は嫌い。
何でも「してあげる」「してあげる」って言うの、恥ずかしくないのかな?
「してあげる人間」は「してあげた人間」に変身するから嫌い。
あたかも自分はスゴイことをしましたって言ってるの、わからないのかな?
人は、見返りを期待した時にいやらしくなる。
ドスケベな人間になって、他人に迷惑をかける。
それがわからないから「してあげる人間」はタチが悪い。
「してあげる人間」は「なんでしてくれないの人間」の悪口を言う。
「なんでしてくれないの人間」は2種類いることを知らないから悪口を言う。
本当に必要なのに自分でできないから他人(行政)に頼るしかない人と、
必要だけど「してあげる人間」がしゃしゃり出て自分でする必要がなくなった人。
どっちもどっち。
だけど「してあげる人間」の方がタチが悪い。
その、タチの悪い「してあげる人間」から変身した「してあげた人間」に
今は『血縁』というだけで縛られている。
「してあげたのに、なんでしてくれないの!」
これが変身の最終段階。
こんな人間には絶対なりたくない。
だから子どもの時から他人を手伝って、最終的に上手くいかなかったら
「自分が悪い」と思ってきた。
「してあげたのに」と思えばどんなにラクに生きることができただろう。
こんなに自分を責める生き方をしなくてすんだかもしれない。
「してあげる人間」→「してあげた人間」→「してあげたのに人間」
うん。
この順番は間違いないと思う。
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