース。
そういう基礎があって初めて自分の好きなことが見えてくる。

私はたくさんの趣味を持たなくていいと思っている。
楽しければそれが全部趣味になる。
本を読むこと。
映画やお芝居を観ること。
音楽を聴くこと。
こうして文章を書くこと。
誰とも話さない、関わらくていいことばかりが楽しい私。

一人で生きてきた私の背中を見て息子達は息苦しかったと思う。
でも、そういう親子の寒暖差はあっていい。
昼夜逆転しても、それは親子の関係の中で修復できると信じている。

だから帰っておいで。
虫のいい話だとは思うけど。
帰って来てください。
お願いします。