2018年9月21日金曜日
耳性帯状疱疹
発症から5日目の受診
そんなに怖い病気だと思わなかった
左の顔が痛いのは時々あったから
顔面神経麻痺という後遺症が怖い
美人でもなければ若いという訳でもないのに
顔は私の唯一の自慢だった
無表情という自慢
それがなくなるとどう表現していいのかわからない
どんどん感情表現方法がなくなってゆく
息子はいつも気づかない
だから教えた
謝る必要がなくても息子は謝る
どうして私は治らない病気や後遺症が残る病気に愛されるのかな
治療方法がない病気に愛されるのも才能?
誰にも理解されない病気にばかり愛されるのは
正直もう飽きた
もうしんどい
2018年9月18日火曜日
終わったことは笑い話し
にできれば人生楽。
今まではできたのに今はできない。
年を経るということは思い出にすがる作業かもしれない。
痛みしか生きている実感がない。
さて。
息子とどう折り合いをつけようか。
2018年9月15日土曜日
1割の復活と8割のダウン
死にたいとは思わなくなった
正確には心の奥にしまい込んだだけ
そして1割復活
部屋の片づけをしたいから
その代わり身体的には8割のダウン
ずっと座っているのは意地でも何でもない
する事が山積みになった
仕事があれば私はどうしていたのかな
仕事で発散できたのかな
気持ちの切り替えをちゃんとできたのかな
今日は左の耳朶が痛くて痛くて生きていると感じた
2018年9月12日水曜日
気づき
学校の教育と家庭の躾は根本的に違う
私は教師の「指導」という言葉が大嫌いだ
指導とは行く道を指し示して導くという意味
学校でできるはずのないこと
躾は道徳的に美しいという意味
家庭でしかできないこと
この相反する言葉の意味を知らない人達でもきちんと躾はできる
私は躾と同時に療育という場面にずっと付き合う子育てだった
最初は療育の意味もわからなかった
わからないことは調べる
という基本的なことをしたら先生に怒られた
ここでもまた療育と指導を混同する教師がいた
母親は子どもの躾に専念しながら家庭でも療育をする
勉強して何が悪い
私は理屈屋で屁理屈の多い人だとよく言われる
納得できないことを放っとけないだけなのに
自分の子どものことを理解したかっただけなのに
それが今は仇になっているのかもしれない
理屈を知らなくても躾ができる大人になれなかったから
そういう大人を見下してきたのかもしれないから
無私の愛情を注いできたのは本当
自分のことを後回しにして子どものことだけを考えて生きてきたのも本当
息抜きやリフレッシュをする時間がなかったのも本当
でも私は私を大切に思うことも忘れなかった
そうしないと子どもは見抜くから
どうして息子は私に恥ばかりかかせるのか
そう思ったことは数えきれないほどある
障害は関係ない
そういう子どもだと
そういう人なのだと
自分に言い聞かせて誤魔化してきたのかもしれない
息子は私に恥をかかせるつもりは全くないのだから
人生の終わりに近づく今
そういうことに気づく私は愚かだ
2018年9月11日火曜日
2018年9月9日日曜日
希死念慮
私は愛されないことが苦手だ
ずっと、ずっと、ずっと、
生まれてからずっと愛されたいと渇望していた
愛されなくてもいいと自分に言い聞かせて生きて
自分を騙して
死にたくなるのを我慢して
笑顔で
楽しいフリをして
生きてきた
最後の家族に愛されないと決定打をくらって
毎日声を殺して泣いて
真剣に現実から逃れようとしている
こういう時はいつも慎重に計画を練るのに
今まで生きてしまった
私が生きる理由は何もない
もう理由がない
受験だったり結婚だったり子育てだったり
そういう理由がない
大好きなアイドルも私を引き留める理由にはならない
実際には会えない子どもの成長を楽しみにしても心の支えにはならない
死にたい死にたい死にたい
もうこの体を捨てたい
もう十分苦しんだから
もう十分一緒に生きたから
もうこの命を諦めたい
家族には最期まで恵まれなかった
私が捨てるまで何も理解されなかった
理解されようと努力できない人間もいることを理解されなかった
全部私の責任で
全部私は黙って背負ってきた
自分のことを話せなくて何が悪い
何もない空っぽの人間にした人達に私は責任を取れとは言わなかった
それのどこが間違いで何が悪い
そんなことを言っても無駄
何度も何度も試そうとして失敗した
カウンセラーだけが私の魂を守ってくれた現実が悲しくて哀しくて
どんなに泣いても誰も私を守ってくれない
私は強い人間じゃない
脆弱だから闘うことでしか生きてこれなかっただけだ
もう闘うこともしたくない
私は私の命を諦めることに随分前に屈しているから
死にたい
ただそれだけ
2018年9月6日木曜日
罪と罰と無表情
私が無表情でいると誰にも私の気持ちがわからない
生まれてから私の感情を言い当てられたことは1度もない
無表情は私にとって便利な顔芸
そう、息子にもわからない
怒っているか無視していると思われるのは息子でも一緒
私を愛さない人達と同じ反応をする
今まで誰にも本当に愛されたことはないけれど
息子の前で泣くのを必死で我慢していて無表情になった今日
息子が仕事から帰る前に号泣した今日
目が覚めた時から涙が溢れた今日
私は先生に「どうしたらいいの!」と叫んだ
もう会えない先生に叫んだ
先生
私は気が狂いそうです
これは何もかも捨てた私への罰ですか?
息子の前で泣くことさえできない私への罰ですか?
私はそれほどの罰を与えられるほどの罪を犯したんでしょうか
私より先に私を捨てた人達に同じ罰はないんでしょうか
逃げ出すことがそんなに悪いことですか
生かされた命だから生きてきた
今も生かされているから生きている
でももういい
もう終わりにしたい
誰にも愛されない人生は終わりにしたい
それが罪と言うならそれでいい
不謹慎を承知で言う
私は交通事故に遭っても生き残った
私は災害に遭っても生き残ってしまった
誰か私を殺してください
本当の死でなくていい
私の心を殺してください
そうすれば罪にはならないから
私が望んだことだから
1番簡単な方法は知っている
私が捨てた人達と会う
そして予想通りの言葉を聞く
私の心は壊れる
簡単過ぎて当たり前すぎて選ぶことを忘れていた
先生
私は大変なクライアントだったでしょう
最後まで話しを聴いて頂いてありがとうございました
自尊心と罪と罰
最近よく息子に自尊心を傷つけられる
普通の会話をしているつもりが相手を傷つけていると息子は言う
特に接客場面で息子は私に腹を立てる
中学生並みの自分勝手な思い込みで
息子の障害は一生このままで治ることはないと理解している
でも私の立場を理解できないことや
今になって私の自尊心を傷つけられるとは思ってなかった
「発達・成長・療育」という言葉で彼の自尊心を傷つけてきたのは私かもしれない
その罪の罰が今の彼の言動かもしれない
しれないが彼は母親の苦労を知らない
育児は楽しいばかりではないのは誰でも一緒
障害だからという理由で育児が大変だとは思わなかっただけ
みんな平等に大変な思いをして子どもを育てている
と私は思ってきたし息子にも言った
「親の心子知らず」とはこの事かと思い知らされる日々
あのね
母ちゃんは若い人にはウザい話し方をしているかもしれない
でもそれは若い人の方が感じているだけで母ちゃんは普通の礼儀正しい日本語を喋っているだけ
日本語がわからない君が母ちゃんをウザいと思うのはただの反抗期
それを外でされるとさすがに母ちゃんも傷つくのよ
穏やかで優しい子なのにそこにいる人全員に誤解されてしまう
それが傷つくのよ
一生懸命育てた子どもが他人に誤解されるのはイヤなのよ
母ちゃん自身も傷ついているのよ
それが解らないから障害なんだけどね
こういう時は母ちゃんは1人で泣くのよ
母ちゃんが死んでから解っても遅いけど
どうか他人様にはしないで欲しい
相手を傷つける言葉は何通りもあることを知って欲しい
君を守る為に他人を言葉で傷つけざるを得なかった母ちゃんからのお願いです
2018年9月3日月曜日
被虐待児
私は被虐待児だったのか
と
ふと考える時がある
現在なら被虐待児になると思う
昔はどうなんだろう
母親からは私が本当に欲しいものは得られなかった
ただそれだけかもしれない
私は息子達が本当に欲しいものを与えられただろうか
心を尽くしても与えられなかったものがあったのは確か
私の本意ではなかったとしても
ごめんね、ごめんなさい
と
謝るのは息子達に失礼だと思うようになった
私は子ども達と一緒にいるのが楽しかったから
一緒に生きるのが楽しかった日々を謝罪するのはおかしいことだ
と
思い至ったから
楽しかったね、幸せだった
と
最期に言いたい
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