姥捨て山の結末を
今の若者はどれだけ知っているのだろうか
年寄りの知恵を侮ってはいけないという教訓の話しなのに
結末を知らないで”姥捨て”という言葉だけが独り歩きして
老害という言葉を生み出してしまったように思う
確かに
権力の座に胡坐をかいて自身の非を認めない老人はいる
いるが
それは少数派であって大多数ではない
老害と簡単に決めつけて時代や人生の背景を知ろうとしない
そういう若者が将来の老害老人になるのではないのか
年を経った
それだけで尊敬する必要はないが
その人の人生経験を馬鹿にする道理はどこにもない
年齢=人生経験ではないことは百も承知
けれども
死んだ後まで罪を償えというのは
遺族感情至上主義にとって代わった日本の裁判制度では認められないのではないか
昔はおおらかだったが差別を堂々としていい時代でもあった
今は差別は地下活動化して表面的なおおらかさもなくなった日本
どちらがいいという話しではない
昔のおおらかさを取り戻し
適切な差別排除がなされなければ正常な社会ではないと言いたいだけ
どの時代のどの業界にも光と影があって当然
影を排除すれば光は失われる
光だけの社会は正常ではないことを誰も教えないから
歪んだ狭い見識しか持てなくなる
そういうことを遠回しに教える役目が昔話だったのに
誰も昔話をしなくなって何年になるのか
絵本や昔話を規制した結果
後世では今の時代を最悪の時代と歴史の教科書に載るかもしれない
道徳のない時代
人の心が1番狭くなった時代
冷静な分析ができる人が排除される時代
悪口や罵詈雑言が当たり前のように溢れる時代
こんな世界にしたのは誰だ
死者を冒涜するのはやめろ
例え罪を犯していても
もう償う術はないのだから
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