2010年1月7日木曜日

悪企み

今年の正月の親族の集まりは結構おもしろかった。
親族と言っても親子3代の集まり。
毎年律儀に計画を立てる姉や妹が私は笑えてしょうがない。
1年中ほったらかしで、母の健康状態とか生活状態を把握する気はないのに、正月と母の日と還暦や古希のお祝い事だけは非常に気にする。
まるで遠い所に住んでる嫁状態やね(笑)。
さしづめ私は長男の嫁状態か・・・?
これを打破する為に今年の集まりはわざと迷惑をかけに行った。
「自分の家に集まらないか」と言い出した妹が悪い。
私の悪企みが始まってしまったからだ。
1回計画を立ててしまうと止まらなくなってしまった。
誰も母に関心がないのと同じで、誰も私の健康状態を知らない。
私は小さい頃から私の家族に徹底的に無視されてきた自分を不幸だとは思わないけれど、母の介護ができなくなった今は他の介護義務者に理解してもらう必要が出てきた。

母の介護をするのはだぁ~れだ?

心のロシアンルーレットに引っ張り込む強力なインパクトが必要だったのだ。
私以外は世間で言う『普通の人』で『障害者や老人は私には関係ありません』と思い込んでいる。
自分もいつ障害者になるかわからない、将来は老人になることに気がついていない、自分が1番かわいそうな人生だと思っている、私から言わせてもらえば「ドアホな人生しか送っていない人達」にスーパーパンチをおみまいしなければならなかったのだ。
思った通り、私が行くと誰1人として「障害」や「老い」を考えたことがないドアホな言動(笑)。
知らなくて幸せなこともあるけれど、自分の将来さえ考えないのは「無知の罪」だ。
ましてや自分の実の母親を介護施設にポンと入れることしか考えないのはホンマもんのドアホとしか言いようがない。
今の介護保険がどんな状態かも知らない「無知の集まり」が介護保険を利用して上手く母を施設に入れることができる可能性は1%以下だと思う。
寝たきりは突然やってきて、その時に介護保険の認定を受ければすぐに施設に入れると思っているからだ。
私をガン無視して私の知識から情報を得ることもしない。
私の体が弱くて小さい頃から病気ばかりの人生なのを知っているのに、母の最期を看取るのは私だと勝手に決めていたようだ。
母が最初に倒れた時に私は姉妹にキチンと宣言している。
「私ができるうちは私が母の面倒を見るけれど、それが何年かはわからない」と。
すでにその時には私は大きな病気を抱えていたからの言葉だったのに、想像力がないと言うか、自分の基準でしか物事を判断できないと言うか、呆れ返る。
悪企みが成功したのかしなかったのかは、これからの反応を見なければ判断できない。
すでに1人、これまたドアホなことに要介護者である叔母に私のことを電話で報告したから、叔母から私に電話があったけれど(笑)。
叔母は自分が障害者なので、私の病気を知って泣いてくれた。
私が叔母に言った言葉は「私のために泣いてくれてありがとう」だ。
「私のために泣いてくれる人がまだいたんやね」とも言った。
叔母は時代の犠牲者でもあるけれど、私は時代に振り回されることはなかったかもしれない。
医学の発達がもう少し早ければ、症状の緩和ができたかもしれないが・・・。
私は幸せだ。
私のために泣いてくれる人が最低でも2人はいることを知ったから。
息子と叔母。
この2人だけでいい。
今回の悪企みに協力してくれた息子にも感謝。

さぁ、母を介護するのはだぁ~れだ?

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