2018年12月28日金曜日

良いお年をください


「良いお年をお迎えください」

と他人に言うのは簡単

「良いお年を私にください」と言うのはとても難しい

誰にもわからない事を望むから言えない



のではなく

すごく簡単な事を望んでいるだけ



私に関わらないでください

私に文句を言わないでください

私に無関係な事で悩ませないでください

この3つだけ



穏やかで痛みの少ない日々を過ごしたい

できる事が少なくなっても私でいたい

息子達が同じように穏やかに過ごしてくれればいい

少しの試練くらいはあってもいいけど

乗り越えられない試練は要らない

私のような病気にならなければそれでいい



良いお年を私にください

2018年12月9日日曜日

つまらない人生


はないと思っていた

私の人生は充実していると

思い込んでいた

さすがにそれは

間違いだと悟った

充実した人生なんて

所詮人の思い込み

生きたいとか死にたいとか

それは自分で決められない

願望でしかない

つまらない人生だったと思う

素直に

普通の簡単なありふれた人生

それでいい



2018年12月1日土曜日

おめでとう


明日は34歳の誕生日ですね。
どんな大人になっていますか?
人様に迷惑をかけて生きていますか。

間違えてもやり直す事ができる間は幸せです。
間違えても謝る事ができる間は幸せです。
間違える事を恐れるようになれば良い大人とは言えません。
そう、私のように。

あの時、意地を張らなければ今もあなたは私の側にいたでしょうか。
体も心も見えない今の状態に慣れる事はありません。

でも、あなたの誕生日は笑いましょう。
あなたが私の子どもで良かったと思うから。
いつまでもこっそり泣くのはやめましょう。
あなたが生きているならそれでいいから。

2018年11月12日月曜日

幼稚な成人


最近のドラマで描かれる成人した子どもの幼さに呆れている。
どうしてあんなに稚拙な方法で親に反抗するのか解らない。
脚本家の想像力が乏しいのかドラマを面白くする為に敢えて幼い幼児のような心理設定にしているのか解らない。
成人しているのだからもっと描き様があると思うのに。

今の私の楽しみはパソコンとドラマや映画を観る事しかない。
家の中の行動範囲ももの凄く狭い。
唯一の楽しみを稚拙な表現で台無しにしないで欲しい。

自分を振り返ってみればドラマの脚本や演出に文句を言えない部分もあるが
こっちは本物の人生をやっている。
少しは夢のある物語の世界に浸らせてくれてもバチは当たらないと思う。
脚本を書くなら心理学くらいは学んで欲しい。

子どもの心理的発達はそれぞれが経験するタイミングで大人が良い方向に導けば上手くいく。
逆のことをしても上手くいく事が多い。
子どもの育つ力は子どもの中にあるからだ。
してはいけないことは無視。
無視は子どもが育つ力を失くしてしまう。
ネグレクトが虐待の中に入っているのはそういう意味だ。
過保護よりも性質が悪いかもしれない。

成人しても人としては未熟なままの人間が多いのは事実。
まさに私がそうだから。
我慢ばかりの人生で自分を騙す事だけ上手くなった。
自分の気持ちを言えない大人は語彙が少ない幼児と一緒だ。

そんな親に育てられた息子達も語彙が少なく自己表現が下手だ。
まさに親子。
いっぱい喋るけれど自分の気持ちは他の表現方法に頼る人になってしまった。
ドラマの幼稚な成人子どもは全部が幼稚だけれど
私の子ども達は一部が幼稚なまま。
そう信じたい。

2018年10月17日水曜日

守る


守るってどういうこと

何を守ればよかったの

基盤の生活

子ども



この3つで精一杯だった

これ以上は守る必要のないもの

家族なんて知らない

他人なんて知らない

私を裏切るものは知らない

だから

傷ついたことはいっぱいある

私は私を守りきれなかった

子どもを守りきれなかった

守りたいという想いだけの人生だった

2018年10月14日日曜日

お金がない


切実な問題、お金がない。

生活には困らないけれど、寝ているだけの私には娯楽が必要。

要は痛みを忘れる為の気晴らし。

映像ディスクはいっぱいあるけど、何度も何度も繰り返し観ている。

パソコンの無料ゲームは腕が痛いから、携帯のゲームが気晴らしなのに。

携帯が壊れそう。

7年半も使っているから当たり前。



前に機種変を考えた時、息子がコツコツ貯めたポイントを使い込んでいることがわかった。

携帯電話本体価格が無料のうちに機種変をしていればよかったと後悔。



難病者に娯楽なんてと思う人もいるだろう。

何もしないのに遊ぶことだけ考えていると思う人もいるだろう。

違う、と言えない私がいる。

本来は動いていないと落ち着かない人だから。

だからこそ気晴らしが絶対に必要。




寝ているだけの人生を想像してください、と言いたい。

意識はしっかりあるのに動けない状態になったら、と想像して欲しい。

何をするかではなく、何を選ぶかでもなく、どう動くかしか選択肢がない私。

息子達へ。

そういう想像ができる人になってください。

2018年10月11日木曜日

愛される


気づいたの

誰にも愛されない人生だと思っていたのに

気づいた



私は難病に愛されている

人や動物や植物や生き物にではなく

私は病気に愛されている



私の内臓は独立国家

それぞれに支配者がいて

私の要望は聞き入れてくれない

私の体は1つの国なのに

細胞単位で文句を言えない

ちゃんとお願いしないときちんと働いてくれない

そんな私の体は病気に愛されて愛されて愛されて

これでもかというくらい愛されて

私は幸せ者だと思った



誰に愛されなくても

何にも愛されなくても

私には唯一愛してくれるものがある

もうそれだけで十分

私は生きていける

病気と一緒に

私は死んでいける

病気とともに

1人旅しかしたことがない私にとって

連れがいるのは楽しい旅立ち

2018年9月21日金曜日

もう何も


もう誰とも何も喋らない

人生で何度も決意した

だけど人は話せるようにできている



誰かに認めてもらいたいという欲を捨てられない限り

私は死ねないのかもしれない

それが心残りになるのかもしれない

とっても残念な人間



私は人が嫌い

私は人が好き

どっち?



息子が歩み寄ろうとしても拒絶する私は

きっととても心の弱い人

耳性帯状疱疹


発症から5日目の受診

そんなに怖い病気だと思わなかった

左の顔が痛いのは時々あったから




顔面神経麻痺という後遺症が怖い

美人でもなければ若いという訳でもないのに

顔は私の唯一の自慢だった

無表情という自慢

それがなくなるとどう表現していいのかわからない

どんどん感情表現方法がなくなってゆく



息子はいつも気づかない

だから教えた

謝る必要がなくても息子は謝る



どうして私は治らない病気や後遺症が残る病気に愛されるのかな

治療方法がない病気に愛されるのも才能?

誰にも理解されない病気にばかり愛されるのは

正直もう飽きた

もうしんどい

2018年9月18日火曜日

終わったことは笑い話し


にできれば人生楽。

今まではできたのに今はできない。

年を経るということは思い出にすがる作業かもしれない。

痛みしか生きている実感がない。

さて。

息子とどう折り合いをつけようか。

2018年9月15日土曜日

1割の復活と8割のダウン


死にたいとは思わなくなった

正確には心の奥にしまい込んだだけ

そして1割復活

部屋の片づけをしたいから



その代わり身体的には8割のダウン

ずっと座っているのは意地でも何でもない

する事が山積みになった



仕事があれば私はどうしていたのかな

仕事で発散できたのかな

気持ちの切り替えをちゃんとできたのかな



今日は左の耳朶が痛くて痛くて生きていると感じた

2018年9月12日水曜日

気づき


学校の教育と家庭の躾は根本的に違う

私は教師の「指導」という言葉が大嫌いだ

指導とは行く道を指し示して導くという意味

学校でできるはずのないこと

躾は道徳的に美しいという意味

家庭でしかできないこと

この相反する言葉の意味を知らない人達でもきちんと躾はできる



私は躾と同時に療育という場面にずっと付き合う子育てだった

最初は療育の意味もわからなかった

わからないことは調べる

という基本的なことをしたら先生に怒られた

ここでもまた療育と指導を混同する教師がいた

母親は子どもの躾に専念しながら家庭でも療育をする

勉強して何が悪い



私は理屈屋で屁理屈の多い人だとよく言われる

納得できないことを放っとけないだけなのに

自分の子どものことを理解したかっただけなのに



それが今は仇になっているのかもしれない

理屈を知らなくても躾ができる大人になれなかったから

そういう大人を見下してきたのかもしれないから



無私の愛情を注いできたのは本当

自分のことを後回しにして子どものことだけを考えて生きてきたのも本当

息抜きやリフレッシュをする時間がなかったのも本当

でも私は私を大切に思うことも忘れなかった

そうしないと子どもは見抜くから



どうして息子は私に恥ばかりかかせるのか

そう思ったことは数えきれないほどある

障害は関係ない

そういう子どもだと

そういう人なのだと

自分に言い聞かせて誤魔化してきたのかもしれない

息子は私に恥をかかせるつもりは全くないのだから



人生の終わりに近づく今

そういうことに気づく私は愚かだ

2018年9月11日火曜日


死にたいというのは嘘だったかもしれない

あの時は本当に死にたいと渇望したのに

死ぬ方法が見つからない

焼死も水死も飛び降りも飛び込みもできない体

動かない体



首吊りはイヤだ

包丁で刺す勇気もない

結局何もできない



昔の人はどうしてそういう勇気があったのか知りたい

自死という決断ができたのか知りたい



私は嘘つきで終わる

2018年9月9日日曜日

希死念慮


私は愛されないことが苦手だ

ずっと、ずっと、ずっと、

生まれてからずっと愛されたいと渇望していた

愛されなくてもいいと自分に言い聞かせて生きて

自分を騙して

死にたくなるのを我慢して

笑顔で

楽しいフリをして

生きてきた




最後の家族に愛されないと決定打をくらって

毎日声を殺して泣いて

真剣に現実から逃れようとしている

こういう時はいつも慎重に計画を練るのに

今まで生きてしまった



私が生きる理由は何もない

もう理由がない

受験だったり結婚だったり子育てだったり

そういう理由がない

大好きなアイドルも私を引き留める理由にはならない

実際には会えない子どもの成長を楽しみにしても心の支えにはならない



死にたい死にたい死にたい

もうこの体を捨てたい

もう十分苦しんだから

もう十分一緒に生きたから

もうこの命を諦めたい



家族には最期まで恵まれなかった

私が捨てるまで何も理解されなかった

理解されようと努力できない人間もいることを理解されなかった

全部私の責任で

全部私は黙って背負ってきた



自分のことを話せなくて何が悪い

何もない空っぽの人間にした人達に私は責任を取れとは言わなかった

それのどこが間違いで何が悪い



そんなことを言っても無駄

何度も何度も試そうとして失敗した

カウンセラーだけが私の魂を守ってくれた現実が悲しくて哀しくて

どんなに泣いても誰も私を守ってくれない



私は強い人間じゃない

脆弱だから闘うことでしか生きてこれなかっただけだ

もう闘うこともしたくない

私は私の命を諦めることに随分前に屈しているから



死にたい

ただそれだけ


2018年9月6日木曜日

罪と罰と無表情


私が無表情でいると誰にも私の気持ちがわからない

生まれてから私の感情を言い当てられたことは1度もない

無表情は私にとって便利な顔芸



そう、息子にもわからない

怒っているか無視していると思われるのは息子でも一緒

私を愛さない人達と同じ反応をする

今まで誰にも本当に愛されたことはないけれど



息子の前で泣くのを必死で我慢していて無表情になった今日

息子が仕事から帰る前に号泣した今日

目が覚めた時から涙が溢れた今日

私は先生に「どうしたらいいの!」と叫んだ

もう会えない先生に叫んだ



先生

私は気が狂いそうです

これは何もかも捨てた私への罰ですか?

息子の前で泣くことさえできない私への罰ですか?

私はそれほどの罰を与えられるほどの罪を犯したんでしょうか

私より先に私を捨てた人達に同じ罰はないんでしょうか

逃げ出すことがそんなに悪いことですか



生かされた命だから生きてきた

今も生かされているから生きている

でももういい

もう終わりにしたい

誰にも愛されない人生は終わりにしたい

それが罪と言うならそれでいい



不謹慎を承知で言う

私は交通事故に遭っても生き残った

私は災害に遭っても生き残ってしまった

誰か私を殺してください

本当の死でなくていい

私の心を殺してください

そうすれば罪にはならないから

私が望んだことだから



1番簡単な方法は知っている

私が捨てた人達と会う

そして予想通りの言葉を聞く

私の心は壊れる

簡単過ぎて当たり前すぎて選ぶことを忘れていた



先生

私は大変なクライアントだったでしょう

最後まで話しを聴いて頂いてありがとうございました

自尊心と罪と罰


最近よく息子に自尊心を傷つけられる

普通の会話をしているつもりが相手を傷つけていると息子は言う

特に接客場面で息子は私に腹を立てる

中学生並みの自分勝手な思い込みで



息子の障害は一生このままで治ることはないと理解している

でも私の立場を理解できないことや

今になって私の自尊心を傷つけられるとは思ってなかった



「発達・成長・療育」という言葉で彼の自尊心を傷つけてきたのは私かもしれない

その罪の罰が今の彼の言動かもしれない

しれないが彼は母親の苦労を知らない

育児は楽しいばかりではないのは誰でも一緒

障害だからという理由で育児が大変だとは思わなかっただけ

みんな平等に大変な思いをして子どもを育てている

と私は思ってきたし息子にも言った

「親の心子知らず」とはこの事かと思い知らされる日々



あのね

母ちゃんは若い人にはウザい話し方をしているかもしれない

でもそれは若い人の方が感じているだけで母ちゃんは普通の礼儀正しい日本語を喋っているだけ

日本語がわからない君が母ちゃんをウザいと思うのはただの反抗期

それを外でされるとさすがに母ちゃんも傷つくのよ

穏やかで優しい子なのにそこにいる人全員に誤解されてしまう

それが傷つくのよ

一生懸命育てた子どもが他人に誤解されるのはイヤなのよ

母ちゃん自身も傷ついているのよ

それが解らないから障害なんだけどね

こういう時は母ちゃんは1人で泣くのよ

母ちゃんが死んでから解っても遅いけど

どうか他人様にはしないで欲しい

相手を傷つける言葉は何通りもあることを知って欲しい

君を守る為に他人を言葉で傷つけざるを得なかった母ちゃんからのお願いです

2018年9月3日月曜日

被虐待児


私は被虐待児だったのか



ふと考える時がある

現在なら被虐待児になると思う

昔はどうなんだろう



母親からは私が本当に欲しいものは得られなかった

ただそれだけかもしれない



私は息子達が本当に欲しいものを与えられただろうか

心を尽くしても与えられなかったものがあったのは確か

私の本意ではなかったとしても



ごめんね、ごめんなさい



謝るのは息子達に失礼だと思うようになった

私は子ども達と一緒にいるのが楽しかったから

一緒に生きるのが楽しかった日々を謝罪するのはおかしいことだ



思い至ったから



楽しかったね、幸せだった



最期に言いたい

2018年8月15日水曜日

宇宙を駆けるよだか


大きな転換を図るドラマに出会いました。

高校生というアイデンティティー確率前の時期にこういう無茶なことをするのは実際にある。

然子の卑屈さはマイナスな部分しかないように思えるけど

人はそんなに簡単な感情だけではないからドラマが成立する。



このドラマを観て

振り切ったはずの過去を思い出してしまったのは

私がマイナスの過去を持っているから。

然子の気持ちは痛いほどによく解る。

死にたいと思うほど絶望していた当時

私も他人になりたかったから。

現実では有り得ないから今は私のままで生きている。



凄いな。

ドラマで感情が揺さぶられるのはこの作品が優秀だから。



もう少し生きようと決心したのはついこの間。

誰の為でもなく自分の為に生きることは

私にとってとても難しい生き方。

最期の最後に自分の為に生きてみるから

どうか私がいなくなっても悲しまないでください。

2018年7月6日金曜日

やさしい時間


私にはやさしい時間が必要だった
そして
今もやさしい時間が欲しい

魂が支えられる週1回の1時間
それが20年近くあったのに
今はない

思い出そう
思い出そう
思い出そう
あのやさしい時間を

思い出そう
思い出そう
思い出そう
あの苦しかった生活を

思い出そう
思い出そう
思い出そう
あの淋しかった時を

やさしい人になれるように
やさしい時間を自分でつくる

2018年7月4日水曜日

ぶった切る縁


卒業で切れた縁

引っ越しで切れた縁

結婚で切れた縁

ケンカで切れた縁

離婚で切れた縁

就職で切れた縁

転職で切れた縁

相手が亡くなって切れた縁

無視して切れた縁

自分でぶった切った縁



全て私は覚えている

だから

今からは全てに感謝を

自分でぶった切った縁に惑わされない

もう謝ることはしない

偉そうなことを言う口はなくなった

この想いだけに全てをかけて

この世界の全てに感謝したい

私は生まれてきてよかった

生まれていい命だった

そう思いながら死のう

倖せな人生だったと最期に言いたいから

2018年6月24日日曜日

触れたいもの


それは愛かもしれない
この世で私だけの愛
かなうはずの愛

自宅が大丈夫というだけで油断していた私が悪いのかもしれない
だけど
今は他人の家を心配する余裕はない
だから頼らないで欲しい

地震がどうした?
ここは日本だから誰でも地震に遭う
家が壊れたり水道が使えなくなる
当たり前のこと
小さなひび割れを放置しても
もう20年以上建っているビルもある

私は生かされていることを知っている
私は生きていかなければならないことを知っている
私はいつか死ぬことを知っている

無自覚な人が多い中で
私と同じ考え方をする人はいないだろうと思う
共感できることと知っていることは違うから

今触れたいもの
それは私だけに注がれる愛
それは私だけに許された愛

そんなものはとっくに捨てたはずの愛

2018年6月17日日曜日

宿命


あなたへの悪態は心の中で言いつくしたみたい

あなたは私の気持ちや思いやりなんて想像がつかなかったでしょう

連絡を拒否したのは私の心を守るため

ただそれだけ

これほど楽しい嬉しい記憶が少ない子どもは私の他に何人いるかな
最初からいなければと何度思ったかしれない
私の最期は絶対見せないと決めたのも
あなたの最期は知らないと決めたのも
全て私の反抗期だった
長い長い反抗期だった

今は宿命という言葉にそれほど驚かない
私はあなたと同じことをしてしまったから
自分の子どもを捨てて苦しめることをしてしまったから

ずっと私はあなたとは違うと思っていた
ずっと私を見ないあなたを憎んでいた
でも一緒だった

宿命というのはこういうことなんだ
生まれながら親に背負わされた運命が宿命
私はあなたを反面教師にして生きているつもりだった

あなたはまだ生きていますか
あなたはまだあなたのままですか
あなたがどんな状態でも私はあなたに会いたいと思うようになりました

何も言うことはないけれど
あなたの最期にはあなたを見たい
復讐はもう十分したように思うから

どんな理由があったとしても
私が1人の子どもを捨てたのは間違いだったかもしれない
愛していたのにあまりにも激しい反抗期に耐えられなかった
当時の弱い私
耐えていたら小さなささやかな幸せが続いたかもしれない

でも
もう後悔はしない
生きているだけでいい
私の幸せはなくていい
これが宿命なら何も変わらないから

2018年6月7日木曜日

ぞろめ


あなたを追い出してから丸10年が経ちました。
もう涙は出ません。
その代わり、心はどんどん年老いてゆきます。

ひどい親だと思ったでしょう。
ひどい親だと思っているでしょう。
ひどい親です、私は。

泣き疲れて、叫び疲れて、崩れ落ちて、
狂ってしまいたかった。
できなかったのは私の鋼の心臓ではなく側にいる子がいたからです。

どうしていますか。
ちゃんと食べていますか。
病気の再発危険年齢クリアまであと1年です。
お腹の傷痕は今も気にしていますか。

そういうことを考える日が年に1日あれば十分なのに、
何度も何度も思い出して眠れなくなります。

自業自得。

あなたを産んで本当に良かったと思っています。
あなたに出逢えて私は幸せな出来事をたくさん経験しました。
純粋で傷つきやすいあなたを育てるのは苦痛ではありませんでした。
今は楽しかった思い出とあなたの笑顔を思い出すことが多くなりました。

11年目に入りました。
毎年こうして数えるのが癖になってしまったのは、
私の人生の心残りと言うのでしょうか。

間違ってもいいから悔いのない生活をしてください。
ぞろ目の年に思うことです。

2018年5月27日日曜日

必要なものと不要なもの


悲しいことにパソコンの新しい機能が要らない
自分で決めることができない機能は要らない

執事や案内人は必要な場所と人に対して機能するもの
そういう仕事をパソコンには期待していない
私は私がやりたいことをパソコンに期待しているだけ
バージョンアップする度に使いづらくなる

自分で数式を入れる必要はなくなったけど
そもそも数式を使うほどの仕事はしていない
パソコンが福祉に対応していないから
そういうソフトも市場に出ない

あぁ、文字がまたうねってる
私の目はもうまともに物を見ることができない
失明しても困らないから検査にも行かない
こんな私は進化に取り残されて当然か

肩の鈍痛は本を持つから
指が痛いのはパソを使うから
頭痛が激しくなるのは人と会話をするから
全身の筋肉痛は私の人生がもらたらしたものだから

全部の痛みに理由がある私

パソコンにこの痛みをわかってもらいたい
簡単な障害にしか対応できない今のパソコンは
自己決定をさせない今のパソコンは
人の進化を妨げている
人は障害を必ず受け入れなければならないのに

こんなもんか、人間て

何も変わらないことを望む人が多い中で
自分の幸せだけを望む人が多い中で
私は私の幸せは望んでいないのに

幸せを
私が幸福を望む人は2人だけ

2018年5月18日金曜日

徹夜っす


何もしない日はないけど
徹夜はし過ぎ

1日元気で1日寝込む
この繰り返し

眠れば眠れなくなる
とてもイヤ

長い夜を過ごすのは
もう10年以上

さて
これからの私はどんなババアになるのか

還暦まで生きたらごめんね

2018年5月13日日曜日

泣いた日


息子が泣いた
滅多に泣かない息子が泣いた
人の冷たさ非情さ残酷さに

犯罪者はどんな犯罪でも犯罪者
でも
信号無視をして罪を感じる人は少ない

罪を犯した人だけが悪いというのは違う
わかっていながら無視した人
罪を共有できないのに共有できると嘘をつく人
無関係な人が言葉や態度で攻撃すること
ええ大人がよってたかって取り囲むこと

全てが罪

息子はそいういう卑劣さに泣いた
少し気をつければ良いことに泣いた
障害者差別やパワハラに遭った息子だから泣けた

そういう息子の涙を見て一緒に泣いた
何もできなくなった私やけど
一緒に泣くことはできる
親として一緒にできることはまだあった

いつまでも子どもに教えられる私の人生は
とても幸せ

2018年4月26日木曜日

自殺行為


必要とされない人生に恐怖を感じてきたのかもしれない
子どもに必要とされる年月はとても楽しかった

先が見えるという怖さ
それは年老いて初めて感じる人が多いと思う
でも私は先を常に見るようにしている

違う
先が見えてしまうから怖い

かなり嘘はついてきた
今は嘘をつくのに慣れてしまった
記憶の混乱も年齢だとは思わない
私は私に嘘をついている

先が見えること
嘘をつくこと
自分の首を絞める

嫌われる人になろうと思う
すでに嫌われているからではなく
もっと嫌われて
私自身を葬りさろう

2018年4月16日月曜日

新しい人生


人は人生において常に選択している
道を歩いている時も右足を出して左足を出すという選択を無意識にしている
些細なこと、自然なことと思う行動・思考が全て選択した結果だということ

小難しいことを考えるのは学者だけでいいと言う人が大勢いる
そういう人は幸せ者で大馬鹿者
知らない幸せと知ろうとしない大馬鹿

私も常に選択を思考している訳ではない
独身時代はごく自然に無意識に選択をしてきた
皆さんの思考では進学や就職が選択の機会だったと思う
それよりも少しだけ私は選択する項目が多かった

ユング心理学に出逢ってからは思い出すように選択する機会を考えるようになった
それが私の心を揺るがし笑わせ泣かした
心の中で何度も何度も何度も死んだ
自分で墓標を立てるのはとても辛かった

子育ての大きな節目は必ず迷ったし考えた
子どもが考えて選択したことを推考し何を伝えれば良いのかを考えた
無責任に両手を上げて応援することはなかった
でも何も考えず無意識に選択した自分の言葉が多かった

この矛盾が人生だ
考えたことよりも無意識に選んだことの方が後悔しない
考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて言った言葉は子どもの心に届かなかった

親は子どもの言葉を聴くだけで良いとも思わない
何もかもあるがままを受け止めるには覚悟が必要
私が苦しんだのは唯一これだけだ
生活費に余裕がなかったのは申し訳なかったけれど
一緒にいること、一緒に遊ぶこと、一緒に生きることには全力を尽くした

なのに
最後は一緒に生きることを捨てた
子どもには子どもの人生があるという建前で私は私の心の崩壊を防いできた
私は最後には捨てる人だから私自身を捨てようとする自分を誤魔化してきた

泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて
まだ泣きたい

どうか新しい人生を歩んでいますように
どうか新しい人生を楽しんでいますように

私も老人という新しい人生を歩みます
理想の老人にはなれないかもしれないけれど
迷惑な老人になると思うけれど
選択することは増えると思うけれど
真っ暗は部屋の中でも青空を見上げるように生きます

2018年4月8日日曜日

寒暖差


暑くて寝つけなかった夜と寒くて寝つけなかった夜を過ごして昼夜逆転してしまった。
どこかで時間調整をしなければならないけど・・・
今の私は本能のままに生きている。

今年も息子と一緒に綺麗な桜を観てお酒を飲んだ。
息子は私に四季を感じてもらいたいようだけれど、真っ暗なベッドの上でも四季は感じている。
体温調節ができない日を除けば部屋の温度で四季はわかるから。
だから外に出るのは息子の気持ちに応えることが100%。

そういう優しさは人との関わりで培うもの。
病気の知識がなくても昔の人は人を思いやる方法を何となく知っていた。
息子も何となく知っているのだと思う。

私は優しくない親だと思う。
息子達を愛しているけれど、一人で生きていけることを最優先した。
”生きる”ことは難しいから。
ただ息をして、ただ食べて、ただ寝るだけの人生は面白くないから。
料理・掃除・洗濯と仕事が生活のベース。
そういう基礎があって初めて自分の好きなことが見えてくる。

私はたくさんの趣味を持たなくていいと思っている。
楽しければそれが全部趣味になる。
本を読むこと。
映画やお芝居を観ること。
音楽を聴くこと。
こうして文章を書くこと。
誰とも話さない、関わらくていいことばかりが楽しい私。

一人で生きてきた私の背中を見て息子達は息苦しかったと思う。
でも、そういう親子の寒暖差はあっていい。
昼夜逆転しても、それは親子の関係の中で修復できると信じている。

だから帰っておいで。
虫のいい話だとは思うけど。
帰って来てください。
お願いします。

2018年3月30日金曜日

パソ設定がわからない→書きたいことが書けない


韓国の人達の番組を観た。
共感はできない、でも心に響いた。
私には故郷がないと思っているから。

北朝鮮に帰れない人達の想いは、故郷に縛られていると思った。
戦争後の貧乏も戦争も、私は知らない。
聴くことで経験したような感覚になるのは私の想像力でしかない。

感受性の強い子どもと言われた時代は、私を傷つける時代だった。
それとどこが違うのかが私にはわからない。
そういう部分が私が人を遠ざける原因だと思う。

思うけどどうしようもないこと。

自分の子どもをどうしようもできなかった事実が今も私を責め立てている。
先天性の病気で生まれた子と先天性の障害で生まれた子。
2人とも大切に愛している。
韓国の失故郷民の人達が故郷を想う気持ちとどこか似ているかもしれない。
たぶん全然違うと言うだろうけど。
心が震えたことだけは事実。

戦争は見たくないと番組スタッフが言った。
見たくないやなくて戦争をしてはいけない。
そこが日本人の悪いところ。
戦争は食い止めてこそ意味を持つ言葉。
過去の言葉にしなくては意味がない。

私の周りには在日の人が常にいる。
日本はそういう国で、そういう歴史を作った加害者の一国。
だからと言って、他国の犯罪まで責任を負う義理はないはず。
在日の人達とそういう話しをしたことはないけど、今がいいのは一緒だと信じたい。

息子達が戦争にかりだされることを前提に戦争犯罪の話しはしてきたけれど・・・
しっかり根付いていて欲しい。
国も人種も宗教も関係なく「人」を理解することの大切さを教えてきたけれど・・・
体験しなければわからないことがいっぱいある。

私のこれからの少ない人生で、息子達に何を遺せるのかをずっと考えてきた。
これも1つの手段として再開した。
通じたらいいけど、無理かな。


2018年2月27日火曜日

旅行に行きたい


怠けているわけでもなく1日を寝て過ごしても体調は戻らなくなりました。

ただの筋肉痛ではない筋肉痛と神経痛に頭痛

今日は久しぶりに指も痛かった

でも旅に出たい

どこかに行きたい

歩いて綺麗な景色を見たい

ベッドで1日過ごすといつも思う

旅に出たい

ここではないどこかに行きたい

1人でゆっくり何をすることもなく

ただ景色を眺めていたい

ちょっとだけ家出を計画中

ホンマにいなくなったらごめんね

2018年2月20日火曜日

爪が割れました


生まれつきの体質で栄養をあまり摂取できない

小さい頃から体の色々な故障に悩まされて

特に五感と爪はとても苦労しています

せっかく爪の保護用ネイルコートを買ったのに

ちゃんと塗っていたのに

白い部分の少し下で割れました

そんなん、ある?的な驚き

爪切りで限界まで切ってヤスリで表面を削りました

痛いのには慣れている

自分で自分の体を削るのは小さい頃からやってきた

だって、どこに行けばいいのかわからなかったから

だから私の体には自分で削った痕がいくつもあります

それは忘れられない思い出となって私の体に存在している

小さな傷痕がいくつもいくつもいくつも

そう言えば

子どもを産んだ時の傷と震災の時の傷は自分では見ることができません

心にしっかり刻まれているから見なくてもわかるけど

深く深く沈み込む傷は見なくていいということかもしれない

そういう傷は

できればあなた達の体にはできないことを祈ります

2018年2月14日水曜日

つながること


他人を放っとけない自分がいる

特に子どもは

何歳になっても学習しないお節介な私



原因は私の子ども時代

手先が器用で何を頼まれても断らない子ども時代

友達でもないのに頼まれるとやってしまう私がいた

そういう子どもになったのかならされたのかわからない

たぶん両方



そういう母親を見て育った私の子ども達は

やっぱりお節介な部分がある

ごめんね

そんなことは真似しなくていいのに

学習しなくていいのに

つながってしまうもんやね

ごめんね

2018年2月9日金曜日

成年後見


法律が施行された時は、以前の禁治産制度を廃止して差別的でない新しい法律と看板を上げていたのに

手続きに入ってから家庭裁判所の注意事項に「禁治産者・準禁治産者」の文字を見つけた。

違うやん。

禁治産者は法的庇護からはずれるから差別法律ってなったんやん。

なんで今頃復活してるん?

世間のイメージにすり寄る法律なんて政治が機能してない証拠。

息子に安全を遺したくて10年も考えた結果がこれですか。

情けない国。

2018年2月2日金曜日

新しい覚悟


いつになったら私から雑音が消えるのか。

純粋な音しか聴きたくない。

綺麗なものしか観たくない。

そう願って生きるには新しい覚悟が必要だと言う。

誰がそんなの決めたのよ。

私は私が決めた生き方で生きている。

それは万物共通の生き方。

理不尽も共通なら受け入れる。

他人の勝手な理不尽は受け入れ難い。

何様?

私は私様。

それでええやん。

私はもう20代の若い子ではないから。

厚化粧とつけまつげが不細工な他人様。

に影響されたくないです。

でも、私の言葉は誰にも届かない。

息子様。

ごめんね。

2018年1月28日日曜日

はぶ


昨日、地域全体からハブられていることに気づいた。

have、ハブ、はぶ。

明らかに心を病んでいる人が優位に立つおかしな状態。

ま、健常者は自分が心を病んでるとは気づかないアホですが。



物事を俯瞰で観て正しく整理するのはとても難しい。

自分と相手、自分と他者という把握を自覚するのも難しい。

平和な時代と頭。



南北戦争の実話を元にした映画を観た。

アホな戦争のやり方やなと思いながら。

でも、戦争で死ぬことに方法は関係ない。

映画で伝わってきたのは、人の相互理解。

監督はこれを言いたかったんちゃうかな。

時代は変わっても相手を理解しようとする気持ちが社会を支えているんだと。



はぶ、ハブ、have、have to。

have toが多い社会は生きづらい。

息子よ、頑張れ。

母ちゃんは血圧が下がらんでメッチャしんどい。

はぶに負けるな。

2018年1月25日木曜日

思いやり


ちょっと腹が立った。

国家資格を受験すると言うから勉強をサポートしたのに

(不合格を)別に何とも思ってません。
今年ちゃんと受かればいいんですよ。
ちょこっとですが知識も入ってると思ってます。
まだ時間はあるのでこれからガンガンと知識を入れます。
そこで分からないところが出てくると思うのでその時は聞きます。(笑)
教えてくださいね。
今年の試験日もまだ出てないから今から勉強しても間に合うと信じてます。
なので約1年かけて勉強しなおして受けます。
頑張ります!!

って、私が「力になれず申し訳ない」と伝えた返事がこれですか。

「どうして腎臓に静脈があるの?」というおバカな質問にも丁寧に応えたのに。

教える側は3時間以上かけて準備するのよ。

体調が悪くても試験日が近いから無理して解説したのに。

私に言うのが試験の1ケ月前って遅過ぎるねん。

ほんで、不合格を何とも思ってないとか言われたらどうしようもないやんか。

教えている時から不合格はわかってたけど、その動機と態度は違うよって何度も言うたのに。

今年受かればいいとか時間があるとか信じるとか頑張るとか。

不合格確定用語ばっかりですやん。

私に気を遣った言葉なら、それは間違った気の遣い方。

一言でええのに。

「教えてもらったのに不合格でした」

これでええのに。

結局自分が可愛い子なんやろねぇ。

今年はもう教えられない。

自分の体を優先します。



2018年1月24日水曜日

お願い


世の中は面白いもので、まだ私には楽しむことができる物がある。

本は読めなくなったけど、映画は楽しみ。

最近のドラマは面白いものがないけれど、映画は年に数本面白いものがある。

息子と一緒に観られるなら、それも面白い映画。

今はパソコンで映画を観る。

ベッドの上で。

大好きだった昔の映画も観られるから満足。

ただ・・・

私の役目は他人のサポートだと言う人がいる。

別に好きでしていることではないのに、そう勘違いされるととても困る。

やんわり断ったのがいけなかったのかもしれない。

でもはっきり断れない自分がいる。

それがとてもイヤだ。

息子もそんな母の背中を見て育って断れない人になった。

母ちゃんの二の舞はしないで欲しい。

あなたも丈夫な体ではないから。

お願いします。

顔見知りの世間の皆様。

息子には私のような人生を歩ませないでください。

お願いします。

2018年1月20日土曜日

今の私


今は他人の愚痴を聴きたくない

私は生きることで精一杯なんやから

普通に起きて普通に家事をできたらどんなに気持ちいいか

掃除も洗濯も料理も大好き

子育ても楽しくて苦労したなんて思ってない

仕事も大好き

趣味も充実してた

私は楽しい人生を生きてきた

だからもう

私を放っといて欲しい

他人様の役に立つことはもうできない

自分をどう終わらせるかを毎日考えている

2018年1月17日水曜日

1月17日


すっかり忘れてた。
震災の日です。
録画予約さえ忘れていてちょっとビックリ。

震災と向き合う決心をしたのは20周年の年。
20年経ってもやっぱり思い出すのは父の姿と死。
法事に出なくなったのは、笑顔がしんどいから。
どうして笑えるのかわからない。
いつまでも泣くのは私だけではないと信じたいのに、できないのは相手を信じてないから。

辛い日々だったとは思わないけど、すごく大変だった思いはある。
何もなくて、子どもは小さくて。
それから父の入院と死。
ホンマは子どもの心のケアを優先したかった。
でも、できなかった。
父と喧嘩したから。
最期までお互いに謝らないし、仲直りもしなかった。
それをずっと後悔していた。

今は父を思い出して泣く日。
それが私の謝罪と恩返し。

2018年1月8日月曜日

激痛の中で思うこと


1人で外に行きたい。

1人でバスや電車に乗りたい。

1人で何も考えずに歩きたい。

走りたいとはもう言わない。

1人になりたい。

1人で生きてきたから

1人になりたい。

2018年1月5日金曜日

健康な人


息子が言うた。

「母ちゃんは体はボロボロやけど、心は健康やな」
「精神が強い」

なに言うてんねん。
見せてないだけや。
文句も愚痴も言いたいし、泣きたい時もある。
人間やもん。

でもね。
1つだけわかったことがある。
私は私を産んだ親のせいにしてた。
怒りたいのに怒れない、泣きたいのに泣けないのは親のせいやと。

息子さん、ありがとう。