2010年12月19日日曜日

甘えるな!

障害者手帳交付の意味を普通の健康な人は知らない。
日本では病気=障害ではない。
固定された機能障害=障害なのだ。

さぁ、「固定された機能障害」とは何なのかを説明できる普通の人はいますか?

「固定されていない機能障害」とは何を指して言うのかをご存知ですか?

ちなみに、たくさんの病気と機能障害を持っている私は障害者ではありません(笑)。
障害者手帳交付の対象にはならないからです。

日本は昔々の障害の概念を捨てきれていないからこんな変なことになる。
体のどこかが足りない、脳の発達がおかしい、普通では考えられない行動をする、の3つが障害。
それ以外は全部障害ではない。
健康なのだ。

だから言う。

健康な人は甘えるな。
障害者は甘えるな。
政治や他人に甘えて生きることをやめろ。
健康を言い訳にするな。
障害を言い訳にするな。
人生は自分の生き方次第だとわかれ。

どちらでもない私が言う。
中間の私が言う。

甘えるな!

2010年12月12日日曜日

5年3組リョウタ組

石田依良のこの作品は、ある人物を想起させる。

大学生だった頃から知っている今は小学校の先生だ。

作品中のリョウタ先生ほど単純ではないし、無鉄砲でもないが、彼は子どもが大好きで先生になった人だ。

職員室が大嫌いで、1日中教室にいたいと私に言った人だ。

学校の事務作業が多すぎると、係の仕事が多すぎると嘆いた人だ。

子どもが大好きなだけでは小学校の先生はできないことを、先生になってから気づいた人だ。









その人が今は私のお客様になっている。

自分の子どもが障害を持って生まれたからだ。

何故私に相談する気になったのかは知らないが、私はお客様としてではなく、昔からの知人として彼に接したいと思っている。

子どもは障害があろうとなかろうと、可愛い。

それだけで十分。

五体満足で生まれた子どもより、より多くの幸せを運んできてくれる天使だ。

病院もリハビリも自宅での生活も、より細やかな手は必要で、その分触れる回数が多くなる。

幸せなこと。









作中で身体障害の養護学校の様子が描かれているが、作者が取材した学校が1ヶ所なのがすぐわかる。

他の身体障害の養護学校も取材していれば、作中に描く学校内の様子が違ってきているはずだからだ。

身体障害の養護学校は生徒1人に先生1人の配置だが、知的障害の養護学校では配置されない。

今は特別支援校として、障害の種別に関係なく生徒が学校を選べる体制になっている。

表向きは。

施設併設の特別支援校も珍しくはないが、廃止の方向になっている。

障害児を取り巻く環境は、障害を持っていない人が想像するよりも厳しいものになっているのだ。

そこまで作品の中で描く必要はないが、特別支援校以外に選ぶ権利が保障されて、リョウタ先生のいる普通校にも障害児は入学することができるのだ。

作中の障害児が普通校に入学すればおもしろかったのに。









作品としては何気ない普通の生活が描かれていて、とても良い作品だと思う。

私の身の周りで普通に起きていることばかりだ。

生活の中の普通のこと。

それはトラブルではないし、人生を大きく変える出来事でもない。

この作品の中の出来事を「大変なこと」と思った人は頭が幸せな人だ。

よほど自分の子ども時代を忘れている人だ。

子どもは間違えるのが仕事だし、イタズラするのが仕事。

その方法も思いつくことも子ども自身の個性だ。

それを色々なオトナがサポートするのが大人の仕事。

先生でなくても「大人」になればそれが仕事になる。

自分の子どもも他人の子どもも全てが可能性のカタマリ。

サポートしないオトナは自分のことを「大人」と呼ばないで欲しい。









5年3組リョウタ組は、理想のクラスでもない、当たり前のクラスだ。

2010年11月25日木曜日

最悪な病院

に、入院していた。
体調が悪くなった時に自分で選んだ病院だったが、結局医師に見離された病院だ。
いいように言われて、「いつでも来ていい」と言われて、一旦通院をやめた病院だ。
治らない病気の患者にかける時間と手間が惜しかったのだと、今では悟っている。
研究する対象者でもない患者だったからだ。
そう、大学病院だ。

ただ、この間倒れた時は自分の意識がハッキリしていなかった。
子どもが救急隊にその大学病院の名前を言ったことは責められない。

そうそう、最悪なのは救急隊もいつも通り最悪だった。
意識レベルはそうたいしたことではないのに、人間の体の中で1番痛い痛点を何度も押した。
女性の体を男性の、しかも訓練された力で押すのだ。
激痛どころではない。
その時は意識はあったが、「痛い」と言うのが悔しくて黙って睨んだ。
何度も押すなっ!
アホッ!!!!!

大学病院に着いてからICUに運ばれたが、また医師に痛点を押された。
今度は医師相手なので「痛い」と言ったあげた。

救急で運ばれる度にいつも思うのは、真冬の寒い時期でさえ救急患者は裸にされることだ。
医療関係者は服を着ている。当たり前のことだ。
救急患者は、意識があろうとなかろうと裸にされる。
ほとんどの病院は経費削減のために夜間は冷暖房は切っているものだ。
これで風邪をひくな、という方が無理な話しだと思う。

前に救急で運ばれて病院でインフルエンザになってしまったこともある。
救急で運ばれた症状はたいしたことはなかったのにだ。
家に帰ってから寝込んで、近くの病院にさえ行けなかったと思う。

今回も裸同然にされ、一応病院のパジャマの上だけは着せられたが、バルーンを入れている下半身はおむつのまま丸出しだ。
おまけにICUは広いスペースをカーテンで区切っているだけの場所で衆人環視状態だ。
ファーラー位に保たれた私が見たのは、前の廊下(?)をたくさんの医師と看護師が通る様子と、カーテンの横でパソコンを打つ医師と看護師だ。
「寒い寒い寒い」と言い続けて子どもに着ていたパジャマ替わりのヨガパンツをはかせてもらった。
前のように風邪(インフルエンザ)になる訳にはいかない事情があったのだ。

本当に医療関係者の意識を疑う。
意識があろうとなかろうと、救急で運ばれた病気が何であろうと、人間の体は寒い場所で裸でいれば風邪をひくものだ。
1回体験すればいい。
どれほど寒いかを。
実習科目の中に入れればいい。
毎年の研修対象にも入れればいい。

とにかく、バルーンと酸素、点滴の3本のチューブでつながれた私はベッドの外には行けない状態にされた。
夜中の搬送だったので眠いのは当たり前のことだし、眠って何が悪い。
そんな状態で普通に朝食を出す医師の判断もあきれたし、アレルギーがあると言っただけで、アレルギーに対してだけ異常なほど神経質になった医師・看護師・管理栄養士が不思議でならない。
どうせ食べられないのに。
眠くて食べるどころじゃないのに。

それから退院するまで、私は教授の回診以外に医師と話したことはない。
いつも看護師と話しをして、その看護師から医師の無理解と怠慢の愚痴を聴き続けた。
主治医が誰なのか、何の薬が出ているのか、どうしてICUから重傷患者個室に移されたのか、点滴の中味は何なのか、いったい病名は何なのか、

一切全く説明がなかった。

インフォームドコンセントどころの話しではない。
看護師が患者の私に医師に直接訴えろと言うのだ。
医局を引き連れた教授様の回診時にそんなことが言える訳がない。
病室に来ない主治医にベッドから出られない患者が会いに行ける訳がない。
とんでもない病院だとしか言いようがない。

自分でトイレに行けると言い続けてバルーンをはずしてもらった。
食事はもともと少食だと言い続けて点滴をはずしてもらった。
酸素10リットルでも血中酸素濃度は98までしか上がらない体質だと言い続けて酸素をはずした。
細菌に感染しやすい体質なのに、ド下手な看護師ばかりで4日間で10回以上点滴の場所を変えた。
血管をまさぐるのはまだいい。
点滴の針を刺している場所が細菌感染して発赤しているのにほっとかれた。
おかげで両腕肘下は真っ黒になった。

1番最悪だったのは、バルーンを抜いた後に何も処置をされなかったので膀胱炎になったことだ。
退院間近ということで、排尿痛や尿の白濁、頻尿と残尿感を訴えて、抗生物質が欲しいと言っても、また医師に無視された。
看護師が言うには、主治医は救急の医師だからわからない、ということだ。
だったら無意味な耳鼻科受診などやめて泌尿器科に受診させてもらいたかった。

退院日も横の連絡がないことが露呈しただけで、看護師長だけが私の退院を知っていた。
全部自分で片づけて、医師を待っても来ない。
待っても来ない。
子どもが迎えに来ているのに、来ない。
もう、最悪な入院生活でわかっていたので実力行使に出た。
頻尿と排尿痛が続いているので、さっさと家に帰って予備の抗生物質を飲みたかったのだ。
実力行使とは、荷物を鞄に入れてベッドシーツを片付け、服に着替えて化粧をすることだ。
その化粧の最中に医師は来た。
主治医ではなく、いつもの教授様の回診だ。
鏡から振り向いた私を見て、教授様は「退院ですね」と一言。
それで全部。

医師軍団が去って、さっさと鞄を持って帰ろうとすると看護師長から声をかけられた。
「これ」と差し出されたのは1通の手紙。
『診療情報提供書』とある。
宛名は私の耳鼻科の主治医。
Why?
病名も使われた薬も主治医が誰かさえ知らない患者の個人情報が漏れている。
(お薬手帳だ・・・)
と、すぐに理解したが、ニコッと笑って受け取り、本当にさっさと病院をあとにした。

医事課で手続きをして外に出ると眩暈がした。
当たり前だ。
退院前日にやっと車椅子で病棟の外に出る許可を得て、退院したその日にトイレ以外で自分の足で歩いたのだから。
バスに乗ってもう1度大きな眩暈がした。
吐き気もした。
寒いICUと同様に、医療関係者の意識を疑う。
ベッドと自室のトイレの距離は2mくらい。
それ以外に歩かない日々を過ごして、急に歩いて家に帰れと言う。
1回やってみたらいい。
どれだけ体力が落ちているか、筋肉がなくなっているかを体験した方がいい。

家に帰ってから膀胱炎が悪化し、まともに家事もできない状態だった。
大学病院側の規則で、常用している薬は服用できなかった。
整形外科の薬を頼んだのに出してもらえなかったのもあり、首から下が痛みで麻痺したようになっていた。
週に1回神経ブロックをしなければ私は自分の体重を支えられない脊柱の持ち主なのに。


本当に最悪だった。
以前に事務方と口論したこともあるが、今だに医局をひきつれての教授の回診なんて古過ぎる。
全く何の説明もない、料金の支払い方法だけはしっかり伝える、その大学病院は絶対信用しない。

神戸大学医学部附属病院

命さえ助ければいいんでしょ態度の病院。
絶対行かない。

2010年10月13日水曜日

非正規レジスタンス

IWGPの新刊を読み終えた。
作品はオチが読めたものばかりだった。
池袋のマコトは大人になって、大人の対応を覚えたようだ。

ここで作品の悪口を言うつもりはない。
文学(?)の中の人間だって成長しなければリアルに共感はできない。
でも、職業柄オチが読めてしまうのは作者が私のいる業界に足を踏み入れ過ぎた感はある。
それも薄っぺらな表面的なところで。

福祉を題材に取り上げるのは悪いことではないし、大いに取り上げて頂きたいと思う。
ただ、前回ここで書いたように『正確な取材』をして頂きたい。

母子福祉はそこまで親切ではないし、現状は自立支援施設もすぐに入れる訳ではない。
(虐待児童増加で空きがない)
DVも根が深く、そんなに簡単に解決できるのならマコトが10,000人いて欲しい。
日本の生活保護制度はもう限界を迎えている。
ネカフェ難民問題と派遣問題は解決済みという意識で作品を書いたのならば、それは間違いだ。
派遣会社の支店長が言うように、健康な人間ならば親に謝って郷里に帰るのが1番いい。
家庭でのイザコザは貧しさの前では塵のようなものだからだ。
生活保護制度は世帯単位が基本だから、住所さえあれば1人世帯でも受けられる。
受けられるが、年々国費は削減されている現状を書いていない。
ネカフェ難民が生活保護を申請したおかげで昨年の生活保護世帯は190万世帯増加した。
本来は親兄弟姉妹親類縁者が誰1人いない世帯を1人世帯として想定して作られた法律だから、親兄弟姉妹親類縁者がいる人は受けられない制度だ。
これが柔軟に対応するということなのか?
私が親にイヤイヤ頭を下げたのは昔の話しになってしまうのか?

今の人の貧しさなんて、本当の貧しさではない。
作者はそれを知らない。
・・・と思う。
1泊1,000円のネカフェ代は1ケ月3万円になる。
東京で3万円は安いのかもしれないが、地方だと安アパートを借りられる値段だ。
1回のシャワーに300円?
安アパートを借りれば水道代とガス代の方が安い。
ゴミをあさって何が悪い?
家はあるけどゴミはあさる生活をしている私達親子はどこに分類されるの?
食べるのを我慢しているのは難民だけではない。
食べられない病気だから食費が安くて助かっているけれど、エンゲル系数は50%だ。

私が母子家庭になった時に相談員の方がおっしゃたことは「まず家」。
「屋根がある所で子育てをしなさい」と言われた。
「家さえあれば節約できるところはいくらでもある」とも言われた。
今も本当に感謝している方のその言葉は正しかったと思う。
食べるのさえ苦労した別居時代と比べて、食べるのだけは何とかなったからだ。
その別居時代でさえアパートは借りた。
家賃も税金も保険料も全部支払った後に残されたお金で何とかなった。
何とかした。

働く場所がないのは国の責任だと私も思う。
思うが、まず自分の親に頭を下げることができない人間は運にも見離されると思う。
私は親姉妹に頭を下げて家を借りることができたし、子どもも障害児ということで保育所にもすんなり入れた。
月4万円の養育費が支払われる間に就職も決まった。
(決まったとたんに養育費が途絶えたのは偶然だろうか?)
そう、1月の生活費が4万円だったのだ。
それで親子3人暮らしていたのだ。
母子福祉の援助があったとしてもだ。
(当時は児童福祉手当の他に医療費が無料だった)
唯一の娯楽がテレビという、いつの時代かわからない生活をしていたのだ。
(今もあまり変わらない生活・・・)
もちろん、家を借りた後は親姉妹に一切援助してもらっていない。
頭を下げたのは、保証人と引越し費用・初期費用を出してもらうだけのことだった。
それでも私は一生懸命返せるお金は返済したし、足りない部分は体で支払ったつもりだ。

生活保護は最後の手段と決めていた。
そう、あくまでも「手段」なのだ。この国は。
働ける体であれば、保護中でも就職活動をせっつかれる。
ギリギリの生活費しか受け取れないのに、その中から履歴書代や証明写真代、面接に行く為の交通費全てを出さなければいけないのだ。
ネカフェ難民とどこが違う?
医療費は出してくれるが、1つの病気で1ヶ所しか病院に行けない。
セカンドオピニオンなんていう自由はない。
家賃は出してくれるが、共益費は保護費の中にはない。
生活保護制度は本当に最低限の生活を保障するだけなのだ。
保護世帯は水道光熱費と食費の節約をしなければ生きていけないレベルだ。
1週間に1回しかお風呂に入らない。
カップ麺なんて贅沢品は食べない。
病気で体が動かなければ病院にも行かない。
命が本当に危ない時にしか救急は使えない。
(それでも救急に行かずに命を失くした人を知っている)

ネカフェ難民がどうしたと言うのだ。
非正規雇用(日雇い)が何だと言うのだ。
昔は「あいりん地区」のように日雇い労働者の町があって、お互い助け合って生き延びてきた人達がいる。
健康保険がないということは、作中で彼らが見下しているホームレスと一緒だ。
ホームレスとは直訳で「家がない」ではないか。
マコトのやり方が正しいかどうかではない。
ネカフェ難民の子に怒っている。
非正規労働で働いている子に怒っている。
誰に取材したのかは知らないが、作者の表現通りであるならば、「努力」や「自己責任」という言葉の意味を取り違えている。
「自己責任」とは、自分で責任をとれる範囲のことを言うのであって、自分で責任がとれない範囲のことは言わない。
それは他者だったり、国だったりする。
キレて何が悪い?
キレないと心が病んでしまう時だってある。
1度心が病んでしまうと本当に一生生活保護の下で生きなければならなくなる。
焼肉が食べたいだと?
焼肉なんて超贅沢は数年に1回だ。

マコトは自分も社会の底辺だと言う。
今まで作品を読んでいて私は1回もそう思ったことはない。
マコトのお母さんの気持ちと努力と根性を想像すると、マコトが底辺だと言うのはおかしい。
店がある。
一生困らない店がある。
生活に困っても売れる店がある。
実家の店番で年収200万円は多いと思う。
家賃、食費、水道光熱費、店の経費は全部タダということになる。
マコトのお母さんが経理を受け持っているのなら甘すぎだ。
子どものお小遣いに年に200万円もやるのだから。
それだけで十分中流階級家庭だ。
いや、月に16万円もお小遣いがあるのは中流でもなかなかいない。
(母親に頼らずに純粋にマコトが店を経営しているのならば話しは別だが)
そういうことに気づかないところはまだ子どもということか。

今回の作品は全部駄作だ。
読んでも若い人達のエネルギーが伝わってこない。
爽快感がない。
私にはあまりにもリアル過ぎて、現実に近過ぎて、オチが読めてしまっておもしろくなかった。
石田衣良の作品とは思えないくらい。
美丘が傑作なのは確かだが、ドラマは最後まで観なかった。
全然別の作品だったし、1つのドラマとしては私のツボにははまらなかった。
今回の作品はそのドラマと同じ感覚がする。
省略し過ぎている。
リアルに近いが詰めが甘い。
マコトにはやはり警察沙汰が似合うと思う。
正確な情報を書けないのであれば福祉にはこれ以上触れないで欲しい。
マコトと福祉は別世界でいて欲しい。

2010年10月8日金曜日

神社

京都の平安神宮には2回目か3回目の訪問。
しかも夜のライヴ。

神社は小学校の頃から私の心の支えの1つだった。
近くの神社に授業をさぼってまで行かなくてはならない中学の頃は、それだけで私の愛に飢えた心が落ち着いたように思う。
神社は私にとって特別な存在。

そんな中でのFANKライヴ。
神社とFANK。
バックの本殿がチラチラ見える状態で大好きな音楽。
こんな組み合わせができる今は幸せなのか自由すぎるのか。

でも。
幸せだった。
音楽も芸術の1つなら、いつも同じ音ではないから幸せだった。
どうして奏でる音が、創る音が、その声が私に響くのかはわからない。
これで最後かもしれない、という思いがそのライヴの申し込みにはしらせてしまうのかもしれない。
今日(昨日)も、これで最後かもしれないと思った。
こんな幸運は2度とないかもしれない。
前から3列目の中央寄り。
でも、席と音楽は関係ないと思った。
ウーハーのドまん前でそう思った。
ステージを見る方が多かったかもしれないが、空や光に浮かび上がる社殿を見ることも多かった。

幸せだった。

こんな自由が私にはあとどれぐれい許されているのかわからないけれど、幸せだった。
これは神様のご褒美だと思った。
感じた。
「よく頑張ったね」と言われた気がした。
「もとのやさしいあなたに戻りなさい」と。
「今のあなたは鬼子母神のようで見ていられない」と。
やさしいとは言えない私が「あなたはやさしい」と言われたような気がした。

ありがとう。
こんな機会をくれた天の意思に素直に感謝したい。

ありがとう。

2010年9月20日月曜日

いつも最後には

私という人間は透明人間のように扱ってもらえたら嬉しいと思う。
「いてもいなくても一緒」と言われ続けた私の自我はそう願っているのだと思う。
いつも最後にはBad Endingしかむかえられない私の人生。
それでも幸せなのか?と訊かれる私の人生。
若い時は自分なりに努力すればなんとかなると思っていたけれど、
なんともならないということが良くわかった。
努力は報われることもあるけれど、私は報われない確率の方が高いみたい。

赤の他人にどうしてここまで嫌われなくてはならないのか、わからない。
私は一生懸命考えたし、理解しようと努力したし、自分の時間や体力を削ってまでつきあってきた他人にばかり後足で砂をかけられるような目に遭う。
「つまりは利用されているのだ」
そんなことわかっている。
全部相手に合せるようなことはしていないけれど、私の悪口を言っても、それは私を思ってのことだから何も感じなかった。
私がその人の悪い部分を指摘するといっぺんに逆の結果になる。
嫌われる。
恨まれる。

一体私を何だと思っているのか、こちらが訊きたい。
便利な歩く辞書?
いつでもニコニコ問題解決を手伝ってくれる便利屋さん?
誰にも言えない差別言葉の羅列の愚痴を聴いてくれる痰ツボ?

もう嫌。
私があなた達のようになってしまいそうで嫌。
こちらからお断り。
ただの他人と縁を切ることくらい何でもない。
血縁と縁を切るほどつらい経験をした私だから。

2010年9月18日土曜日

子どものけんか

身体障害者がどうしたというのだ。
治らない病気の人はどうするのだ。
手帳が取れない私のような中途半端な障害は何もないのに。

間違っているものを間違っていると指摘されたら「ありがとう」でしょ。
私の経験から「慰め合い会にはならないで」と注意しているのに、執筆者への批判ととるのはそれこそあなた方の偏見でしょう?
私は更年期障害で確かに感情の起伏は激しい時もあるけれど、落ち着いた状態で冷静に判断してコメントしただけなのに、感情的になったのはあなた方でしょう?
電話していいと言ったのはそちらでしょう?
社会を知らなさ過ぎるのはそちらでしょう?

ビジネスメールもビジネスコメントもできない会社なんてあり得ない。
八百屋やんか。
魚屋やんか。
でも、市場の人達の方が話しは通る。

私は感情的にもなっていないし、注意して欲しかっただけ。
それじゃあ世間の皆様には通りませんよ、って。
私のコメントのどこが暴言?
私はちゃんと「私のコメントを削除していいですよ」とコメントしました。
こちらからは削除できないのですから。
私の会社の正式なブログに暴言コメントしたのはあなた方でしょう?
それが大人のすること?
きちんとした反論もできないで、きちんとした文章も書けないで、何が「傷つけられた」?
組織のブログは個人のブログ・・・例えばこのブログみたいに好きに書いていい訳ないでしょ。

働いて税金払って福祉にお金を出している方々に申し訳ないと思う気持ちが微塵もない。
「人権」は他人の人権を侵してまで主張するものではないと、なんで気づかないんですか。
障害者が普通に生活できるのは当たり前のことです。
でも、それは普通の人達だって一緒です。
普通の人達の苦しみや辛さを知っていますか。
身体障害者であることばかり主張して、自分達のことばかり訴えて、他の人達に感謝する気持ちはないんですか。

だから障害者って嫌い

って言われても仕方がないことばかりしているじゃないですか。

まるで子ども。
大人の体を持った子どもの集団。
そんな組織は大人の社会で通用する訳がないと、今回のことでハッキリわかりました。
金輪際、障害者団体とは関わらないことにします。
親の会もひどいけれど・・・そうね、そんな親の子ども達がやってるんだものね。
親を非難するのは私はしたくはないけれど、そう言われても仕方がない。
世間とはそういうもの。
私も親として子どもの間違いは何歳になっても謝る親でありたいから。

昔の差別が激しい時代の障害者の努力を無駄にする子ども達。
悲しいわ。
それで、誰が1番傷ついたのか考えてもくれない。

私は傷つきました。
しょうがい児・者の親として。
機能障害を持つ者として。
とても、とても、とても、とても、とても傷つきました。
世間の常識なんてアテにならないのは良く知っているけれど、ビジネスとして通用しないのは話しにならない。
普通の会社の受付嬢の方がよほどできているわ。
世間を知らなくても、自分の会社の誰に何を言えばいいかをよく知ってるわ。

先生、助けて・・・
私は生きていたくない。
こんなしょーもない世界のどこが素晴らしいのか教えてください。
生きていることに価値があるなんて、それは私にはない。
母親からの虐待、夫の虐待、DV、離婚、身体・精神・知的・発達障害、母子家庭への偏見と差別、言われのないいじめ、不登校、教師からの暴力、社会からの閉め出し・・・
これほどの人生を送っている私は、戦争体験者に匹敵すると思いますが、どうでしょう?
もういいんじゃないですか?
私はそれでも幸せなのだから、幸せなまま終止符を打ちたい。
先生、私はこれ以上生きていたくないんです。
誰にも関わりたくないんです。
傷つくだけだから。
他人の痛みが自分の痛みになるほど共感してしまう特異体質はイヤなんです。
見えないものが見える体質はイヤなんです。
もう、いいですよね・・・

子どものけんかしかできない世の中は生きていたくない。

2010年9月2日木曜日

やっと終ったその日

行政(国)を相手に何かしようとする時は、何かと書類が大変で、何度も調べ直し、こちらの弱みを見せないことが肝心要になる。
行動を起こして約1ヶ月以上。
昨日、やっと書類のコピーを取って押印して郵送するだけのところまでこぎつけた。
それなのに。
その作業の真っ最中に親戚からの電話。
無碍にこちらの事情を明かす訳にはいかないし、だからと言って嘘はつけない。
知らないことは知らないと、遠回しに話しをする。
でも、向こうは私より年上の人間関係に長けた方。
昔の思い出話しを混ぜながらこちらが油断して情報を漏らすのを待っている。
「知りません。連絡取ってません。」
で終る話しだったのに、延々30分以上の電話。
私がどうやっても話しにのってこないと、ただ相槌を打つだけだとわかるまで30分以上。
「仕事中なので失礼します」の一言がどうして言えなかったのかと、今思う。
叔母と母のこと。
今の私には1番忘れたいこと。
全ての血族に「縁切り」を宣言した訳ではないから、穏便に済ませたいというのが本音だ。
そこまで直の血族に恥をかかせるつもりはない。
もちろん、電話をかけてきた親戚が悪い訳でもない。
板ばさみ状態の私の心理は誰にも理解されなくていい。
だけど。
どうして昨日なのか。
これも私の報いなのか。
集中して作業しなければならない日にこういうことが起こるのは、私の報いなのか。
1度で済ませたい、裁判はもう嫌だという思いから1ヶ月以上の時間を費やしたのに。
ギリギリまで宿題ができない子ども時代からの宿命か。

2010年8月30日月曜日

感染

「死にたい」

というのは感染するのかもしれない

介護の世界でお年寄りと接していた時は感染しなかったのに

私より若い人の「死にたい」は感染してしまうのかもしれない

もしかしたら

私が感染源かもしれないけれど









死のうと思うことには山ほど出遭った

死のうとこの前も思った

でも

死ぬ前にやっておきたいことがある

と思っているうちは死なないと今までの経験でわかっている

死にたい衝動で行動に出た時は

何も関係なくなる

やっておきたいことや周りのことなんか飛んでしまう

そういう経験があるから

私はいつも予定を立てる

自分が今死なないための予定









Hちゃん

何があったのかはわからないけれど

訊くつもりもないけれど

それで病院に行くあなたは普通やと思う

まだ

普通やと思う

私は病院に行く気はないから

薬に頼る気はないから









もし

私が感染させてしまったのなら

ごめんね

私のような人間とつきあうのは

ほどほどがいい

ある程度オトナな人間でないと

感染してしまうよ









だから

あなたの側には引っ越せないからね

2010年8月5日木曜日

大嫌い

考えることが多過ぎて、読書もまともにできない。

冷静に対処しようと頭では考えているのに、感情的になってしまう。

論理的に筋道立てて考えることはできるのに、何故あのオバハンだと感情的になってしまうのか。

答えはわかっている。

あのオバハンがアホ過ぎるからだ。

言葉が通じない相手は今までにも何人もいたが、私が相手の脳解釈をしてやり過ごしてきた。

あのオバハンは、脳解釈・脳解明するまでもない。

人生のアホ。

そんな人に私の言葉が通じる訳ない。

論理的でも感情的でも冷静でさえないオバハンの脳。

3+12+7の計算ができない普通の人。

仕事でオバサン達の話しを聴くことはできるし、むしろ論理の破綻がおもしろい。

関西人ならではのオチがある。

でもあのオバハンは人生の知的障害者だ。

私の人生に関わってほしくないレベルのアホ。

普通の人の方がよっぽどアホだという証明になった。

さあ、これから次の段階へいく為にあのオバハンとは縁を切らなければ。

それで私の人生が終っても何も文句は言わない。

それほど普通の人と呼ばれる知的障害者に怒っているから。

私が自殺しようが何しようが、あのオバハンは絶対に謝らない。

それだけは脳解明できている。

もう生きている意味はない。